第331話 星を見る人⑪ あなたと見上げる夜空

〈バルアダン、精神の内で〉

 タダイ、なぜ人を恨む。

 お前の仕えた主の想いに反すると知りながら、

 なぜ世界を滅ぼそうとする。



 ……お前には分かるまい、バルアダン!

 お前らヒトは全てを私から奪ったのだ。

 主の祝福を、そして願いさえ裏切って戦い、憎悪をまき散らした。

 あの御方はそれを望んではいなかったのに。

 天の広寒宮で、私と主だけがいればよかったのだ。

 そう、世界はその始まりのままでよかったのだ……。



 タダイ、知っているはずだ。

 この月の都には最初は一人しかいなかった。

 主神がただ一人、地上を見上げているだけだったのだ。


 ……知った風な口をきくな、バルアダン!

 貴様が我が主を語るな、あの御方のことは私だけ、私だけが……!



 タダイ、知っているはずだ。

 私とお前は共に同じ精神の回廊にいるではないか。

 私はお前のことを知っている。

 お前は私のことを知っている。

 主神は孤独に耐えかねて地上の魔獣から一人の人間を創り出したのだろう?

 始まりの人、神に愛されし人、

 それがお前だ、タダイ。

 お前は人が憎いのではないはずだ。

 本当は置いていった主神が憎いのだろう?

 ……いや、寂しかったのだろう。



「黙れ、黙れ、バルアダン!」



 主神はお前のために人の世界を創ったのだ。

 お前が多くの家族に、仲間に囲まれるように、

 そして幸せに暮らしていけるようにと。

 愛する我が子が、笑って生きていけるようにと……。



「バルアダン、貴様の愛する家族と仲間を殺してやろう。幸せな時間が過ぎ去れば、いかに苦しいか、お前にも味わってもらおうぞ」



 タダイ、やはり知っているではないか。

 人の幸せも、それを失う苦しみすらも。

 やはりお前は人間なのだ。

 だがな、私の家族も、仲間はお前になど負けはしない。


 死してなお、誇り高いハドルメの騎士、ヤバルの矛の鋭さを見ろ。

 お前にその強さはあったか?



「強さなどいらぬ、私が欲しいのはそんなものではない!」



 ではラシャプを、モレクを見るがいい。

 獣の神でありながら家族を手に入れた彼らを。

 そしてフェルネスの精神の内にあり、ついには人の友人となったメルカルトを。

 そして人であるオシールと共に戦うダゴンのことを。

 どうだ、今までの彼らよりも強いだろう?

 あれが人の強さだ。

 お前の欲しかったものは家族ではないのか?

 仲間ではなかったのか?

 


「家族も、仲間も要らぬ! 私は欲しいのはただ、ただ……」


 バァルがセトとエルを率いて現れたな。

 それにタニンの背中にはアドニバルもいる。

 それに、ガド、エラム、トゥイ、レビ……。

 未来を託す子供達だ。私が守るべき家族だ。

 きれいな目をしているだろう?

 幸せな明日が必ず来ると信じている目だ。

 タダイ、お前もあの眼をしていたはずだ。

 思い出せ、思い出せ……。



「何も思い出せない、何も思い出したくない――」



 親の記憶はあるだろう。

 お前を愛し、育て、叱り、見守っていた主神の姿が。

 その時、主神はああいう目をしていたのではないか?

 サラ導師、タファト導師、イグアル導師、

 そしてその先頭に在って子供たちをかばうフェルネスのような目を。

 そして思い出せ、家族を守るために死んでいった、

 ギデオン、ヒルキヤ、メシェク、ガムドの強さを。



「ち、力が失われていく。フェルネスめ、私に何をした!」


 人の願いを注いでいるだけだよ、タダイ。

 怨みでもなく、ただ愛する人と共にいたいという唯の想いだ。

 タダイ、あまり心配をするな。

 こうやって人は獣欲を抑えることができるのだ。

 時に間違えたとしても、今まさにイルモートの力を抑え込んでいるだろう?

 家族の記憶が、お前の寂しさを和らげてくれるように。



「バルアダン、私は負けるのか……。いや最初から勝ってはいなかったのだな」

「お前は勝とうとしなかった。ただ父親を求めていただけだ」



 フェルネスがタファト、イグアルと共にクルケアンの記憶を巨大な魔獣に注ぎ込んでいく。魔獣はうめき声をあげ、しばし何かに縋るように空の上にある青い星を見上げていた。やがて前脚を大きく差し伸べ、星を掴もうとし、成せないまま沙場に倒れ伏した。やがて魔獣はバルアダンの姿へと変わり、セトとエルシャが駆け寄っていく。だがそれをまだ呪いは残っていると、ダレトが制したのであった。やがてバルアダンの体がむくりと起き上がり、ダレトに向き直る。


「……ダレト」

「……バルアダン、バルアダンだな!」

「あぁ、みんなのおかげで意識を取り戻した。ありがとう」

「なら、その呪いを解くぞ、それでめでたし、めでたし、だ」

「まだこの力を使ってやりたいことがあるんだ」

「馬鹿なことを言うな! もうお前は十分に――」


 バルアダンは叱られた子供のように目を伏せると、イルモートの力を使って二体の魔獣にその力を振りそそぐ。魔獣の獣欲を代わりに受け止め、またクルケアンの願いを流し込むことによりメシェク、ガムドがその生と肉体を取り戻したのである。バルアダンはオシールにもその力を降り注ごうとするが、オシールは笑ってそれを拒否したのだった。


「父上、残るお力は王妃と出会うためにお使いください。私はその横で侍ることができさえすればいいのです」

「シャマールが寂しがるだろうな」

「いいのです。あいつは地上で新しい家族を我らの代わりに営むのですから」


 バルアダンはオシールに向けて笑顔を向けた後、人として復活したメシェクとガムドに向けて自分の弟妹の世話を願う。


「私の大事なセトとエル。まだまだ甘えん坊な二人だから、叱ってくれる父親は必要でしょう。二人が幸せな家庭を持つまであなた達は生きて欲しいのです」


 バルアダンはメシェクとヒルキヤにかかっていたイルモートの呪いを受け、再び赤く光り輝きだす。肉体も精神もすでに限界を超えており、ひびが入るように呪いが浸食していく様を一同は見守るしかできなかった。そして最後にバルアダンはバァルの方へ向かって青白い光を放つ。


「……バァル、タダイの魂を君に託そう。この憐れな神の子に罰と救いを与えてやって欲しい」

「承知した。神々の長としてその願いを受け取ろう」


 全てをやり終えたバルアダンは親友の元へと歩み寄る。


「ダレト、クルケアンの願いの力を使い果たした今、イルモートの呪いを解くなんてできないことは私が一番よく分かっているさ。どうせ、その呪いの半分を引き受けるつもりだったんだろう?」

「当たり前じゃないか、お前の苦しみを引き受けずにどうして友人と言える! さぁ、呪いを早く寄越せ、バルアダン」

「……私は実は恨みをひきずる性格なんだ」

「何を言ってる?」

「あの時、私を置いていったな、ダレト。お前がアナトと名乗ってから今まで、それが一番恨めしかった。救うこともできず、置いていかれたのが悔しかった……」


 思えば飛竜騎士団となった頃、甘い理想と未来を描いてダレトと共にクルケアンの暗部に挑んでいったのである。ただ純粋に友と肩を並べて戦った日々が今はただひたすらに懐かしい。残念なことはその時間が短かったことだが、だからといって幸せな記憶が損なわれるものでもない。

 次第にイルモートの呪いに身を焼かれていくバルアダンは、憎しみが自身の体を支配していくことを感じていた。なにより手は知らずに剣を抜いており、相手を殺そうと振り上げているのだ。自分が人である最後の時間を、バルアダンは共に願うことに用いたのである。そして精一杯の虚勢を張って作り笑いを向けているのは、友が背負う重みを軽くしたいからでもあった。


「今度は私がお前を置いていく。これでおあいこだな。さぁ、まだ私の魂が残っているうちに殺してくれ」

「来るなバルアダン! 今からでも間に合う、呪いを寄越すんだ!」

「他の誰かにさせるつもりか? 頼む、私は人のうちに死にたい。そしてサリーヌに会いに行きたいんだ」



 バルアダンが剣を振り上げたまま、ついにダレトと抱き合うように身を寄せる。嗚咽だけが静かに月の沙場に響いていた。やがてありがとう、と馬鹿野郎、という声が漏れると、バルアダンの背中を短剣が貫いた。


 

 消えかかるバルアダンの魂は自分の遺体を抱きかかえ泣き叫ぶ友人を見下ろしていた。触れぬと知っていながらダレトを強く抱きしめると、サリーヌの魂が眠る行宮へと歩いていく。そこにはヒルキヤ、ギデオン、ラメド、ヤバルが待っており、バルアダンを中庭へと導いた。記憶の花が咲き誇るその場所には月の風を受けてサリーヌの魂が眠っている。バルアダンはサリーヌの髪を優しく指で梳いて、昔にしていたように優しく声をかける。


「サリーヌ、起きなさい、サリーヌ」

「あれ、バル……?」

「あぁ、そうだよ。本当に長く……良く寝ていたね」

「あれ、夜中まで寝ていたの? 恥ずかしいからアドニバルには内緒にしていてね」

「大丈夫、ロトに飛竜の乗り方を教わるんだってここ数日は村に行っているよ」

「良かった。……ねぇバル、私とってもいい夢を見ていたような気がするの」

「どんな夢だい?」

「それがね、普通の、当たり前の生活の夢。みんなとご飯を食べて、悪戯をするアドニバルを追いかけて、ロトやオシール、シャマールに勉強を教えて……そんな夢」


 バルアダンは本当に素敵な夢だと頷いた。多くのものを失い、人は初めて日常こそが貴重だと分かるのだろう。それは宝物のような時間であり、彼がこぼしてしまったものだった。


「これからは私もその夢を見てもいいかな?」

「あ、さては仕事のし過ぎで疲れたんでしょう? バルは真面目過ぎるからね。今日くらいはゆっくり休みなさい!」


 サリーヌはバルアダンを抱き寄せ、膝の上にその頭を乗せる。そして子供をあやすように頭を撫でていった。


「ねぇ、バル。今日は空に珍しい星が浮かんでいるのね。なんて不思議な、青いきれいな星……」


 バルアダンはサリーヌとその先にある青い星を指でなぞる。


「ああ、きっとあそこにも人がいて、家族がいて、家があるんだろう。今頃は夕飯でも食べているのかな……」

「いいのよ、もう眠っても。今度は私が起こしてあげるから……」


 想い人が良い夢を見られるよう、サリーヌは子守歌を歌う。最愛の人の歌声と体温に包まれながらバルアダンの魂は眠りに落ちていった。



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