情景62【「聴こえない」と「聴こえる」のあいだ】

 浴室で湯気に包まれるなか、シャワーの肌や床を弾く音が自分の鼓膜を刺激している。居間を出るまで耳を打っていた楽曲の音は、浴びせかかってくる音に遮られてまったく聴こえなくなった。


 キュッとお湯の栓を閉める。


 そして、シャワーを浴び終えて数秒。浅く息を吐くと同時に、今度は居間から自分の好きな曲がささやかに聴こえてきた。扉越しの、ややくぐもった響き。それでも、耳をすませば聴こえるくらいには。


 この数秒が不思議だ。


 さっきまで聴こえなかったものが、聴こえるようになる。

 せっかくなら、シャワーの音が途切れてすぐに聴こえるようになればいい。それなのに、曲が自分に届くのは、シャワーが途切れて数秒後。この「聴こえない」が「聴こえる」になるまでの数秒のラグ。その狭間の時間のなかできっと、私には感知しえないなにかが起こっているんだろう。


 ——あ。

 バスタオル、補充するの忘れてたわ。

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