第3.5話 セトの瞳

〈エルシャ、幼馴染のセトを思いながら〉


 わたしはエル。メム家のエルシャ。階段都市クルケアンの最下層に住んでいる。

 おじいさんの代までは近くの村で漁師をしていたらしい。この階段都市に移り住んでからも、お父さんは口入れ屋の天秤のギルドイオレペレーに行く時以外は港で漁師さんの世話をしている。なんでもクルケアンの沖合には暴風がいつも吹いていて、船が沈まないように修理や点検を行っているのだとか。そんな怖い暴風ではあるけれど、私達が外に出られない代わりに外の魔物から守ってくれているらしい。おかげでこのクルケアンは海を渡った他国と比べて安心に暮らせるのだと、お父さんは幼い私によく話してくれた。

 もっともセトのお爺さんがこの海を渡ってきた頃から、より暴風がひどくなりクルケアンは他国との繋がりを絶たれたらしいので安心といわれても首を傾げるばかりだ。


 そう、幼馴染のセトとは仲良くやっている。あの子は目を離すとすぐ冒険に出かけたり、城壁に上って中層に行こうとしたりするのだが、それを除けばかわいい弟分だと思える。うん、思いたい。巻き込まれる私としてはいつも大変なのだ。


 例えば七歳の時、セトは私を小さな冒険に誘ってくれた。


「エル、クルケアンで一番きれいな場所を見つけた。いやきっとこれからもっときれいな場所に出会えると思うんだけれどもね。少なくとも今の僕では最高の景色なんだ。さぁ行こう!」


 窓から逆さまの状態で覗き込んだセトが遊びの誘いをかけてくる。なぜ逆さまかというと、屋上にいて窓の突き出しから顔だけ出して覗き込んでいるのだ。女性を誘うのにいささか礼儀を欠いているといわざるを得ない。


「……わたし、行きたくない。お母さんから飾り紐を教えてもらうんだもん。ほら見て、この花冠。シロナズリの花がきれいでしょ? これを紐と編み込んで――」


 誰が誘いに乗るもんか。わたしには経験に基づいたセト専用の危険感知能力があるのだ。えへん。


「分かっていないなぁ。エルには似合わないよ」


 なんだと。まったく見る目がない、かわいそうな幼馴染である。愛らしい女の子に対してなんたる口のきき方だ。こんなことではバル兄に魅力で勝てる日が来るはずがないな、と同情する。ちなみに三歳上のバル兄は優しさ、強さ、将来性とすべてセトの上をいく。末恐ろしき子供だった。


「エルに一番似合う景色があるんだ。きっとそこならお姫様のように輝くに違いないよ」

「えっ、本当!」


 とたんにわたしの気持ちは傾く。セトがそこまで言うのなら仕方ない。なんとなく誘導された感はあるものの、手先の器用なセトに花冠を作る手伝いを約束させて、わたしたちは外に出た。

 セトは階段都市最下層、岬の城壁の先にある塔にわたしを連れて行った。巡回中の兵士にばれないように、外壁の突き出た部分を這いながらだ。そこから塔の最上部に忍び込む。


「エル、ここだよここ。左手にクルケアンの大階段、右手に空と海! すごいや、空と海の境界がわからないよ」

「セト、確かにきれいだけれど……」


 わたしはそこまで感動はしなかった。海が怖かったのかもしれない。でも、喜ぶセトの顔を見ているうちに、こっちまでなんだか嬉しくなって、いつの間にか二人で笑いあっていたのだ。やがて夕陽が空も海も塔も赤い光に染め、昼間に暖められた石造りの塔はまだその熱を私たちに伝えてくれている。


「ね、わたしに一番似合う景色と言ってくれたけれど、誰でも似合うんじゃない?」


 少し意地悪をしたくなるのは悪い癖だ。いつも通りの軽口で、いつもどおりセトを困らせて終わるはずだった。


 ……だけど、そうはならなかった。


「そうかな? じゃぁエル、そこの端に、あぁ、そこそこ。海と空を背景に立っててね」

「落ちそうで怖いわね……これでいい?」

「うん、やはり似合っているよ。ここからなら空と海の青、エルの目の青が重なってとてもきれいだ!」

「あ、ありがとう。でも青色って?」


 すでに日は落ちて、夕焼けの最後の一筋が塔を照らしているのだ。青いはずがないではないか。


「まだこんなにも明るいのに、変なエル」

「だから、もうお日様は沈んで――」


 次の瞬間、わたしは叫び声をあげていた。


「あぁ、セト! セト、あなた目が、赤く、あ、か」


 セトの目が暗くなった塔の上で赤く光っていた。

 それは塔からクルケアン全体を照らすように広がっていく。


 動転したわたしは塔から落ちて、城壁のくぼみに挟まってしまった。体中が悲鳴を上げ、痛みで立てそうにない。足元を見ると、はるか下方に波が見えた。凪が終わり、少しずつ波が荒くなっていくこの時間では落ちればまず助からない。そして子供のわたしでは城壁まで上がれそうにない。涙で視界がぼやけていった時、セトが必死になってわたしの近くに飛び降りてきたのを見た。安心したわたしはその赤い目の光を視界の片隅にとらえながら、意識を失った。


 ……次に意識が戻ったのは飛竜の上だった。フェルネスという騎士が飛竜での巡回中に見つけてくれたのだ。何でも城壁の真ん中に明かりが見えたので、警備の兵が松明を振ったのかと思ったらしい。近くまで様子を見に来れば、そのうちにセトの叫ぶ声が聞こえてきたのだという。


「おかしいな、確かに二筋の光を見たんだが……。君達、角灯ランプか松明をもっていなかったのかい?」


 家まで送り届けてくれたその騎士は、頭を下げる親達に当然のことです、と笑顔で返していた。その時、心配して玄関まで出迎えてくれたバル兄は飛竜とその騎士の態度にいたく感じ入ったものがあったらしい。こうして、わたしとセトの小さな冒険は家族の説教とげんこつで終わった。バル兄の苦笑に、セトはやっちゃたね、というまるで懲りていない様子で笑い返していた。



 ……さて、いよいよ明日は十五歳になる年に行われる祝福の日だ。

 神殿を通して神様から祝福をもらい、その技能を磨いて都市を空まで積み上げることになる。きっと元気なセトのことだ、祝福を得てさらに目立てばその存在をクルケアン中に知られることになるだろう。いい意味でも、悪い意味でも。


 セトはあれ以降、目を光らせたことはない。でも、わたしの心配がなくなったわけではないのだ。赤い目というのはクルケアンのおとぎ話でも不吉な存在で、外壁の向こうに現れる魔獣の目の色でもある。もちろんセトはいい友人だ。あの日、わたしが城壁に落ちた時に危険を顧みず助けてくれたのだから。もし今後、目が光って周囲に誤解される時がきたら、きっとわたしが助けてみせる。


 朝食を食べ、寝室に戻って祝福の日の準備をしていると、枕元に月露花の押し花が置いてあったのに気付いた。あの時セトがきれいだといってくれた、わたしの目と同じ青色の押し花だ。なんとなく照れくささくなって、玄関にいたセトの頬をつねる。彼が抗議を込めた目を向けるのは、嬉しくて少し力を入れすぎてしまったからだろうか。そんな感じで、わたしは特別なこの祝福の日を上機嫌で迎えたのだ。


「さ、行きましょうか。すっごい祝福をもらって、今日はお祝いをしなくちゃね!」


 そしてわたしはセトの手を取り、大神殿に向かって走っていく。

 セトと過ごす時間がこれからも、ずっとずっと続くことを願いながら。 



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