情景275【天境線】

 めのまえに広がる若緑色の芝生が、空から陽光を受けて芝の緑葉に白い光を走らせている。まっすぐ見つめた先には、芝生と蒼天とを横一線で割る雲一つない境目があった。

 遮るものはない。視界の端から端まで、芝の鮮やかな緑と遠い空の青しかなかった。天と地の境目から、足もとまで敷かれた芝原の上。その一点に、私は裸足で立っている。

 ——天境線。

「吸い込まれそう」

 白いスカートの裾が風に靡いていた。

 両手にジュートのサンダルを提げて、風が運んでくる空の匂いをそっと吸う。まるで風にの粒が混じっているかのようで、体の気道を温めくれた。

 芝に足が吸い付く感触。踏み出せば、草の上を滑るように歩いていける。

 ふいに、そっと誰かが私のそばに立った。白いシャツ、薄青のデニムでくしゃっとした黒髪。見慣れたカオで、ふっと軽く吹きだして笑う。

「来たんだ」

「まぁ」

 そいつも裸足で芝生に立って、風と地べたに触れていた。それから、前を向いたまま尋ねてくる。

「……地平線じゃないんだ?」

 私は思い返すようにうなずき、

「そう。たしか、どこかでそんな風に呼ばれていた気がして——」

 そして思いだした。

 十何年も前に国語の教科書で読んだエッセイ。その文中に記されていた一語。そんな小さな記憶の欠片が、数刻前のことのような鮮やかさで脳裏に浮かび上がる。

 それからもうしばらく、草原に裸足で立ち、過ぎ去る風を浴びて、天境線を見つめていた。しだいに移ろいゆくはずの時の在り処があやふやなものになっていく。時を忘れ、思うままにただ先のみをみていた。

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