情景289【自惚れと自省。それでも】

 外の空気を部屋に入れたくて、窓を開けた。

 網戸越しの風が、おでこや頬に触れる。垂れた先がやんわりと揺れるレースカーテンの裾を握り、シャッと音を鳴らして端に寄せた。束ねてからきびすを返し、腰を下ろす。目の前には、開いたままのノートパソコン。

 画面に表示されたテキストエディタに並ぶ文字の群れを一瞥いちべつする。保存して、それから手の甲でおでこをこすった。湿っぽいおでこだった。

 溜め息が漏れる。


 ——出来はどうなんだろう。コレ。


「……知らんわ」

 つい、声が出た。

 そんなもの。書きあげたばかりの自分には、わかるワケもない。

「ただ……」


 あえて言うなら、最高だと思っている。


 でも、一週間ほど経ってから見直せば、きっと違う感想を持つだろう。書きあげたときには見つけられなかった誤字が、時の経過と共にありありと浮かび上がってくる。何度も何度も、繰り返してきた自惚れと自省のループ。自分の誤字にすら気づけないのに、最高のモノができたと思いこむめでたい自分を認識せざるをえない。

「そんなの、目が曇っているだけじゃない……」

 急に恥ずかしくなってきて、机に突っ伏した。額がもろにぶつかって鈍い音を立てる。額が触れるまで頭をうずめて、もう一度深く溜め息をついた。


 ——それでも。

 それでも、最高だと思う。


 当たり前だ。当たり前だよ。だって、自分が書いたんだもの。でも、そんなワケはないと、自惚れきれないでいた。

 自分は進歩しているのだろうか。書けども書けども、先へ進んでいる気がしない。

 それなのに、カオを上げて、画面を見て、並ぶ文字の群れを眺めて、懲りずに「……いいじゃん」と思ってしまった。自惚れと気恥ずかしさが、自分の中でとめどなく混ざり合っている。

 書き続けてはいるけれど、自分は何かになれているのか?

 以前より、ちょとはマシな文章を書けているのだろうか。

 何者にもなれない自分が何かを書いていて、やめられずに今もそれを続けている。


 机を、両手でパンと叩いて起き上がった。

 ついでに自分の頬も、両手でパンと叩く。

「叩きすぎた……」

 このままではアンパンマンになってしまう。そんなことを思いながら、勢いよくノートパソコンを閉じた。自分がどうとか、そんなことは知らない。ただ、原稿は寝かせることで味が出るものだろう。

「三日ぐらい経ってから、校正に取り掛かってやる」

 そういえば、外は晴れていた。たまには財布ひとつだけ持って、近所の喫茶店へでも行こう。白い背景に引かれた罫線に乗る、明朝体の黒ばかりを眺めていた自分には、晩夏の緑葉がいっそう眩しく見えるに違いない。

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