情景208【しぶきが触れる】

 県の端に港があって、高速船という背の低い船に乗った。港に繋がれていたあいだ、波に浮いて眠るように静かだったその船は、乗り込んだあとに元気よくエンジン音を立てて走り出す。

 低く唸る音が船体を振るわせた。振動が自分の背中や尻にビリビリと響く。波に押されるように動き出したかと思えば、あっという間に速度を上げて波を文字通り突っ切って走りだした。

 船体が低い。その分、波との距離が違い。そのおかげで、

「……速いね」

 窓のすぐ外で波しぶきが飛び散っていた。以前に乗った海峡フェリーよりもずっと速く感じる。


 こんな揺れではとても本を読んでいられなくて、文庫本を鞄にしまいこんだ。外を眺め、すぐ下の濃紺に白いしぶきの交じる海面から水平線までを滑るように、視線を奥へ奥へと運べば、海面スレスレに丸く眩しい太陽がある。

 ——デッキに出たいかも。

 客室を立った。取っ手を掴んで引き戸を開けると、エンジン音と共に水面を割ってしぶきの立つ音がダイレクトに飛び込んでくる。

「波しぶき……」

 潮の匂いにすら塩気と水気を感じた。風が背中を押してきそうな気がしたので、壁際の白木のベンチにそっと腰掛ける。

 頬に、波しぶきがひとつぶ触れた気がする。

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