暗中

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　夜深けに歩く音。ヒールがコンクリートを刺す響き。

　飲み過ぎちゃったかしら。

　百合の胸の内とは裏腹に足取りは正しく、真っ直ぐに進んでいくも、どこか危うい。自らが務める店で酔うほど初心ではなかったが、ふわりとした浮遊感に若干の不始末が現れていた。

　駄目だなぁ。駄目だなぁ。

　百合が抱く自己嫌悪は今日に限ったことではない。毎夜毎夜、帰路を通る度繰り返される悪癖の一つとなっていた。その癖は、彼女が産んだ息子に対しての贖罪に由来する。

　来年で小学生だもんなぁ。

　詳しい事情は省くが百合は女手一つで息子を育てている。それはもう身籠った直後から決定されていた事であり、避けようのない現実であった。金も時間も知識もなかった百合はせめて金の問題だけでもと安易に日陰へと身を落としたのだが、生まれてきた子供と会えない日が続くとひたすら暗い膜が張り、如何に覚悟していたとはいえ、彼女の心を曇らすのであった。安定性のない仕事は将来への不安を一層募らせ彼女を暗澹の淵へと追いやる。十年二十年続けられるものではない。子供には苦労をかけたくない。良い服をきせてやりたい。大学にもいってほしい。不自由なく毎日を生きてほしい。それだけの願いが途方もなく、儚いかった。百合は自らの無力と学のなさを恨み、呪う。子供の為ならなんでもすると誓ったはずなのに、何もできない自らの不甲斐なさを嘆いていた。

　お仕事、探さないと。

　そう決心したのは二年前であったが未だに成就していない。何度か門を叩いたが、彼女を受け入れてくれる企業はなかった。貧しい街で必要とされているのは働ける男であり、子持ちの女を雇う気概はどこにもない。

「ただいま」

　自宅にたどり着いた百合は静かに帰宅の合図を発し扉を開ける。すると、部屋の奥からひょっこりと小さな影が現れ彼女の前に立った。それは紛れもなく、百合の息子であった。

「おかえりなさい」

「起きてたの？　ちゃんと寝てなきゃ駄目でしょう」

「ごめんなさい」

　子供は素直に謝り涙を浮かべる。しかしその涙は叱責の為に生じたものでなく、夜の孤独に堪えた痕跡であった。

「ううん。お母さんもごめんね」

　それに気づいた百合は息子の頭を撫で、自らも一滴の光を落とした。口惜しさと情けなさと罪の意識が溶け込んだ、悲愴の蜜が、ぽとりと床を濡らす。

「今度の休み、どこかおでかけしよっか……」

　力なくそう問う女の声に子供は抱擁で応えた。彼もまた、母同様に苦しみ、愛を有していた。

　夜深く、静かに過ぎていく暗闇の中で、親子は互いの温もりに寄り添っていた。

　二人に幸福が満ちる事を、深く願う。