情景258【町の中華屋さん】

 左手首に巻く茶革に張り付いた銀盤。手首を胸元あたりに寄せてくるっと反転し、銀色の円盤の中でゆっくり回転する針をまじまじと見た。

 時間をチェックする。あと十五分ほどで正午といったところ。

 ——混む前に済ませてくるかな。

 席を立って無言のままエレベーターを降り、外来用のサーモカメラを通り過ぎてオフィスビルを出る。

 ぶわっと、陽光の交わる風が出迎えた。

 風に煽られた前髪の束がぴょこぴょこと踊って蟻の触覚みたいになる。

「髪を黒くしたのがアレだったか……」

 柱の影で風が少しでも弱まるのを八秒ほど待ってみた。


 とにかく、これがあと十分もすれば、ホースから吹き出る水のように、サラリーマンやOLが表の通りにあふれだす。お昼時を前にして、まばらな人流のなかをひと足先に歩き出し、さっさとランチを済ませて席に戻りたかった。

 同僚は自前の弁当とか、洒落たカフェのランチを上司にたかったりとか、色々。

「別部署ならそういうのもできたかもねぇ……」

 とひとりごちつつ、私がいつも訪れるのは、油と醤油の匂いが馴染む小さな中華料理店。チャイニーズレストランとか創作中華とか、そんな感じの店ではない。オフィス街を突き抜ける大通りの一角に、こぢんまりと根を下ろした町の中華屋さん。そこで、注文したら即行で出てくる中華定食を食べるのだ。

 自動ではないドアを引いて、冷房のありがたみを感じながら席にき、淀みなく注文する。

「中華定食ひとつください」

 すると、「アァイ!」と気合の漲るかけ声が響き、セルフサービスの水を用意しているうちに中華定食が出てきた。

 肉と白菜と卵の炒めものと、気持ち多めのご飯。

「うん。中華定食」

 ——ところで中華定食って、なにが「中華」なんだろう。

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