情景180【彼は私よりも——・後編】

 薄いベージュのダイニングテーブルを挟んでふたり、遅めの食卓を囲む。

 彼は、帰りが予定よりも遅くなった私の食事に付き合い、向かいに座っていた。手もとの本を開いたり、閉じたりしながら。

 こちらは箸で淡々と、煮びたしの茄子やジャガイモを口に運んでいるつもりだった。でも、会話を重ねるたびに私の愚痴が多くなる。相手はそれを素直に聞いてくれるし、さらっとした返事をくれるし、たまに遠慮なく吹き出して笑った。

 ——もう、話していて気持ちいいわ。

 彼は、職場の愚痴兼笑い話にひとくさり笑ってから、目じりについていたらしい笑い涙を小指の腹で払い、言った。

「忙しい時期なんだな」

「言うほどは、たいしたことないんだけどね」

 言葉と裏腹に、自分の中でじわっと黒いもやのようなものが浮かぶ。それに目を逸らして彼を見ようとしたら、立ち上がっていて、お湯のポットの方に立っていた。

「明日の帰りは——」

「明日も、私よりそっちの方が早いかな」

「そうか」

「……」

 彼は、きっと仕事もさばけるし、会社でも社交的で穏やかなんだろう。自分事をこなした上で、ここ最近帰りの遅い私を静かに待ってくれている。彼の背中は頼れるひとのそれに見えた。

 ふと、友人に言われてしまったことを思い出す。


 なら、デキる彼の背中に甘えても、いいんじゃないの。


 ……そうね。

 わかる。でもね。

「それは、私の趣味じゃないのよね」

 ——困ったことに。

「よし。食べて寝る」

「その前に、お茶飲んでけ」

 あ、はい。


 たとえ私がだらしなく歩みを止めたとしても、彼は多少待ってくれるだろう。もしかしたら、手を差し伸べてくれるかもしれない。

 でも、そんな手をひかれるだけの間柄なんて私はゴメンだ。


 ついていかなきゃ。

 私、このひとに置いていかれたくない。

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