エピローグ 階段都市クルケアン
第332話 ただいま
タダイとの戦いの後、ラシャプ、モレク、ダゴン、メルカルトの神々は全ての力を失い消えかけていた。本来の敵、本来の目的ではなかった戦いではあるが、なぜか魂が高揚しているのだ。ラシャプとモレクは寄り添いながら、ダゴンはオシールと拳をつき合わせながら、そしてメルカルトはフェルネスに笑いかけながら死を待っていた。
バァルは神々の長として彼らに何か望みはないかと尋ねた。死を前に聞くものではないが、自然に口に出たのである。長年の宿敵に対してわずかでも報いることをしたいと思うようになったのは、きっと長年の同居人のせいだろう。
そして神々は一つのことを願う。
いつか人として生まれ変わりたい、そう心から願ったのだ。
セトの短剣に宿るイルモートはなんて素敵な願いなんだろうと、エルシャの髪飾りに宿るエルシードに語り掛ける。そして兄であるバァルにある提案をするのだった。
「バァル、僕の呪いは人の想いでもある。人が生きていく限りその忌むべき力も復活するだろう。だからその力の行き着く先を僕とエルシードは作ろうと思うんだ」
「そのため、わたしたちは天国と地獄、どちらかを作るつもりだった。わたしの精神、イルモートの魂では一つの世界しか作れないもの。でも今なら両方作れると思う」
イルモートがセトの口を借りて月の荒野を指し示す。
「月には死者の魂を休め、いつかまた地上に生れ落ちるための天国を創る。魂が安らぐための揺りかごはエルシードの精神を用いよう。そしてその中に僕の魂を満たして世界とするんだ」
エルシードはエルシャの口を借りて宇宙の果てを指し示す。
「悪しき魂を世界の狭間に置いて、獣欲を削ぎ落してから天国に送る地獄を創りましょう。その魂の牢獄はタダイの精神を用いるの。そしてその中には彼の魂を満たして世界とするのよ」
バァルは二人の提案を受けてしばし悩む。神々の人に生まれ変わりたいという願いも、人が持つ共に生きたいという願いも、そして浅ましい獣欲を浄化することも叶うというのに、愛する二人だけが救われない。バァルは彼らこそ人として生まれ変わり幸せになって欲しいと思うのだ。
その時、場違いに明るい声が周囲に響く。アドニバルがバァルの巨大な竜の頭に飛び乗って大声で笑ったのだ。
「バァルも固いんだから。もっと気楽に考えなよ」
「アドニバル、お前はもっと考えるべきなのだ!」
イルモートとエルシードは、心底困ったような声を出す兄に驚いた。あの謹厳な兄が慌て、困るような態度をとっているのだ。きっと人と交わることで兄もまた変わっていくのだろう。そしてエルシードは生き別れとなったアドニバルに向けて大きく手を振った。
「アド! また会えたわね。さぁこっちへいらっしゃい。あなたに分けたわたしの力を回収するわ。それで人として生きて……」
アドニバルは昔のように笑顔を向けてくれるエルシードを見て、嬉しくも思いつつ、やっぱり弟としか見てくれないんだなぁ、と苦笑する。ならせめて想い人の幸せを願うのが弟分としての役目だろうと大きな声で宣言する。
「エリシェ姉ちゃん! 姉ちゃんの神様の力なんだけど」
「うん、ちゃんと抜き取ってあげるから!」
「返さないから!」
「へ?」
エルシードの力を受け取り、死なずに何百年以上も生きていたアドニバルは、バァルの頭の上で舌を出した。そして悪戯好きも、わがままもいい加減にしなさいと説教を始めるエルシードに向かってからからと笑う。
「うん、正確には半分は返そうと思うんだ。それも姉ちゃんと兄ちゃんにね。天国でゆっくり休めばいつか人として生まれ変わることができるでしょ?」
「じゃ、もう半分は?」
「天国だって管理人は必要だよね。だって思い出に浸って休むだけって面白くないじゃない! もっとこう、楽しいところじゃないと!」
僕が面白い場所になるように保証するよ、とアドニバルは胸を叩く。そしてそのためにももうしばらくは人の理から外れたいのだとエルシードにお願いをするのだった。竜の頭上から飛び降り、頭を下げて上目遣いでこちらを覗き見る様子に、エルシードは断られるとは思ってもないでしょうとため息をつく。
「……ということだ。だからバァル、僕の精神に戻っておいで」
「何を言う! せっかく互いに戻れたというのに」
「でも、バァル、イルモートとエルシードもいなくなると寂しいでしょう? ほら管理人なら天国で二人に会えると思うよ。それに力を取り戻した今ならいつでもその体に戻れるんだろ?」
最初からそう考えていたのかと、バァルは天を仰ぐ。この友人は自分が孤独に耐えられるよう、付き合ってくれようとしているのだ。バァルは千年、万年にも及ぶ長い時間を、ただの笑顔一つで安請け合いする愚かで素晴らしい友人に向けて頷くと、友人の精神の中へと再び入っていった。
アドニバルは満足そうに頷いた後、少しだけ身構えて近づいてくる男の小言に耐える準備をする。
「アドニバル、馬鹿なことをいうな。お前は俺と一緒に地上へ帰るんだ」
「もう少し遊んでからでもいいでしょ? ロト兄さん」
「そのもう少しという時間は千年後だろうに!」
「いいや、次の新月には帰るって」
その言葉にその場の全員が驚き、視線がアドニバルの顔に集まった。バァルは精神の内でこれが本当の目的なのか、してやられたと嘆いている。
「え、だってエリシェ姉ちゃんの力とバァルの力を取り込んだんだよ。タニンにも力を分ければさ、いつでも地上と天国を行ったり来たり出来るよね。うん、面白い冒険がいっぱいできそうだ!」
すでに管理人としての仕事の半分ほどは放り投げているアドニバルに全員が降参する。人は神の支配の代わりにこの悪戯好きな管理人に振り回されるのだろう。そして人が対抗するには同じ悪戯好きの人間をぶつけあうしかないのだ。だがそれは血で血を流す争いよりもっとましで楽しいものになるはずであった。
そしてアドニバルはイルモート、エルシードの手をとり、バァルの魂と共に天国と地獄の創生を始める。やがて月は光に包まれ、名実ともに死者の国となった。消えゆく神々は繭のようなその世界に溶けていき、また死を前にしたオシールもその光に体を包まれる。手を大きく広げたのはもしかすると誰かが迎えに来たのかもしれない。そしてオシールは子供のような笑顔で魂を天国に委ねたのであった。
「ロト兄さん、タニンとハミルカルにも力を分けたから、皆を地上によろしく。そうだ、クルケアン下層の隠れ家だけど、あれ僕の秘密基地だからばれないように守っといて」
「分かった、分かった。だが次に帰ってきた時は稽古をつけてやるからな。遊ばずにここでも鍛錬をするのだぞ」
「ふふん、ヤバルさんに稽古をつけてもらって、兄さんを打ち負かすつもりだから、覚悟しておいてね」
「そうか、それは楽しみだ」
そして一行は地上へと戻り、アドニバルは誰もいなくなった月で大きく伸びをする。
「さ、バァル。次は何をして遊ぼうか」
「天国ではお前の両親が待っているだろうに。早く行ってもう一度、人の常識と言うものを教わってこい」
「バァルが人の常識だなんて、変わったねぇ」
「誰のおかげだと思ってるのだ!」
そういって笑いながらアドニバルは月の砂を踏みしめて新しい世界へと足を踏み入れる。オシールが遅いといって頭を小突き、悪戯の師匠であるギデオンがアドニバルに思わせぶりな笑顔を向ける。その様子を見たヒルキヤは困ったように肩を竦め、アドニバルが行きたい場所を指し示した。そして駆け出したアドニバルは小さな家に駆けこんで扉を力強く開ける。
「ただいま、父さん、母さん!」
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