第4話 祝福

〈セト、大神殿にて〉


 神様からそれぞれに能力が与えられるという祝福の日、僕はエルと共に大神殿前の広場に集まった。ここはクルケアンの中央部の空洞部分で、もともとはこの大神殿を囲うように階段都市を拡げていったとのことらしい。


「エル、あそこにいる偉そうな人は誰?」

「そのくらい知っておきなさいな。神殿長のシャヘル様よ」

「えっ、じゃぁ神殿で一番偉い人? でもなんかその辺の役人っぽいよ?」

「……なんか、どこにでもいそうな雰囲気とか、わたしのお父さんといい勝負ね」


 僕達の無駄話が聞こえたのだろうか、壇上にいるシャヘル様が大きく咳払いをした。


「まったく、この良き日にお喋りをするとは嘆かわしい。いいか、お前達は今日より力を授かり、クルケアンを天に近づけるための神の僕となるのだ。幼い心は捨ててだな――」


 長くなりそうな話を聞き流し、僕は天井にあるイルモートの像を眺める。奇妙に思うのはその像が民を見下ろすのではなく、空を見上げ、何かを掴もうと手を伸ばしているのだ。


 イルモート、人を愛し地上に降りた神。

 でもなぜ空を見上げているのだろう。


「もしかして、イルモートは空に帰りたいのかな」

「こらっ、静かにしろと言っておるっ!」


 シャヘル様の目と口が僕に向けられる。エルがそっと距離を置いたのが恨めしい。


「成長しないわね。そんなことじゃいい祝福はもらえないわよ」

「じゃ、どっちがいい祝福を授かるか勝負だ!」

「よーし! じゃ今日の御馳走の一品をかけましょう!」


 二人で盛り上がっていると、いつの間にか周りの子が遠ざかっていた。どうやら儀式の場へと移動していったらしい。真っ赤になったシャヘル様が軽い拳骨を僕らの頭に打ち付ける。意外と痛くなかったので、実は優しい人なのかもしれない。


「ほら、騒がしい娘の方は東の聖堂に行くがよい。落ち着きがないお主はこっちだ。私が直々に祝福を授けてやろう」

「えっ、神様が授けてくれるんじゃないんですか」

「――そ、そうだ。私はその仲立ちをするまでよ。まぁ、お主のような元気な小僧は煙突掃除の祝福がふさわしいかもな」

「えっ、煙突? クルケアン中の建物に侵入できるじゃない!」


 喜ぶ僕に、シャヘル様はあっけにとられたかのように固まって、エルに視線を向ける。エルはため息と共に首を振ると、シャヘル様は何かを諦めたかのように手を振って僕らを追い出したのだ。


「じゃぁ、エル、後でね」

「ええ、楽しみにしているわ」


 西の聖堂に駆け込むと、そこには長い列ができていた。みんな恨みがましくこっちを見ているのは、どうやら僕のせいで待たされたらしい。奥を見ると、走ってきたのだろうか、息が荒いシャヘル様が椅子に座ったところだった。


「はぁ、はぁ……これより祝福の儀を行う。順番に祭壇に上がるのだ」


 シャヘル様は神官と共に書類を見ながら名前と出身地を確認して、子供達を祭壇にいざなっていく。微かに床が赤く光っているのはそれが神様の力なのだろう。でもそれにしてはあっけない。何しろ、祭壇を登って反対側に降りていくだけで終わってしまうのだ。シャヘル様が戻ってきた子に何やら呟いているのは授かった祝福を教えているんだろう。


「何か、想ったのと違うなぁ。もっとこう、劇的でなくっちゃ」

「また無駄口を叩きおって! ほれ、さっさと上がれ」

「はーい」


 祭壇を駆けあがり、赤く光る床に手をついてイルモートに祈りを捧げる。煙突掃除でもいいけれど、できればクルケアンの頂上に行けるような祝福をください。


「そうしてくれたら、僕がきっと神様を天に連れていきますから」 


 その瞬間、ずん、と衝撃が体中に走る。

 目の前が赤くなっているのは祭壇の光りのせいだろうか?


 視線を下に向けると、シャヘル様が慌てたように神官を呼び寄せていた。そちらに向けて手を伸ばした瞬間、赤い光が伸びて全員が怯えたように後退あとずさった。


 そうか、光は床からじゃない。

 僕の体から発しているんだ。


 熱が体を突き抜けてくる。

 怒りが湧き上がる。涙も出てくる。

 感情が体内で暴れまわり、僕は祭壇に倒れ伏した。

 遠くなる意識で、シャヘル様の叫び声が耳を打っていた。


「神官達、この子を医務室へ連れていけ。神薬である神の二つの盃イル=クシールをすり潰したものを口に含ませるのだ。急げ、祝福の反応が強すぎて身が持たない――」



 夢の中だろうか。

 青と赤い光が混じり合う場所で、

 誰かが僕を呼んでいる気がする。


「――ルモート、わたしを殺しに来たの?」


 その声は優しい女の人の声だった。

 頭がぐるぐると回るような感じで、何が起きているのか、何を言っていたのかすぐにあやふやになってしまう。頭の後ろがじんわり温かくなって、それが体中に広がっていくにつれ、ようやく意識がはっきりとしだした。

 どうやら僕は膝枕をされているらしい。霞む目を開くと、綺麗な顔がすぐそこにあった。青い髪に青い瞳――エルが落ち着いて、上品になって、優しくなればこんな人になるのだろう。つまりは、エルとは似ても似つかない人だということだ。


「お姉さんはここで何をしているの?」

「好きな人がここに来ないようにって願っているの。ずっと、ずうっとね」

「僕の夢の中で?」

「そうね、君の夢の中だったら良かったのに」


 と、言う事はここは僕の夢ではないらしい。慌てて立ち上がり周囲を確認すると、神殿のような場所だった。大神殿のどこかだろうか。でも何か違和感があるのはなぜだろう。目の前には青い空が広がっている。鳥の声が響き、水路に水が流れる音も聞こえる。でも何かが変だ。だって、大神殿はクルケアンの中心部、大空洞にあるのだから――。


「青い空なんて見えるはずがないじゃないか! それも目の前になんて!」


 神殿を飛び出して突き当りを目指して走っていく。思ったよりも早くそこに辿り着くと、僕は大声を上げてしまった。見下ろせば青空が、視線を上げると青と黒の線が見える。そしてさらにその上には――。


「黒い空に……なんて大きなお月さま」


 ここはいったいどこなんだろうとその場に立ち尽くしていると、強い風に吹き飛ばされそうになる。雲の中に吸い込まれそうになって手を振り回していると、お姉さんが僕を後ろから抱きしめて支えてくれた。でもお姉さんはそのまま手を離してくれないのだ。


「ねぇ、君はまだクルケアンを登って天を目指すつもり?」

「……うん」

「何のために?」

「分からない。でもそうしなきゃって思うんだ」

「好きな人と永遠に会えなくなっても?」


 お姉さんは難しいことを言う。それは大事な人を置いていくという事だろうか。確かに父さんや母さん、バル兄と別れるのは辛いかな。それにエルにさよならを言うのは――難しいかも。困って無言でいると、お姉さんは抱きしめる力を強くした。背中から伝わる熱に、すこし照れてしまう。


「お、お姉さんの方はさ、その人と永遠に会えなくても平気なの?」

「辛いけど平気よ。だってここからなら、わたしは歩むはずだった幸せな未来を見ることができるの。そのためなら永遠の孤独だって耐えられる」


 自分が犠牲となって周りが幸せになるという事だろうか。やっぱりお姉さんのいう事は分からない。でも一つだけ言いたいことがある。


「そんなのつまんないよ!」

「つまんない?」

「そうさ、僕とエルの悪戯の信条は、いつかはみんなを幸せにすること! いまは迷惑の方が大きいかもだけど、大人になればクルケアン中を巻き込んで悪戯をして笑顔になってもらうんだ。だからお姉さんのこともきっと!」

「ふふっ、何て欲張りなのかしら。エルは相変わらずそう思っているのね」

「えっ、エルを知っているの」


 振り向けば、お姉さんの何かを企むような目があった。

 あっ、この目はやばい。これはエルが大きな悪戯をするときの――。


「今度もあなたの方からエルに想いを伝えてね。悪戯ではなく、ちゃんと素敵な雰囲気で。分かった?」


 エルに何を伝えるんだろう。想いって、苦情とかだろうか。

 そしてお姉さんは両手を僕の胸につけ、えいっ、と押したのだ。

 当然、背後には雲が広がっていて――。


「えええぇえ!」


 視界の上で手を振るお姉さんの顔がどんどん小さくなり、僕は空を落ちていることに気付く。無我夢中で手を振っていると、はるか下にクルケアンが見えたのだ。


「え、え、クルケアン? ぶつかっちゃう!」


 ぶつかる、と思った瞬間、僕は思いっきり体に力を入れた。


「痛い!」


 部屋に僕と女の子の声が響き渡る。痛む額を手で押さえて周りを見れば、同じような態勢のエルがいた。


「もう、セトったらいきなり飛び起きないでよ!」

「エル? ということはさっきの綺麗なお姉さんは夢かぁ」


 そう呟いた時、エルが僕の頬を思いっきり抓ったのだ。


「医務室に運ばれたと聞いたから心配して駆け付けて来たのに! へぇ、綺麗なお姉さんの夢を見ていたの。いいご身分ね!」


 言い返そうとした時、エルの目の周囲が赤いことを見てしまう。恐らく心配して付き添ってくれたんだろう。夢の謝罪をするのは変なので、お礼だけ口にすると少し機嫌が直ったようだ。そして僕達の騒ぎを聞きつけて、シャヘル様が部屋に入ってきた。こちらはずいぶんと機嫌が悪いようで僕と、なぜかエルを睨みつけながら椅子に座った。


「倒れたなら、もう少し静かにせんか。まったく騒ぎばかり起こしおって」

「シャヘル様、ありがとうございます。倒れた僕を介抱してくれたのは皆さんですよね」

「ほう、礼を言えるか。ならば感謝の気持ちを忘れず、成長すれば神殿にちゃんと喜捨をするのだぞ」

「……もちろん(しないけども)です。あっ、そうだ、僕の祝福はどうだったの?」

「ちゃんと授かっておる。お主の祝福はどうやら印というものらしい」

「どうやら? らしい?」

「予想外のことで慌てて調べたが、お主の祝福は四百年以上前の文献にしか確認できず、詳細な記述もない」

「えぇ! もしかして使えない祝福なのですか。なんで神様はそんな祝福を?」

「神の御業を疑うものではない! 神代には神と人を印の祝福者が結びつけたらしい。むしろこの都市になくてはならない祝福のはずだ」


 シャヘル様の話を聴いて少し安心する。みんなに必要とされる祝福ではなかったけれども、自分だけの祝福というのも特別でちょっといいかも。


「エル、君の祝福はどうだったの?」

「へへん、水の祝福よ、すごいでしょう!」

「水の祝福だって!」


 水の祝福はクルケアンになくてはならないものだ。塔内部の浮遊床を水圧で上下させたり、張り巡らされた管に水をめぐらせたりと水に干渉する力を得るという。確か、クルケアンには十人しかその祝福者はおらず、その全員が評議員として上層に登っているほどだ。得意顔をするエルの顔を見て、シャヘル様が眉間に皺を寄せて窘めた。あっ、これは何かしでかしたに違いない。


「これ、嘘は言っておらぬが、真実を伝えきれていないぞ。それだけではないだろう?」

「えっ、他にも祝福があるの?」

「そ、それは、そうだけど……」


 言いづらそうにするエルを横目にシャヘル様は重々しく言い放った。


「この娘は手と口の祝福も受けておる。普通は工芸や弁論などの職に向いているはずだが、この娘については違うだろうな」

「えっ、どういうこと?」

「セトよ、さっきも抓られたあたり、お前にも心当たりあるのではないか?」

「抓られた? もしかして手が早くて暴力的ってこと? なら口は……詐欺師?」

「違う! 考えれば即実行、皆がわたしについてくるっていう指導者の祝福なの、きっと!」


 あぁ、神様は何て危険な人物に祝福を授けたのだろう。きっとクルケアンはエルに支配されてしまうに違いない。せめて僕の祝福で彼女をおとなしくできないものか。


「何? わたしに何か文句でもあるの?」

「いいえ、ちっとも」

「もう、本心を隠すのはセトの悪い癖よ。たまにははっきり本音を伝えなさい」

「だって怒るもん」

「怒らないから!」


 ……結局、エルに頬を抓られ叫び声を上げるはめになる。まったく、だからエルに本心を伝えるのは嫌なんだ!


「ええい、うるさいっ、元気になったのなら早く帰れっ!」


 こうして、すごい祝福を得たはずなのに、僕とエルはしょぼしょぼと帰宅するのだった。途中で空を見上げても、そこにはクルケアンの頂上があるだけで、あの空の神殿はない。


「ま、いっか。登ればわかることだし」

「ん、空に何があったの?」

「ふふん、夢の中だけど、僕の冒険話を聞かせてあげよう」

「ほほう、あの綺麗な女の人のことね。よし、聞かせることを許す」

「承りました、水の祝福者様。空の上にはね――」


 話に夢中になって道草が長くなる。どうやら頂上へ行くよりも、家族が待つ家に辿り着く方が僕にとっては難しいのかもしれない。

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