3


 ろくに電気もない時代の人たちは、いったい毎日をどう過ごしていたのだろう。あまりに暇すぎる。

 娯楽がない。

 ぼくは家の前で寝転んでスマホを眺めている。ゲームを起動するけれど、タイトル画面から先には進めない。当たり前のことだけれど。

 スマホがあっても、ネットに接続できなければあまり役には立たない。バックパックの上に放り、腕時計も外して置いて、敷き布に寝転んだ。

 ニトは変わらず、階段の上で絵を描いていた。ヴァンダイクさんは修理で忙しそうだ。ぼくだけが動物園のパンダのように怠惰に過ごしている。周りから持て囃されるぶん、ぼくよりもパンダの方が存在価値があるかもしれない。

 まどろんでいた意識がふっと目が覚めると、工場の入り口から見える外の世界は夕方にかかっていて、空の色合いにも赤みが混じりつつあった。うたた寝をしていた。

 ああ、そろそろ夕食の準備でも始めようかと考える。

 冷蔵室には山ほどの食材と、すばらしい肉の塊がある。それを好きに使って良いと許可をもらっている。どんな料理でもできる。この世界の状況で、こんなことは滅多にない。

 ただ、ぼくにはそれを活用できる自信がなかった。

 見たこともない異世界の食材も、調味料も、味見をすればだいたいはわかる。ああ、あれに似ている、これに似ている、というのはあるものだ。たまにある「なんだこりゃ」というものは、下手に使わずに置いておけば良い。

 ぼくはそもそも料理人というわけではない。

 両親はほとんど家を空けていて、食事は自分で用意するしかなくて、そうして身につけた技術は、最低限のことをこなせる程度のものでしかない。スマホでレシピを検索して、書かれたことを実行できるだけだ。

 だから、よく分からないのだ。まともな料理が。缶詰を混ぜて適当に調味料を入れるのは、料理とは呼ばないだろう。肉を焼いて挟むのも、ちょっと違う。

「晩御飯、どうしようかな……」

 そもそも何でぼくが料理役になっているんだろう。

 ニト……は、料理ができないみたいだし、ヴァンダイクさん……は、食に興味がないみたいだし。あ、だめだ。ぼくがやらないと、まともな食事になりそうにない。

 仕方ないと身体を起こして、その勢いのまま立ち上がった。

 暇だから、料理をしよう。

 さっそく冷蔵室に入って食材に見当をつけていく。

 せっかくの機会なので、味見ができそうなものはさせてもらう。オリーブの漬物とか、乾燥した小さな赤い実とか。棚にはぎっしりと食材があって、そうしてひとつひとつの食材をたしかめているとずいぶんと時間が潰れていたらしい。

 使えそうなものを抱えて外に出ると、ニトがバックパックの前にしゃがんでスケッチブックに鉛筆をはしらせていた。スマホと腕時計をモデルにしていたようだ。

 戻ってきたぼくに気づくと、ニトはあわててスケッチブックを閉じた。

「べつに良いのに」

「いえ、大丈夫です。ごめんなさい」

 敷き布に食材を置くと、ニトは目を丸くした。

「すごい、こんなに」

「まだまだあるよ。宝の山」

「……本当に使ってもいいんですよね? 勝手に盗んでませんよね?」

「ぼくのこと疑いすぎじゃない?」

 敷き布の端に腰を下ろして、バックパックからキャンプ用の小さなまな板とナイフを取り出した。

 食材を刻んでいると、ニトがじっとぼくの手元を見る。

「キッチンは使わないんですか?」

「ああ、中は、ね。ちょっと使えなくて」

「使うなって言われました?」

「いや、好きに使えって言われたけど」

 ニトは小首を傾げた。夕日色の差した銀色の髪が肩から流れ落ちた。その不思議な色合いに目を向けながら、ぼくは頰をかいた。

「ずっと大事に使ってたんだなって分かるからさ。部外者のぼくが入って、我が物顔はできないなあと思って」

 ニトはきょとんとぼくを見返した。

「でも」

 その先に続く言葉は、言わずとも分かった。

 でも、もういないのに。

「でも、そこには思い出が残ってるでしょ? ぼくが使って、それが薄まったら嫌だなって。なんだろ、うまく言えないんだけど。申し訳ないから」

 説明するのは難しかった。ヴァンダイクさんが良いと言ってるんだから、ぼくが使うことに問題はない。

 そこに家族の思い出であるとか、面影とか、そういう感傷を見つけているのはぼくだけかもしれない。ただ、キッチンに立っているべきなのが、ぼくでないことは明白だった。それだけのことだった。

 きっと訳のわからないことを言っていると思われるだろうな。ぼくだって自分でそう思うのだから。

「素敵な、考え方だと思います」

 顔をあげると、ニトがやけに大人びた表情でぼくを見ていた。深い蒼色の瞳の中に柔らかい光があった。視線がやけに照れくさくて、ぼくは食材を切ることに専念した。

「……晩ごはん、何ですか?」

 ぼくの手元をじいっと見つめながらニトが言う。

「ピーマンの肉詰め」

「ぴーまん……? なんですか、ぴーまんって。あの、黙ってニヤついてないで教えてください。ちょっと、もしもし」


   4


 野菜をみじん切りにして、肉を叩いてミンチにして、半分に割ったピーマンらしきものに詰める。甘辛いソースのような調味料があったので、それに砂糖とワインを入れて味わいを深くして、肉詰めに絡ませるように焼く。

 手順はそれだけ。あとはたまねぎとミンチ肉を団子にしたスープ。冷凍野菜を解凍したサラダ。主食には焼いたパンという夕食になった。今までの缶詰生活とは雲泥のご馳走だ。

「……」

 ニトは肉詰めをかじって、それきり愕然とした顔をしている。まばたきもしない。ただ、無心にもぐもぐと噛みしめている。口の中のものを飲み込んで、ぼくをひしと見つめた。

「絵が描きたいです」

「いやそれはどういうことだよ」

 なんだってこのタイミングで食事と絵が繋がるのか、さっぱり分からない。

「忘れないように、このおいしさを絵に描いておきたいんです」

「表現が過剰じゃない? 嬉しいけどさ」

 ニトはそわそわと身体を揺すった。絵を描きたい、でも食べたい、でも描きたい。という葛藤が目に見えてわかった。

「冷めるよ」

「!」

 くしゃっと眉を寄せて、それは許せないと厳しい顔をして、ニトは再び食事に取り掛かった。そんなに険しい顔でご飯を食べる人を、ぼくは初めて見た。

 ニトはスープを飲み、肉だんごを小さな口でかじると目を細めた。身体が左右に揺れている。ご機嫌らしい。

 外はもう日が暮れていて、天井に並んだいくつもの照明が工場内を明るく照らしている。それでも端の方までは光が届かないために、黙り込んだ何台もの蒸気自動車にかかる影が表情を作っていた。積み上げられた廃品や暗闇に高く伸びる階段も相まって、まるで秘密基地で食事をしているみたいだった。

 ぼくは敷き布に座っていて、ニトはいつものようにしゃがんでいる。そしてヴァンダイクさんはどっしりと床に座って、無言のままにばくばくと肉詰めを口に放り込んでいた。特別に山盛りにしていたのに、あっという間に無くなっていく。

「あの、口に合いませんでした?」

「あぁ?」

 表情ひとつ変わらないので、おずおずと訊いてみた。

 ヴァンダイクさんは自分が食事をしていたことをたったいま思い出したかのように、フォークに突き刺した肉詰めを見た。

「普通じゃねえか? 不味くはねえよ」

「おいしい、です」

 鋭い声が差し込まれて、ぼくは驚いてニトを見た。

 ニトは唇を尖らせて、ヴァンダイクさんを睨んでいた。

 ぼくとヴァンダイクさんに見つめられ、白い頰をかすかに染めて、ふいっと視線を床に落とした。ヴァンダイクさんが笑い声をあげた。

「そうだな、嬢ちゃんは美味かったんだな。おれは飯に興味がなくてよ。味の良し悪しがわからねえんだ。いつもこうだから、作りがいがねえってよく怒られたっけな」

 わりぃ、わりぃ、と言いながら、ヴァンダイクさんはまた肉詰めを口に押し込んだ。

 その様子をちらと見上げながら、ニトは「いえ、べつに」と呟いた。

 ニトはヴァンダイクさんを苦手に思っている。というか、きっとこういう人と間近に触れ合うことがなかったために、対応の仕方がわからなくて困っているのだろうと思う。なのにその人に向かって、ぼくの料理をかばうために声をあげてくれたことが嬉しかった。

 ニトと視線があうと、赤い頰のままに、きっ、と睨めつけられた。今度ばかりは、ああ照れ隠しだなとすぐにわかった。

 ヴァンダイクさんは一番に食べ終えた。お皿はからっぽで、それを見てぼくはにんまりした。作った料理を綺麗に平らげてもらえるのは、作った冥利に尽きるというものだ。

 次にぼくが食べ終えて、ニトが慌てたように口を忙しなく動かした。急かすみたいになってしまった。最後のひと口で頰をいっぱいにして、一生懸命に噛みしめている。

 スベアで沸かしたお湯をポットに注ぐ。中には茶葉を入れている。白地に草木の模様が描かれた陶器のポットも、茶葉も、いま使い終えた食器も、ヴァンダイクさんの家から拝借したものだった。

 蓋をして何分か待って、三つのカップに中身を移した。濃い茶色をしている。それが紅茶なのか烏龍茶なのかは、飲んでみないとぼくにも分からない。

 ヴァンダイクさんに差し出すと、彼は穏やかな目でそれをみて、片手で受け取った。

 ニトは手の皮が薄そうだから床に置いた。ようやく口の中のものを飲み込んだニトが、両手でカップを持とうと指を伸ばして、驚いたハムスターみたいに手を引っ込めた。熱かったらしい。そのまま警戒するようにカップを睨んでいる。

 その様子を微笑ましく見ながら、ぼくはカップに口をつけた。

 息を吹きかけて、そっと啜る。顔を顰めてしまうほどの熱さだが、口の中がさっぱりする爽やかな味が広がった。鼻まですっと通る甘い香りがした。ハーブティーのようなものだったらしい。食後にはぴったりだった。

 そうしてしばらくお茶を楽しんでから、ヴァンダイクさんが切り出した。

「お前ぇらの車だがな」

「あ、はい」

 ぼくもニトもカップを置いて、姿勢を正した。

「まず嬢ちゃんのオート三輪だが、あれはダメだ。どうにもならん」

「えっ」

 ニトが言葉を投げた。それはニトの目の前でぽとんと落ちた。

「燃料室は魔鉱石が溶けて完全に固着してやがる。しばらく動かしてなかったな? ついでに言や、中に入ってたのは生活用の魔鉱石だ。蒸気自動車の燃料用じゃない」

 ニトが目を丸くした。ヴァンダイクさんの言葉を理解して、視線を落として唇を噛んだ。

「あの、それって違うんですか?」

 ぼくが訊く。

「根っこは一緒だ。質が違う。生活用の魔鉱石は質が悪いモンを加工してある。蒸気自動車の燃料用は純度が高い。まあ、質は悪くてもボイラーで水を沸かすくらいはできるんだが、二つ混ぜて使うのは具合が悪い。魔力膨張率も熱吸収率も違うからな。燃料室内で場所ごとに圧と温度が変わるし、ボイラー内の煙管を通る蒸気にも魔力の圧の違いで波ができる」

 なるほど。さっぱり分からない。

 ぼくの表情を見て取ったらしく、ヴァンダイクさんは唇を曲げた。

「……とにかくだ、燃料室も、ボイラー内の煙管も、手の施し用がねえってことだ」

「交換、とか」

 ぼくが素人考えの思いつきを言う。

「そうしてえところだがな。替えがねえ」とヴァンダイクさんは腕を組んだ。「あの小型オート三輪は最新の小型蒸気自動車だ。首都でも生産が始まったばかりだった。こっちまで普及する前に世界がこうなっちまったからな、おれだって見たのは初めてだよ。使われてる部品はほとんどが新規格だ。他の蒸気自動車から取ってきてつっこむとはいかねえ」

 今度はよくわかった。新しすぎて交換部品が出回っていないのだ。すごいな、オート三輪。

 ニトを見る。彼女は抱えた膝に口元を押し込んで、じっと視線を落としたままだった。どう言葉をかけて良いか、分からなかった。

「坊主の車は、なんとかなる」

 とヴァンダイクさんが言う。ぼくは顔を戻した。

「あれも新しいが、部品規格は特別じゃない。だいたいはそこらへんの廃車から集めたやつで間に合う。ただな」と、おじさんが顎を撫でた。「ボイラーとシリンダーを繋ぐ配管だけ、ない」

「そこだけないんですか?」

「前にシリンダーがいかれて、丸ごと取り替えたんだろう。規格がずれてる。なんとまあ、器用に繋いであったよ。良い腕だ」

 この車をぼくにくれた人の、その得意げな顔が浮かんだ。あの人はよくヤカンをいじっていた。メカニックごっこでもしているのかと思っていたら、ヴァンダイクさんが褒めるほどだったらしい。

「普通ならボイラーかシリンダーのどっちかを積み替えるんだが、あちこちに手が入っていて継ぎ接ぎだらけだ。どっちを変えるにしろ、相当な部品を組み直して調整し直さなきゃならん。手間と時間と金がかかる」

「うっ」

 金、という言葉が胸を重くした。その問題と、そろそろ向き合わねばならない。

 けれど、ぼくは少しの希望を持ってヴァンダイクさんを見た。

「他に何か手があるってことですよね? それしか方法がないなら最初からそう言うはずですし」

「嬢ちゃんのオート三輪の部品をバラせば、間に合う」

 えっ、と、ニトが声をあげた。

「運良く新規格の部品が坊主の車にぴたりと合う。必要な接管は生きてる。これを使うなら、すぐに直せる」

 ニトが顔を上げて、ぼくと目があった。ぼくらは何も言わず、お互いに困った視線を交わし、無言を譲り合った。

「どうするかはお前らで考えろ。正解があるわけじゃねえ。今日は泊まっていけ。部屋は好きに使っていい」

 ヴァンダイクさんは立ち上がって家の中に入っていった。


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