情景210【ハイドアウト】

 繁華街と呼ばれる通り道。立ち並ぶビルの片隅に寄って、夜の底を歩いていた。通りの脇を抜けたら、闇を敷いた暗い川がある。川の向こう側でネオンのまるい明かりが点々と、暗い水中を泳ぐように瞬いていた。

 空を眺めて、ほっとひといき。

 ——今週もお疲れ、ってね。

 自分で自分を労う金曜。


 部署の飲み会を盛会裏に終え、女子中心でお茶をして解放されたところ。冬の長い夜を抜けていく、街の雰囲気に感じ入っていた。

 繁華街のビルによくあることとして、エントランスがいやに広くて開かれている。オフィスビルと違い、自動ドアやカードキーつきの扉で入口が閉ざされることもない。どの建物も、誰かとの待ち合わせに都合よくつくられていた。

 広い入り口をくぐり、細く奥まで伸びる廊下を歩く。道すがら、何軒もの看板を通り過ぎて、辿り着いたのは渋みがかる重苦しい黒い扉。

「入る前は、つくづく疑問だったな」

 重たい扉がひとつに、横文字が書かれただけのシンプルな看板。

 まるで隠れているみたい。なんでこんな扉を据えて隠れるように店を構えるのかな、って。ただ、その理由も今はなんとなくわかる。

 重たい扉を引き、外と中とを切り分ける空気の壁に触れた。視界が捉える空間の明度が切り替わる。場の声量。気配の厚み。外にはない空気感。退社したときには肩に乗っていたはずの荷のようなものが、からだから剥がれ落ちていく。

 カウンターの方を見ると同時に、

「……いらっしゃいませ」

 それから落ち着いた声で、私の名前を呼んでくれた。

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