情景229【陽だまりを纏うように】
久しぶり、のあとに自分の口から出た言葉は、
「髪伸びた?」
だった。なんとも平凡で、他愛のない。ついでに語彙力も乏しい。
コロナ禍の不幸にぶち当たって、街の大通りから一軒の喫茶店が撤退したと聞いた。脇道に入る通りの角にあったビルの一階の空きテナントは、がらんどうのままひっそりと周囲に底冷えした空気を
暮らしは様変わりしていく。
壁がガラス張りになって、お店はずいぶんと開放的な空間になっていた。
三月に入って、休日の人の出が活発になってくる。壁際の席を取り、店内で外を行き交う人々がちらちらと寄越してくる視線をしばしば感じた。大通りに降って跳ねる陽だまりの、白っぽい靄のような眩しさが目に焼きつく。
そうして外を眺めていると、トイレから戻ってきた娘が壁沿いの席に腰掛けた。
「おまたせ」
「ハンバーガーで良かったの」
——せっかくなんだし、と言おうとしたところで、この子は小さくうなずく。
「こういうところの方が落ち着くし。……ハンバーガー屋さんになったんだ、ココ」
「そうなのよ。前はもっとこう……」
「昔ながらの喫茶店って感じ」
そう言ってカフェオレを口にする。一瞬伏した
——この子は。
一瞬、ぱちりとしびれるような感覚が、まぶたを縁取るように走る。
しばらく見ないうちに、ずいぶんと雰囲気が柔らかくなった。大人になった。
少しして、自分の視線に気づいたらしく、
「どうしたの?」
と、尋ねてくる。
「いや、晩飯どうしようかなって」
「……とんかつとか」
「和食が恋しいの」
「まぁ」
「いいよ。とんかつね」
今のこの子は、後ろの陽だまりを纏うかのように穏やかで柔らかい。
——するすると大人になっていくね。
すぐそばに、三月の陽が差した。
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