情景272【西日のなか】

 畳に寝転がって、古びた文庫本をパラパラとめくる。書棚の端の薄暗い奥まったところに積まれていたもので、ホコリまみれになっていた本。

「ていうか、発行昭和四十年って……」

 カバーなんてありはしない。およそ半世紀前に編まれたらしい擦り傷だらけの本を手に取って畳へ滑り込むように寝そべった。

「文庫本のなりそのものはそんな違わないのな」

 さして掻き立てられるものもない。長い間空気に晒されてきた分、古びた紙の匂いがした。そんな他愛のない感想を抱いている。

「字、ちっさ」

 ページをパラパラと二、三度繰り返したあたりで興味も失せてきた。仰向けになってざっと、ページがなにがしかの字で埋まっているくらいの理解度で目を通し、そのまま本棚に戻してやろうと思った矢先。

 オレンジ色の西日が、畳伝いに音もなく這い寄ってきた。陽光の射してくる方を見れば、畳の先にあるのは縁側と庭と生垣。

 思い立って、西日の中に古ぼけた文庫本を投げおく。くるりとうつ伏せになった。

「あと、あれは……あった」

 手に取ったのは、スマートフォン。この指がつるりと滑る黒い薄板だけが、静かな夕暮れ時のさなかで別の時代からやってきたかのように浮いている。

 カメラを起動して、投げ置いた文庫本の方に向けた。画面に映っているのは、縁側を越えて庭から差し込んでくる夕陽。畳の上で静かにその陽を浴びる、ホコリの取れない文庫本。

「この枠の中だけ、昭和ってワケ」

 レンズを通して捉えた枠内の景色が、今でありながら今でない時をここに連れてくる。

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