情景147【鳴り止まない音】

 あのまばゆくてさざめくような歓声の波を、なんと表現したらいいのだろう。

 自分は夢の中にいた。

 昨日見た現実の夢。

 自分のまわりを囲む、嬌声と声高な響きの重なりが、夢のうちにいた自分を奮わせて空に引き上げる。

 それで、目が覚めた。

「……」

 意味もなく頬をぺちんと触れる。

 寝ていたはずだが、とても寝た気がしなかった。

 昨日の試合が、まるでさっきの出来事みたいだ。

 体が軽い。まったく寝た気がしないのに、力が蓄えられているのを感じていた。自分の体の下の方に沈んでいるなにか。泉の底で光のカタマリが揺蕩たゆたうような感じを掴んでいる。

 無音が耳を突く。鼓膜の内で、まだ昨日の歓声が頭を奮わせていた。


 支度を済ませ、バッグをもって家を出る。

 無言で自転車の鍵を外し、クランクに足をかけ、カラカラと車輪を鳴らしながら走りだした。

「……」

 普段、耳にかけているイヤホンは胸ポケットの中。無言でただただ自転車の車輪を漕ぎ、風を切って走っていた。

 声は出さない。出したくなかった。

 音のない頭の中で、昨日味わったあの歓声が今も確かに響いているから。

 突きあがるような嬉しさ。

 一瞬で沸きあがった興奮。

 あの音の波が——。

 今も、鳴り止まなくて。

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