あしなが侍

水円 岳

 子供たちの発するサインというのは、大人にすんなり理解できないことが多い。一番厄介なのは、それがおふざけなのか真面目なのか文面から区別できないことなんだ。職員室の自席でうんうんうなりながら見下ろしていたのは、ノートの切れ端にくきくきと乱暴に鉛筆書きされた五文字。


『あしなが侍』


 わたしの様子を気にしたのか、平間主任がとことこ近づいてきた。


「村岡さん、何を見てるの?」

「ああ、主任。これ、なんだと思います?」


 主任は、わたしの指差した紙片を覗き込んで目を白黒させた。


「はあ? なにそれ。村岡さんに手渡し?」

「いいえ、宿題ノートに挟まってたんです」

「ふうん。今時の小学生が時代物なんか見るのかしら」

「ちょっと前までアニメで銀魂入ってましたし、ありなんじゃないですか?」

「あーあ、私の方が時代遅れってことね」


 主任が苦笑してる。そうなんだよね。一年、二年の違いで流行りものや興味のツボが変わっていく。わたしは六年生の担任をしてるから、生徒たちとのやり取りでなんとなく見当がつくけど、少しでも子供との距離が離れると、情報が細って時代感覚が極端にズレるんだ。主任の年齢だと、まだ孫がどうのという年代でもないだろうし。かえってエアポケットに落ちるのかもね。


 でも……。これは、わたしにも全然見当がつかない。


「なに? なにか気になるの?」

「まあ……たいしたことないいたずら書きだと思うんですけど、六年生でこういうのを書くかなあ」

「ん……」


 主任が、ふっと眉をひそめた。


「確かに。変ね」

「わたしの考えすぎならいいんですけど。すごく奇妙なので」

「どこが気になるの?」

「あしながっていうのは、ウエブスターの例の本ですよね?」

「たぶんね」

「日本では、あしながおじさんて全部ひらがなになってますけど、それならなぜ侍だけ漢字で書くんでしょう? ものすごく難しい字じゃないけど、小学校では習わない字だし」

「サムライジャパンとかなら、カタカナか」

「でしょう? いきがって漢字を使うならあしながの方も足長って漢字にするはず」

「そっちはもうとっくに習ってるものね」

「はい」


 なんの変哲もない五文字が、突然奇妙なメッセージ性を放ち始める。それが……どうしようもなく気持ち悪いんだ。これをもし大人が書いたのなら、誰も気にしないはずなのに。主任と二人で、紙切れを目の前にしてうんうんうなっていたら。


「せんせー!」


 突然職員室のドアががらっと引き開けられて、クラス一番の元気印、タクくんが飛び込んできた。


「あ、斉木くん。どしたー?」

「木村のバカが、まあたやらかしてー」


 人のことをバカ呼ばわりはできないと思うぞ。あんたも立派な単細胞の言いっ放しラウドスピーカー。まあ、本人を前にしてそうは言えないから苦笑でごまかす。


「取っ組み合いね。で、今日の相手は誰?」

「あしなー」


 その名を聞いた途端にぴんと来た。そうかあ!


「ゆいちゃん絡みでしょ?」

「そう。木村もゆいを好きだから、ごっつもめてるんだ」

「今行くわ」


◇ ◇ ◇


 休み時間に人狼ゲームをやっている子供たち。そのゲームには、騎士ナイトという役があるんだ。村人側で、毎晩人狼から守りたい人を一人だけ守ることができる。騎士になった蘆那あしなくんは、いつも細田さんしか守らないんだろう。ゲームだとわかっていても、木村くんはそれがおもしろくない。村人側なのに、人狼に蘆那くんの役がわかるようこっそりちくっていたんだ。

 それがあの紙切れ。見つかった時にバレないよう、小細工をしたんだろな。ナイトと書いちゃうと言い訳できないから、侍に変えた。蘆那がひらがなだったのは、字が難しかったからだろう。


 ゲームする時には、全員公正にやるのが前提。それを無視してずるをするのは、まじめにゲームしている他の子にとってとんでもない裏切りだ。だけど、それを言ったら守る相手を公表してるみたいな蘆名くんだって同罪だよ。木村くんが怒るのは無理もない。

 でもゲームっていうのはコミュニケーション構築の練習台だよね。それがいかなる種類のものであっても、プレイを通して自分以外の人の思考や感情を読み、自分とどう重ね合わせるか、人との遠近をどう調整するかを考えられる。勝ち負けへのこだわりを抜ければ、そこから学べるものがいっぱいあるんだよね。

 無条件に信じることだけが大事なんじゃない。疑うことを合わせて考えないと、信じる重さがわからない。そんなことを、小さな諍いから学んでくれればいいなと思う。


 当事者三人。木村くん、蘆那あしなくん、細田さん。それぞれを個別に呼んで、雑談をする。まあ、六年生も残り少ない。今の人間関係は、卒業と同時に自然にリセットされるだろう。

 でも。だからと言って放置はできない。ゴールが近いからこそ濃縮され、無秩序に吹き出す心情というのが確かにあるんだ。わたしは、すぐに来る彼らの卒業に安堵するのではなく、彼らの自意識の行方がどうなるかをこれからも案じなければならないんだろう。


「あしなが侍、か。これだから、子供っていうのは大変なんだよね」


 ああ、そういうわたしも大変な子供だったよなと思い返しながら、小さな紙片を手帳に挟み込んだ。


「わたしだったら、どう書いたかなあ……」



【了】

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あしなが侍 水円 岳 @mizomer

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