第3話 神殿と赤光


〈バルアダン、失った家族と新しい家族を思う〉


「父上、ヒルキヤおじいさまはどこにいるの! おじいさまの罪はこれまでの功績で償われたはず。いなくなる必要などないはずです!」

「バル、良くお聞き。おじいさまは騎士をやめたわけではない。クルケアンを守る、といって出ていったのだ。お前が正しく騎士の道を進めば、きっとまた会える。その時を待つのだ」


 ……両親を父上、母上と呼んでいたのはいつの日までだったろうか。

 そうだ、物心がついた頃、罪を犯した祖父を失い、家族が上層から最下層に追放となったあたりからだったはずだ。

 だが、今となっては気軽に父さん、母さんと呼べる下層にきて良かったと思う。大貴族だったとはいえ、武辺なことにしか関心のない家では、むしろここでの暮らしは気兼ねなく楽しいものであった。


「バル兄、またエルが殴るんだ!」

「セトが私の部屋に蛾をいっぱい放り込むからよ!」

「あれは蝶! 青紫の羽がきれいだったでしょ?」

「蝶も蛾も一緒!」


 私は苦笑しながら喧嘩をしている弟妹の首を掴んで引き離したものだ。

 最下層の家では数家族が一緒に住むのも面白い。セトとエルの起こすドタバタ騒ぎに、住み始めたばかりの私は大いに助けられたものだ。なにしろ落ち込む時間も与えてくれなかったのだから。それに彼らがいなかったら私は騎士の道を捨てていただろう。二人の面倒を見るうちに、また、懐かれていくうちに、人を守るという騎士としての在り方を目指すようになっていったのだ。


「二人とも仲直りをしなさい。それにセト、その蝶は外に放してあげよう」

「えぇ、せっかくエルのために捕まえたのに……」

「蝶は自由にどこまででも飛んでいけるよ。もしかしたらこの階段都市の頂上にも行けるかもしれないんだ」

「あ! そうだね。分かったよ、バル兄」


 セトは素直にうなずく。階段都市を愛するこの子はどこか変わっていて、常に優先順位はこの都市を知ることだ。街の人たちもよく分かっており、屋上や城壁を走り回る姿をいつもの景色として受け止めている。ある時には各層をつなぐ塔内に設置された、水圧式の浮遊床を使わずに中層である百二十層まで到達し、フェルネス隊長に捕まえられて帰ってきたこともあった。

 その隣にいるエルは活発で明るい子だ。セトにすぐ手が出るのは恥ずかしがり屋のためで照れを誤魔化しているのだろう。ただ、このまま大人になるのは一抹の不安があるので、貴族の言葉遣いや淑女の礼儀作法を教えている。本人から尊敬の目で見られるのは嬉しいのだが、いまだその作法が身についたためしがないのが残念だ。


「バル兄はまるで物語の王子様みたいだね。わたしもお姫様になったかのよう」

「え、お姫様? どこにいるの?」

「あら、ごめんあそばせ。手が滑ってしまいましたの」


 エルはそう口に出してからセトを小突いた。どうやら淑女への道は長そうだが、それでも私は、そうやって笑いながら過ごす一日を愛おしく思う。新しい家族、守るべき弟妹を得て、このままここで成長するのも悪くない。そう考えながら過ごすうちに祝福の日が訪れた。


 十五歳を迎えた年の祝福の日、私は武の祝福を授かった。

 祝福の日から成人までの三年間を、クルケアンの子供達は訓練生として三十層から三十五層の学び舎で準備や訓練を行う。……全ては成人後に階段都市を積み上げるために。

 希少な武の祝福持ちの私は、神殿の命令でその三年を兵学校で過ごすことになった。そして卒業を目前にしたある日、私は兵学校のラメド校長に呼ばれたのだ。


「飛竜騎士団のベリア団長から騎士団への入隊要請が来た。フェルネスも君を推薦するとのことだ。兵学校としても首席として、剣技試験、槍技試験、個人戦、隊での模擬戦闘評価……全てにおいて優秀な成績を修めた君を誇りに思うぞ」

「はっ、光栄であります」

「……だが、あそこは命を落とす危険もあるし、最前線で敵を殺すことも任務の一つだ。正直、君は戦うには優しすぎるのでな、希望は尊重するから慎重に選んでくれ」


 兵学校の教官という道もあるし、地上で隊商カールヴァーンを護衛する兵士になることもできるのだとラメド校長は口を濁す。兵学校の責任者らしからぬその言葉に、私は耳を疑った。


「いえ、他の道などありません。このバルアダン、飛竜騎士団への入隊を志願します」

「……そうか、いや、悪かった。若者はそうあるべきだな」


 私にしては珍しく興奮して配属を願うと、やがてラメド校長は破顔し、肩を叩いて激励してくれた。


「ありがとうございます。ところでラメド校長、祖父のヒルキヤとは友人だったと聞いておりますが?」

「あぁ、君に似て強く、頑固な男だった」


 遠い目をする校長に、私は祖父との絆を確信する。敬愛すべきこの上官は、私に道を示してくれるのだろうか。


「私はもう成人です。どうか祖父の追放の真相を聞かせてくれませんか」

「……やめるんだ、バルアダン」

「赤光とは何なのです? クルケアンには何の秘密があるのでしょうか!」

「やめろといっておる! 首を突っ込めば今度こそ父母共に処刑されかねん。もしかすると、お前の大事な弟妹もだ。いいか、祖父が姿を消したのは家族を守るためだったのだぞ!」


 夕日がラメド校長の顔を赤く染め上げる。

 暫しの沈黙を経て、私は一礼し、二度とこのような質問はしません、と非礼を詫びて退室したのだった。

 広場に出て見上げれば、百九十層の飛竜騎士団の拠点が見える。だがその上には元老や貴族たちの宮殿があり、クルケアンを支配する評議会があるのだ。飛竜を手にさえすれば、私もその上層に行けるのだろう。その時こそ真相を掴むとしよう。ただし家族に迷惑が掛からぬよう、誰にも悟られずに……。



〈ラメド、執務室にて〉


 バルアダンが部屋を辞した時、ラメドはここにはいない旧友に向かって呟いた。

 

「血は争えないか、ヒルキヤよ。バルアダンの奴はお前に似てまっすぐできれいな目をしておる。それだけにお前のようになるのではないかと心配をさせる――」


 夕日の光を疎ましく思うかのようにラメドは窓を閉め、ため息をついた。きっとバルアダンは秘密を求めて行動するのだろう。いずれ破局が避けられないのであれば、自陣に引き入れるなり、または安全のために西方の諸都市へ公務で赴任させるなど、身の振り方を考えてやるとしよう。


「……過去に対して責任を取るのは老人であるべきだ。若者に対して背負わせるなど、どうしてできよう。ヒルキヤ、お前もそう思っていたはずだ」


 ラメドは都市の裏側に潜伏しているはずの友に向けて呟く。その時、執務室の扉が叩かれ、部下が来客を告げた。神殿長のシャヘルという、会いたくもない客人のことを思い出し、高価な茶を一気に飲み干してから、部屋に通すように命じる。その人物は予想通り無遠慮に長椅子に腰かけると、茶も菓子もないのかと苦情を言う。


「ちょうど隊商カールヴァーンから良い茶葉を手に入れたのでな、いま準備させるのでそれを味わっていただこう」


 ラメドは「あの茶葉を用意せよ」と指示すると、部下は心得顔で一番安く、渋みのある茶を用意する。シャヘルは喜色を浮かべて茶を口に含むが、そのまずさに吹き出しそうになる。だがラメドが飲んだ振りをして西方の茶葉の味を褒めたたえ、貴人が好むものだと説明すると、我慢して美味しそうに啜るのだった。

 

「さて、用件は分かっておろう。兵学校を卒業する訓練生の半数を神殿に供給していただく。今日はそのための名簿と成績表を預かりにまいった」


 シャヘルのいう半数とは「成績の優秀な者から順に半数をいただく」という意味である。ラメドは渋い顔をして資料を机上に置くが、その手は抑えたまま睨みつける。おそらく他の訓練所にも同じような要求をしているのだろうが、そんな無茶を要求されては軍やギルドの人材が枯渇してしまうのだ。


「なぜ神殿に兵が必要なのか。クルケアンに敵対する者がいれば軍に任せればいいではないか」

「ふん、魔獣の被害を増やしておいて何を言う。教皇猊下は市民のために、命を惜しまぬ騎士団を自ら組織なさるおつもりだ」

「神殿の騎士団だと? シャヘルよ、軍と神殿の対立を激化させるつもりか!」


 ラメドは驚きと怒りを隠しきれずに問い質す。軍と神殿は対立しているが、権威は神殿にあり、実力は軍にあることでその均衡を保っていた。しかし神殿が軍事力まで手にすれば、それが崩れてしまうのだ。そしてラメドはここにきてあることに思い至る。もしかして均衡が崩れてもよい状況がすでに始まっているのではないだろうか、と。


「た、対立をするつもりはない! それに飛竜騎士団がある限り軍の優位は崩れないではないか。……軍の各層の詰め所だけでなく、小神殿に神官騎士がいれば効率よく魔獣の被害を抑えられるはずとは思わないか?」

「小神殿に軍の兵を入れればいい」

「それこそ対立を煽ることではないか。ともかくこれは決定したことだ。さぁ、名簿と成績表を渡してもらおう」


 シャヘルは資料をひったくると、首席の訓練生を探し出す。その抜群の成績に、教皇に良い報告ができそうだと喜色を浮かべた。


「残念だな、その者はすでに飛竜騎士団へ内定が決まっている」

「何を馬鹿な、猊下の意思に反することなぞ、叶うと思うてか」

「飛竜騎士団のベリア団長が決めたことだ。どうだ、クルケアン最大の武力と事を構えてみるか?」

「……報告はさせてもらうぞ。後で後悔しないようにな」


 そしてシャヘルは律儀に茶を飲み干すと短く礼を言い、慌ただしく部屋を辞した。もっとも去り際に図々しく神殿への喜捨を求めるあたり、この男も常人ではない。その後姿に向けて、ラメドの部下が腹立たしさを隠そうともせず扉を閉めた。


「どうせ、喜捨の半分は懐に入れるのでしょう。あのような男が神殿長に成り上がるなど、神殿はどうかしている」

「そうは言うがな、あの男が一番話が分かるのだ。と言うより、他の高位の聖職者共は話すらできん」


 シャヘルは小心で、欲深くはあるが残忍な男ではない。

 神殿長まで昇進したのも資金調達や、軍やギルドへの交渉など、俗な部分を上層部に評価されてのことだ。だが浅はかな男だけに教皇がその思惑を伝えているはずはない。ラメドは軍の上層部に今回の件を伝えるように部下に命じ、こめかみを抑えて呟いた。


「教皇トゥグラト、もしや貴様の代で魔獣が増えたのも計画通りという事なのか?」


 考え事をしていたラメドは、無意識に茶杯を取り口に含んだ。そしてその渋さに吹き出すと、慌てて部下を呼び戻し、いつもの茶を用意するよう頼んだのである。

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