情景253【たまたま居るかもしれない】

 今朝、スマートフォンに一件の通知があった。

『あした、おうかがいします。夕方ごろに』

 日の出と同時にやってきたメッセージ。指にふれた端末のふちが冷たい。

 起きだして、支度を済ませ、居間でテレビの音を聞き流しながら、母の用意した朝ご飯に手を付けた。それから軽く何ともない風に、

「おかーさん。明日、来るんだって」

 母は台所に立っていて、視線はコンロに向けたまま、

「うん。知ってる」

 ——向こうにも行っていたのか。

 メッセージの送り主は、以前うちに下宿していた男の子。二年間だけうちに居て、職を決めて家を出ていった。……それっきり。

「元気なのかな」

「そうみたい。よかった」

「そうね」

 仕事着をまとう父がドタドタと床を鳴らして居間に入ってくる。テーブルの端に放置してあったぶあつい黒の長財布は父のものだったか。父はそれを手に取って薄い革の鞄に放り込み、

「行ってくる」

「はいはい」

「いてら」

 そのせいで会話が途切れた。再開する流れにもならず、居間は朝の情報バラエティーのざっくばらんな会話が流れているだけ。

「……元気だったのか」

 ろくに便りも返信もなく、既読スルーが常だったのに。

 母が、私の方を見ずに尋ねる。

「で、どうするの? 明日の夕方だけど」

「わかんない」

 なんとなくテーブルに両のてのひらを置き、力を入れて椅子の前足をちょこっと浮かせた。あごを上げて天井を見る。それから、左隣のすっかり空いて大人しくなった席を見つめた。

「……たまたま」

 たまたま居るかもしれない。

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