情景262【シュパァっと走る】

 教室の片隅で、ちらちらと腕時計に視線をやりながらうずうずしている。まもなく四時間目が終わる……! 

 待つ間のわずかなひとときほど長く感じる時間はないな。

 隣のメガネは、そんな自分の態度を察してか、

「貧乏ゆすりはやめな」

「貧乏ゆすりじゃない」

 それより、チャイムはまだ鳴らないのか。

 教師がなにかぶつくさと、締めの言葉っぽいことを言いだしたところでチャイムが鳴った。昼休みの到来を知らせるための、呆れるほど耳にした音。

 ——来た!

 席を立って早歩きして、後ろの扉を勢いよく開け、思いっきり廊下を駆け出した。たぶん授業は平穏無事に終わってくれたのだと思う。

 体が軽い。廊下は決して走ってはいけない。それはそれとして、体が勝手に躍動して、風を切るように購買まで一直線に駆けていた。

 昼休みの購買はちょっとした戦場になる。これは我が学び舎の定番だ。

 混みだす前に昼パンの調達。そのためのダッシュ。特に今日はクリームチーズパンの特売日。途中、一階まで下り、いったん外に出たところの階段で足がもつれそうになったが、どうにか手すりにつかまって踏みとどまった。

「おっと——」

 我ながら生き急いでいるな。

 ひと気のない外の階段で手すりに寄り掛ると、手すりの向こうにある外の景色が見えた。階段に風が通り抜ける。山の緑が正午の陽を浴びて伸び伸びとそこに広がっていた。

 すぅっと、息を吸いたくなる。

 ひと息ついていると、校舎からいつもの隣のメガネが出てきて、

「もっとさぁ。落ち着いて走りなって」

 と、言う。

「だって、クリームチーズパン」

「いや、知ってるし。そんなシュパァっと教室を駆け出してさ」

「え、なに?」

「だから、クリームチーズパンは知ってるけど——」

「いや、そのまえ」

「は? シュパァって……」

 姿勢を正し、そのオノマトペを改めて聞いて噴き出した。 

「なんだよ、シュパァって」

 肩を並べて、階段を下りながら軽く尋ねる。そうして、昼休みの購買には一着で辿り着けた。購買のカウンターにゆったりと寄り掛かってパンを物色する。ささやかな満足感。

「それ、明日から使うわ」

「やめろ」

 メガネの異議は聞き流し、おばちゃんにクリームチーズパンとマンハッタンを頼んだ。支払いを済ませて小銭入れを胸ポケットに仕舞い、

「いいや、使わせてもらう」

 と言い放って、それからはメガネがパンを頼んでいる様子を悠々と眺めていた。

 だって、たぶん明日もシュパァって走るからな。

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