情景273【鳥居に右手】
曇り空の早朝。梅雨の隙を見計らって、傘をささずに外へ出た。軒先の紫陽花が雨雫を垂らしている。
「朝はパンとフルーツ」
そう独りごちると、
「昨日のうちに買っておけばよかったな」
相方が後頭部を掻きながら言っていた。
「きみ、土曜日が来るたびにそれ言ってない?」
「はは……」
掻く音が少し強くなる。
角を曲がれば鳥居があった。昔風に言えば、神様の縄張りを示すしるし。鳥居を背に真っすぐ北へ歩けば神社の敷地に入るだろう。
にしても、でかい。
「いつも思うけどさ」
この鳥居は、そばに立つ二階建て家屋よりも背が高かった。
そして、歩道に入り込んで地べたを突き刺すように立っているものだから、
「案外ひんやりしてるよね」
ぺたんと右手を触れてしまう。右の手のひらの先っちょで触れてから、軽く握りこぶしを作った。雨を受けて柱の表面が濡れて湿っている。
ふいに、拳のそばの黒い点に目がいった。
「……うん?」
「ていうか、汚くない?」
隣の相方がしかめっ面で距離を取っている。
「あ、そうね。……大丈夫かな、たぶん」
一匹の蟻が、握った手の近くを登っていた。黒くて、小さくて、黒い体のお尻の方に一本の白い線が入っている。六本の足を懸命に動かして、私の握りこぶしくらいの距離を六秒くらいかけてよちよちと登っていた。
なんとなく、真上を見る。柱はまっすぐ空へと伸びていた。
この子には、鳥居の柱が天を衝く絶壁に見えていることだろう。
それでもひたすらに垂直に登る。続いてもう一匹が下から私の握りこぶしを追い越していった。
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