情景254【追いついてくれた日】

 昼下がりはしんと静かで、居間の壁が外の音を遮断してるかのようだった。

 お母さんが淹れてくれた温かい紅茶をひとくち。上唇に残る熱を感じ、舌の先で唇なめる。ぼんやりと窓ガラスの向こうにある山の稜線を眺めていた。

 しばらくすると、陽光が弱まって徐々に赤みを帯びてくる。

「そろそろ来るかな……」

 そうつぶやいたとき、母さんのスマートフォンが鳴った。

 洗濯物を畳んでいた母が、パタパタと軽い足音足取りで玄関へと向かう。

 離れたところから聞き慣れた声が聞こえてきた。

 母のありきたりな出迎えの声。

「いらっしゃい。久しぶりね。元気にしてた?」

 そして、

「……こんにちは」

 内側でちりちりと胸騒ぎに近い感触が沸いてくる。いつか、耳元で何度も聞いた声。いや、少し低くなったかな。その声が私の鼓膜ではなく口を通って喉元に飛び込んできたように感じた。

 足音が近づいてくる。

 ——どうしよう。いまさらどうもこうもないか。

 手元にあった紅茶は波ひとつゆらめくこともなく凪いでいた。

 母が連れてくる。かつてひとつ屋根の下で一緒に暮らした男の子。

「……お久しぶりです。義姉さん」

 くしゃっとしたクセのついた黒髪で、落ち着いた声で、なで肩で細身で、だらんとした黒いカーディガンが妙に似合う。

 ——相変わらずだな。

 ただ……。

 二、三秒くらい眺めてから歩み寄って隣に立つ。

 そして顔を覗き込むように視線を送りながら言った。

「背、伸びたね」

「はい。やっと」

 義姉さんと同じくらいに、とはにかんで言う。

 私はついに追いつかれたらしい。

「いらっしゃい。いや、おかえり」

 うん。待ってた甲斐があったかな。

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