情景209【テレワーク余話】

 頃合いを見計らって珈琲の袋を開けた。ふわりと浮いてきた香りが心地よくて楽しくなる。ちょうど電気ケトルの中からくぐもった気泡の踊る音が聴こえてきて、真鍮のコーヒーメジャーを手に取った。——冷たい。

「風、強まってきたかな」

 小さな隙間をつくるように開けていた窓を閉めた。それからケトルを手に取ってフレンチプレスにお湯を注ぐ。濃い黒の熱湯の上に、焦げ茶の小さい泡が浮いては消えた。

「四分くらいだっけ」

 テーブルの方に視線をやる。目についたのは、机上で大人しくしているノートブックサイズの銀の板。


 珈琲がほどよくなるまでに、さっさとログインしてしまうか。


 天井近くにぶらさがる掛け時計を見た。

「……もう時間ね」

 銀の板に手を添えて指に力を入れてやれば、それはあっけなく開いて中の黒い画面と並んだキーボードが顔を出す。

 業務用端末。会社から持ち出した他愛のない仕事道具。

 そして時間とは、勤務開始時間のこと。


 カチッ。

 カタカタ、タン。

 カチ、カチッ。


 電源を立ち上げて自室から、会社のネットワークに淡々とログイン。出社しないままに出勤時間を迎え、カジュアルな格好でそのまま仕事に入った。

 慣れたのか。まだ慣れていないのか。

「フリーランスでもないのにね」

 さっさとメールをチェックする。さっそくグループウェアにメッセージが飛んでくる。

『進捗確認したいです。いつもの時刻でミーティングいいですか』

 無表情で了解を示すスタンプを飛ばす。そのあと、フレンチプレスと目が合って表情が緩んだ。

 ——そろそろかな。

 そういえば着替えていないんだけど、カメラはオフで勘弁してくれるだろうか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る