情景265【夏が来たと思った】

 最近、休日はなるべく人混みを避けて歩くというクセをつけた。

 大通りを避けて脇道を、人混みを避けてひと気のないところを。賑わうお昼どきは避け、客足が引いていく昼下がりに歩く。今では気ぜわしく感じる長蛇の列の人気店は遠巻きに置き、落ち着いて過ごせるカフェで窓の外を眺めたかった。無性に外に出たくなったときだけ外を出歩く。

 不思議なことに、徒歩が増えた。自分の内側に長閑のどかさを落とし込み、のんびり出歩いて気づいたのは、日によって違う日差しの強弱。日差しの下と木陰こかげの下で変わる空気の味。土と砂の匂い。それから、初夏の頃の木々に瑞々みずみずしい緑の色をつけていた緑葉は、かえでだったということ。


 帰宅してから、お茶を淹れて椅子に腰かけ、スマートフォンでなにげなく楓を調べる。

若楓わかかえで——」

 ブルーライトカットの眼鏡に指を添え、液晶画面をじっと見つめる。

「青楓って呼ぶこともあるのか」

 形は紅葉っぽいけど、色は緑——。

「初夏の若葉が、だいたいそう呼ばれる……」

 カエデ科カエデ属——。

 実は今、その一片ひとひらの若楓が私の手元にある。顔の前で緑葉の柄を親指と人差し指でつまみ、指の腹を擦るようにしてくりくりと回してみた。若楓の葉は、木から剥がれ落ちてもまだ瑞々しさを保っている。

「青楓、若楓」

 こいつがカバンにひっついてきたとき、夏が来たと思ったんだよね。

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