情景235【早春の小昼】

 風がぬるくなったとか、冷めて乾いていた空気がやわらいできたとか、そうしたきざしならとっくに自覚していたつもりだった。バイト先のカフェで、店の軒下を壁沿いに軽く掃き掃除しつつ、

「すっかり春だねぇ」

 なんてのたまっていると、入口のメニューボードを入れ替えに来た店長が無関心そうに言う。

「あなた、花粉症だもんね」

 花粉症という単語を耳にした途端、何かが鼻にツンと刺してきた。

「違います」

「強情な」

 体を反って腰と背を伸ばし、ガラス張りの壁に映るおぼろげな自分の姿を見る。

「晴れた日は、日光浴にもってこいってワケ」

「お願いだから働いて。掃除はぼちぼちいいから、さっさとカウンターに立ってちょうだい」

「はーい」

 はっきり「はい」と発音できたか、イマイチ判然としない音が喉から出た。

 ホウキを持ったまま入口の自動ドアをくぐる。ワインレッドのドアマットに、桜の花びらが乗っていた。

 ふいに中空を見る。薄桃色の淡い花びらが風の中を泳いでいた。

「——ふぅ」

 もう、そんな季節になっちゃったか。ようやく実感が湧いてきた。

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