第333話 おかえりさない

 ハドルメの民が魔獣から人に戻ってから五年後、半ば廃墟と化していたクルケアンの復興が進み、多くの人がこの地に戻ってきていた。中層から崩れ落ちた石と木材を人々は横に広げ、往時と比べて都市の規模は広がっている。復興にはアスタルトの家が尽力し、父のギルドも引き継いだエルシャが人を回し、セトが彼らを率いてお祭りのようなにぎやかさで都市を建設する。そしてその都市設計はエラムが担当し、水力を用いた都市へとクルケアンは変貌を遂げたのである。トゥイは死んでいった人たちのことを忘れまいとクルケアンの物語を出版し、多くの人がそれを買い求め、利益はまた都市へと還元された。そしてガドは部下を率いて都市や街道の治安を守り、人々は安心して生活ができる毎日を享受していた。

 クルケアンの住人が喜んだことに、新しい都市では娯楽に事欠かないのである。例えば最近、彼らの興味を引くものといえばある男女の仲についてであった。それは醜聞や艶聞の類ではなく、夫婦げんかを賭けの対象として楽しんでいるのであるが、勝敗が見えているにもかかわらず、弱い方を住人は応援するのだ。もし弱い方が勝てばその金はクルケアン市民の宴会に使われるということもあり、なおさら賭けたくなるのだろう。


「とうとうザハグリム評議長が対決を宣言したぞ!」

「今年に入ってもう三度目じゃないかい。こんどはどんな泣き言をいってるんだ」

「何でも夫に優しくする日の記念日を作るんだって主張して奥方に反対されたらしいぜ」

「それに同意した評議員の男連中と、これ以上甘やかすことはないとしたウェル副議長派が実力行使に出たらしい」

「……票が割れた時は飛竜を使っての模擬戦で決めるってやつか。評議員も大変だ。夫婦の口論に巻き込まれて自分達まで喧嘩をしなきゃいけないんだから」

「で、どっちに賭ける?」

「もちろん、弱い色男の味方さ。ウェル副議長、三人目を産んだばかりだろうに。相変わらず旦那には厳しいことで」


 こうして賭け金が胴元に放り込まれ、今日もそのお金は宴会用に貯められるのである。噂にはその胴元を支配しているのはウェル副議長という黒い噂があるが、市民は知らぬ存ぜぬを決め込んで、いつか来る宴会を楽しみにしているのだった。


 新しい都市づくりは西側の貧民街にも及び、そこにはベリア記念学校という場違いに大きな看板をもった建物がある。その学校には一人の青年教師がいて、子供達は少し頼りないが、優しいその先生の授業を心待ちにしていた。


「ねぇ、先生に似た人をお父さんが評議会で見かけたんだけど」

「そんなわけないじゃない、だってあのダレト先生が議員さんなんて」

「ううん。議員さんじゃなくて護民官。彫刻師のお父さんが像を届けに行ったときに見かけたらしいわ」

「……噂に聞くあの凛々しいアナト護民官が先生なら、レビ先生への求婚にもたつくわけがないじゃない。それにアナト護民官はニーナっていう補佐官と恋仲だって噂だよ」

「だよねー。あーあ、レビ先生可哀そう。ずーと待っているよね、あれ」

「お母さん達が問い詰めたんだけどね、そしたらダレト先生、三日以内に必ず求婚しますってさ。だからお祝いの準備を親達でするんだって盛り上がってた」

「え、そんな、私達も参加したい!」

「なら、内緒にしてよ。いい、放っておくと絶対三日じゃすまないからね。まずは明日、ダレト先生とレビ先生を広場に呼び出して……」


 子供達の内緒話は教師の入室で静まり返る。何かを企んでいるような顔に教師は疑いを持つものの、咳払いをして歴史の授業を始めていく。子供達が目を輝かせているのは、教師の話がまるで見て来たかのように躍動感があり、景色を思い浮かべることができるからである。しかし大昔の王のこと、そして女王のことに話が及んだ時、教師は少し動きを止めて俯いた。体調が悪いのかと心配する生徒に、青年は笑顔で大丈夫と伝えるが、それが嘘だと分かっている子供はすぐにレビ先生を呼びに行く。飛び込んできたその先生は子供たちから事情を聞き、青年の手を握って元気を出しなさいと叱咤する。そして気を取り直した青年としばし見つめ合うと、子供達がわっと囃し立てるのだった。

 青年は威厳を取り戻すようにもう一度咳払いをすると次は天国と地獄の話を始める。悪いことをすれば地獄に落ちるという話を子供達は笑いながら聞いていたのだが、一人が夢で地獄を見たという。


「友達に意地悪をして後悔をしていた日にね、怖い夢を見たんだ」


 その子供が言うには、夢の中で暗い穴のような場所に浮かんでいて、恐ろしい顔をした男が睨みつけてきたのだという。そして先にある巨大な炎を指し示して、改心しないと死後あそこに放り込むぞと脅されたのだと語った。青年はその話を聞いて大いに頷き、これから意地悪と先生をからかうことはしないようにと告げるのであった。 


 授業が終わると子供達はこそこそと二人の先生の後をつけていく。求婚への好奇心もあるが放課後も一緒に遊びたいという甘えもあるのだった。小神殿に入る先生を、もしやここで求婚かと騒ぎたち、自分達では静かなつもりで部屋を覗く。そして後ろからレビ先生に首根っこを掴まれ、その迫力に子供達は降参した。レビ先生は苦笑をしながら、子供達を許し、寝台で寝ている女性を指し示す。その女性は赤ん坊を抱いており、その横には夫であろう青年が寄り添っていた。


「赤ちゃんだ! かわいい!」

「女の子なんですか? この子の名前は何て言うの?」

 

 はしゃぐ子供達にダレト先生は、この子の名前はまだないのだと言う。早くつけてあげないと、と言う子供達に、名づけに立ち会って欲しい人を待っているのよ、とレビ先生が子供達の頭を撫でながら説明した。


「あ、その人が来たようだよ! さ、早く名前を言ってあげて!」


 男がゆっくりと部屋に入り、赤ん坊を抱いてあやしはじめる。そして若い夫婦はその子の名前を口に出すのだった。男はその名前に驚き、そして泣きながらその名を何度も口に出した。


「フェリシアっていうの。きれいな名前!」

「でもなんであのおじさんは泣いているの?」

 

 レビ先生はフェリシアと言うのはあの三人の大事な人で、亡くなった人の名前だと告げる。そして、その人からとても多くの幸せをもらったので、あの子もきっと人を幸せにするでしょうと語った。

 やがて部屋には多くの人が詰めかけてくる。子供のようにはしゃぎまわる女性をからかった青年が頬を抓られ降参するかと思えば、若い兵士がやってきて二人を窘めるのだ。次に幼い子供二人と赤ん坊を抱いた夫婦が訪れ、助言にと家庭円満の妙を説くのだが、それを聞いてみんなが大笑いをする。そしてもう一組の夫婦と老婆が来て小言を言うまで騒がしさは止まることはなかったのである。



 数日後、フェルネスはアバカスの頼みで、四百年前に滅んだ天文台へ向かっていた。そこには亡くなった天文台の職員の小さな墓が無数にあり、アバカスが度々訪れていることを知っていたフェルネスは、最近急に痩せ始めた友への気遣いから快諾し、ハミルカルの鞍上に乗せ北方へ向かう。ただの観測官が魔人となり、これまで戦い抜いてきたのだ。アバカスが過去を偲びたいというのであれば、それに応えてやりたいとフェルネスは思うのだった。


 空の人となったアバカスは後ろを振り返り、夕日を受けて輝くクルケアンを見てふと美しいと呟いた。憎いクルケアンであったはずなのに、今は世界で一番美しく見える。それはあそこに自分の妻の名を受け継いだ赤ん坊がいるからであろうか。それとも未来を背負って頑張り続ける若者がいるからなのだろうか。


「フェリシア、君にたくさん伝えたいことがあるんだ……」


 アバカスの手がだらりと落ち、フェルネスは驚いて呼びかける。だが親友が愛する人の元へ旅立ったのだと悟り、その背を優しく掻き抱いた。


「長い、長い旅だったな、アバカス。さぁ、天文台はもうすぐだ。そこでゆっくりと休むがいい」


 フェルネスはアバカスの背中越しにクルケアンを眺めながらそう呟き、友を帰るべき場所へと連れていくために空を駆けていったのである。



 かつてクルケアンという都市があった。

 階段状のその都市は人が天へ登るため、もしくは神が地上へ降りるためともいわれている。そして災害により階段を失った後、人々はクルケアンの大階段を夢に見れば、離れ離れになった大事な人に逢えるのだと噂するようになる。

 夢の中の階段を登ると昔に住んでいた街が現れ、息せき切って駆けていくと当時の家に辿り着くという。そしてそこには家族が待っており、名前ともう一つの言葉を投げかけるのだ。


 おかえりなさい、と。



 階段都市クルケアン 完





お話は以上となります。2023年6月末までに改稿を行い、また近況に何枚かあげているように挿絵を20枚程度つける予定です。

時々読み返してもらえれば嬉しいです。


流行りのスタイルではありませんが家族の絆や名に込められた思いを人と獣の違いから述べてまいりました。共感できる箇所があれば幸いです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。



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