情景266【四文字指令】

 仕事を終え、帰りの電車に乗って最寄り駅までの線路を辿る。降りる頃には、電車の窓に差し込んでいた西日も弱まり、夕陽は遠くの山間に隠れてしまっていた。まだ夜とは言えないが、夕方とも言えない頃合い。

 電車は、自分を降ろしてそのまま扉を閉めて走り出す。動き出した車内の白っぽい照明の眩しさが、奥の薄青い空の明るみを奥へと押しやっているように思えた。

 電車が行ってしまったあと、急に開ける視界。中空は薄青く、明るみが徐々に弱まっていく。

 ——それでも、暗くなる前に帰れてなにより。

 そう思えば、まだ気持ちがラクだ。

 駅を出て、煤けた黒い革靴がアスファルトを踏んでじりっと音を立てる。一歩一歩家路を辿るたびに、肩の荷が少しずつ剥がれ落ちた。

 ポケットの中で眠っていたスマートフォンが唸る。すでに帰宅している嫁発信の、カタカナ四文字ポップアップ。

『ブタコマ』

 嫁の四文字司令。

 なんとも飾りっ気のない。片手でつらつらと文字を打ち、タッタカと返事をした。

「イエス、ブタコマ」

『ついでに生姜とキャベツ』

 ——今夜は生姜焼きか。

 この調子だと、家には調味料と白米しかないのかもしれない。いつもの家路から逸れて、近くのスーパーに寄り道をすることにした。

 西の空を見やれば、だいだいの色味がするすると山に吸われ、暗く薄れていくのがわかる。そのあとにスポットライトを照らした地元のスーパーが目に入ったものだから、やけに眩しく見えた。

 勤め人にとって寄り道は花道。気分よく買い物を済ませ、エコバッグを手に足取り軽く店の外に出る。音の止まない店内から外に出ると、今度は外の静けさが気になってくる。

 風がなくて、ついネクタイを緩めたくなり、空いた手を首元に持ってきた。なにもなくて空ぶる。

「ああ、そうか」

 クールビズだった。

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