「普通の男」
ゴジラ
「普通の男」
改札を出てバスロータリーへ。いつも通りの帰り道。花房一丁目行きのバス停に到着。20時15分。
バスの到着を待つ顔ぶれはいつも通りである。
塾帰りの女生徒。彼女の小さな手に握られていたスマートフォンは最近になって英単語帳に変わった。きっと受験生なのだろう。七三分けのサラリーマンは同年代。30代後半で働き盛りの中間管理職。疲れ顔が印象的で共感の意を覚える。それから、髪色を頻繁に変えるOL。彼女がスマートフォンから目を離すのは、バスに乗り込むときだけだ。それから40代の女性。バス停では留守番をする幼い子供に必ず電話をかけている。大きな声で話す学生は部活帰りで泥だらけの野球部だ。
彼らの存在もまた、僕の日常のサイクル於ける不可欠なピースなのだ。彼らにとっても僕という存在はそうであるに違いない。毎日顔を合わせていても、お互いの認識なんて不確実なものに違いないだろうが、日常を共有している自覚だけは微かにあって、帰宅途中の不可欠な風景の一部分だと気がついているはずだ。
それでも時折、彼らにとって自分がどんな風に見られているのか気になるときもある。
まあ「普通の男」なのだろうが。
20時30分。
バスはいつも通りの顔をしてやって来た。そして僕たちは指定席があるかのようにいつもの席へと乗り込んだ。出発まで5分ほどある停車時間は各々が自由に過ごす時間でもある。
しかしこの日は違った。
20代後半のスーツ姿の男が駆け込むように乗り込んだとき、いつも通りだったバスの車内には異変が漂った。新顔か。なんて思う隙などなかった。それ以上の異端なる情報が彼のルックスには施されていたのだ。
この男の頭にはツノが生えている。
額と頭頂部のちょうど中間地点に30センチほどの一本のツノが天に向かってそそり立っているのだ。
違和感は伝染するように車内全体を覆って、いつの間にか僕を含めた乗客の全員が彼のツノをじっと見つめていた。
ツノを生やした男も自分が注目の的であるのを自覚しているようで、居心地の悪そうな表情をして、つり革を持つ左手をぎゅっと強く握りしめ右手にあるスマートフォンを意味もなく覗き込んでいる様子だった。
いつも通りじゃない彼の存在は、僕たちの普通の日常を否定して新たな価値観を生み出したようにも思えた。僕はなんだか胸騒ぎが止まらなくなって、失礼を承知でありながら彼のツノをじっと見つめたまま、何も考えられなくなっていた。
「花房一丁目行き、発車します」
その声の主である運転手にも異変は伝染しているはずだろう。しかし、勤務中である彼はいつも通りの仕事をこなそうと努力していた。
そして扉が閉ざされて生じたバスの密室空間は、普通な僕たちとツノ男が共存する異世界へと転変させた。だからこそ、逃げ場を失った僕たちの好奇心はやがて不安へと変化していた。
「このまま発車します」と運転手は弁解するようにアナウンスをした。
それからそれぞれの停留場に着くまでの間、乗客たちはツノ男の一挙一動から目を離すことはなかった。
それにしても彼のツノはなんとも不思議な存在だった。造形的でありながらも、やけに生物的でもあり、彼の額とツノの接地面は糊付けされているとは思えないほど見事に着地している。しかし、ファッションにしてはそのセンスは許されるものではない。それなら実用性を求めて装着しているのだろうか。実用性?となれば攻撃的な意味合いなのだろうか。
あれこれ思考を巡らすこと10分。
とある停留所に停車したとき、ツノ男は逃げ出すように降りて行った。それを見て僕は無意識にツノ男の後に続いてバスを降りた。そんな好奇心旺盛な乗客は僕の他にも数名いるようだった。
バスを降りると、いつも通りではない景色が広がっていた。知らない街に降りたような期待と興奮が全身を震えさせていた。
ツノ男の背中を見失わない程度に距離を開けて、数分ほどついて歩いた。彼はどんな家に住んでいるのだろうか。真実を知ったとき、僕は一体どうなるんだろう。なんてことを考えていると、幼い頃に観ていた冒険物のアニメーションを思い出して興奮が収まらなかった。
しかし、残念なことにツノ男はどこにでもあるような普通の住宅街にある普通の一軒家のチャイムを鳴らした。
ツノ男には家庭があったのだ。しかし、驚くべきことにツノ男を迎え入れた妻と思われる女にも、ツノ男の帰りを待ちわびていた幼い娘の笑顔の先にも、あの奇妙なツノが生えていたのだ。
「一体なんだ。こいつらは」
腹の底から溢れ出た疑念が夜の街へと零れ落ちていた。好奇の探究心はとどまることを知らず、僕はツノを生やした家族をじっと見つめることに必死になった。
しばらくすると、ツノ男の妻がカーテンの隙間から外の様子を伺っていることに気がついた。
顔はカーテンによって隠れているが、ツノだけはこちらからは丸見えで僕のような野次馬たちはそれを見て大笑いしていた。
「ツノ家族。気になりますか」
「わあ!」と僕は驚いて声をあげた。「驚かして失礼」と言った男の名は相川と言った。先日、ツノ男を駅前で見かけてからツノ家族の観察を日課にしているようだった。相川の話を聞くと、ツノ男は私たちと変わらぬ普遍的な社会生活を営んでいるとのことだった。
それから帰宅して妻のマナミにツノ男の話をした。身体の弱いマナミはここ数年、外にでることを知らない。だからマナミもツノ男の話には興味津々だった。
「そんなこと、テレビでは何もやっていなかったわ。気になるわね」
なんてことを言って、一緒に大笑いをした。
その日以降、帰り道のメンバーにはツノ男が参加するようになった。
1週間が経過しても誰もが、彼の存在を受け入れられることができないまま、相も変わらず好奇の視線を向けていた。ツノ家族の自宅前に集まるギャラリーも日を追うごとに増えていき、スター俳優を見つけて集まった野次馬のように一群をなした好奇と興奮の目玉たちで埋め尽くされていた。
それから数日経ったころ。異変が起きた。
ツノ男以外にツノを生やした男や女がバス停には数名、存在するようになった。僕は目をまん丸とさせて、受け止めきれない不思議な現実に驚いた。しかもそれはツノ男の仲間である様子もなく、たまたま同じ服を着合わせてしまっただけのように気にも留めない素ぶりをお互いに決め込んでいたのだ。
そして、日を追うにつれてツノを生やした乗客が増えてきた。
受験勉強に励んでいた女生徒はピンク色の縞模様の入った小さなツノをつけて、部活帰りの男子学生たちは男の淫部を想像させるほど、そそり立った禍々しいツノをつけていた。
まさか。こんな物が流行っているのかな。なんて思ったが、同年代のサラリーマンはつけていなかったし、僕は安心してバスに乗り込むことができた。
しかし、それからまた数日経つと、あの同年代のサラリーマンも、OLも、主婦も。四面四角な年配男性までも。各人好みのツノを生やしていたのだ。
不可解な事実が信じられない反面、次第にツノのない自分に自信を持てなくなっていた。恐る恐るバス停に近づくと、皆が僕に視線を向けて、何かを言いたげな様子だった。まるでイケないことをしているような罪悪感に襲われた。理由もなくおもむろに鞄の中を探っては、どこかに置き忘れてしまったツノを探すような素ぶりを見せて彼らの視線を遮断した。
それからバスに乗り込んでも、到底信じられないことに僕だけが綺麗な額をあらわにしていた。これじゃあ下着姿も同然のようで、余計に恥ずかしく思えて俯いていると、近くにいた女子高生数名が僕の顔を見るなり、クスクスと声を殺すように笑っていた。
「花房一丁目行き、発車します」
そうだ。運転手は?僕は覗き込んだ……なんと!やはり彼にも立派なツノが生えていたのだ。そして運転手はバツの悪い顔をしながら僕を一瞥して「このまま発車します」と言った。ツノ男が初めてこのバスに乗り込んできた日と同じだった。
それから僕は好奇の視線に耐え忍ぶように歯を食いしばり、バスを降りるまでの不快な時間を辛抱していた。逃げるようにバスを降りると、乗客の数名があとをつけるように降りて来た。その中には、今や立派なツノを生やした相川と名乗っていた男の姿も見つけた。
追跡から逃れるように一度も後ろを振り返ることもせず、全力疾走のまま家に転がり込んだ。
「大丈夫?何かあったの?」とマナミは心配そうに言った。
「み、みんな揃ってツノを生やしているんだ!俺の頭がおかしくなったのか?」呼吸を整える前に声を張り上げて言った。
「どういうこと?」
「説明は後からするよ。悪いが、水をくれないか?」
「わかったわ」とマナミはキッチンへと向かった。
そして間も無く「きゃあ!」とマナミの叫び声が聞こえた。
僕は慌てて駆け寄った。
「どうした?!」
「見て!窓の外を見て!」
覗き込んだ先にはツノを生やした人間たちが好奇の目を向けて僕たちをじっと見つめていた。
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