情景277【土曜日の匂い】
梅雨の湿り気が追い払われる前に、夏の空気がそのまま街に乗っかってきた。じんわりと蒸した空気を日差しは温める。そんななか、商店街のアーケードの下を歩いていた。それでも通りの賑わいは尽きない。それもそのはず。今日は土曜日。土曜日のおひるまなんて、そんなもの。
——私は仕事なんだけど。
「汗、かきたくないなァ……」
ブラウスに背中の汗がうつってやしないか気になっていた。
私は得意先との打ち合わせを終えて会社に戻る最中。アーケードの下には、ラフな格好で歩いているひとたちばかり。私には羨ましくて仕方のない姿だけど、今に始まったことでもないから別にいい。それに引っ張られては仕事にならないと、気を取り直す。
それでも、自分の肩に負荷をかけてくるのは、仕事。
資料とタブレットとノートPCが詰まった鞄。打ち合わせによって降って沸いた宿題と懸念事項。肩が重くて仕方がなかった。
——周りはきっと、休日の土曜日を満喫しているところだよね。
休日の商店街は軽やかな賑わいの空気をつくり、そこを人を通りがかって、空気がかき混ぜられていく。活気はそうしてつくられる。
一軒の喫茶店の前で、足が止まった。
「あっ——」
目の前のドアが開き、客らしき男女が出てきてすれ違った。吊られていた小さなベルが音を鳴らす。鼓膜がふるえた。
「再開してたんだ……」
商店街の片隅の古い喫茶店。子供の頃、よく連れられてオレンジジュースを飲んでいたお店。休業したと聞いていた。
ドアの隙間からそよいできた店内の土曜日の匂い。
店内に目を引かれ、漂ってきた空気が纏わりつく。そのまま店に引っ張られてしまいそうだった。
——仕方ないね。
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