第330話 星を見る人⑩ 孤独と群れと
広寒宮を背にした戦場では、ハドルメ騎士団がタダイとその軍勢を押し留めていた。しかし個々の力、そして数の上からも劣勢であり、このままでは時間が経つほどに不利になると判断したヤバルは賭けに出る。
「オシール、騎士団の半分の指揮をくれてやる。右翼から獣達の間隙を突き、中央のタダイを狙え!」
「承知、地上でのハドルメ騎士団の長として恥じない指揮をいたしましょう」
ヤバルはイルモートの呪いに塗れたオシールを見ても同情の声をかけることはない。あの時、我が子の誕生を大声で叫び、教えてくれた少年が意地を張って自分と共に戦場に立っているのである。騎士として、こちらも意地を見せるのがオシールへの何よりの労いとなるのだった。
「バルアダン王……父上、オシールが今から参りますぞ。ハドルメ騎士団、俺に続きその武勇を王に示せ!」
死を前にして笑うオシールに、月のハドルメ騎士団は戦意高く喊声を上げ、タダイに向けて突撃をしていく。ヤバルも負けじとばかりに拍車をかけ、部下と共に敵の中央へと飛び込んでいったのである。
精神の内で、バルアダンは喜色を浮かべて様子を見守っていた。あの幼かったオシールがヤバルと同じだけの統率と武勇を以って獣を打ち払い、自分に一撃を入れているのだ。よくも成長したものだと考えていると、タダイからは怨嗟の声が降りかかる。それはオシールらに向けられたものか、それとも精神の内で感嘆の声を上げる自分に向けられたものだろうか。
「バルアダン、貴様はなぜ絶望をしない!」
「嬉しい時に絶望せよとはおかしなことを言う」
「世迷言を……!」
「私一人では何もできなかった。だが多くの仲間が成長し、替わりに成そうとしてくれている。どこに絶望する必要がある?」
「それで仲間が死んでもいいのか」
「彼らは本望だろうが、私がそれをさせんよ」
ヤバルとオシールの攻撃によってタダイの支配する力は削がれていく。失われた力をイルモートの魔力によって回復するたびにバルアダンの意志が体に反応するようになる。僅かだがタダイの反応を遅らせ、切っ先をわずかに逸らせる。そのたびにタダイは舌打ちをし、バルアダンを呪うのだった。
「愚かなヒトの分際で、主神の従者たる私を縛ろうとは不遜な奴め」
「こちらに気を取られていいのか?」
タダイが意識を外に逸らすと、バルアダンの目にも戦場の光景が映し出されていく。両翼から突撃してくるハドルメ騎士団の迎撃に捉われ、中央に一本の道ができているのだ。そしてそこに馬上から権能杖を振りかざし、月の石を
「バルアダン、そこを動くなよ!」
「バル様、待っていてください!」
ダレトはすれ違いざまにバルアダンの肩を抉る。タダイが苦痛の声を上げるが、ヤバルは舌打ちをする。ダレトの腕なら喉元に突き刺すも、頭蓋を撃ち砕くも容易なはずだと知っているのだ。どこまでも甘く優しい神官に、しかしヤバルは声に出して咎めようとはしない。ヤバルは月に来て性格が少し丸くなったのだろうか、とバルアダンは想い、場違いにも笑みを浮かべてしまう。
「おのれ、おのれ、ヒトめが! 獣共、何をしている、数に任せて騎士を打ち取れるのだ!」
焦るタダイにバルアダンは戦場の反対側を声で指し示す。砂塵の向こうから巨大な獣の姿が現れ、こちらに向かって疾駆して来るのだ。
バルアダンはその先頭にいる巨大な獅子と蛇を見詰めていた。少し前まで敵対していたはずだが、今は彼らの到着を嬉しく思うのだ。そして何より自分の仲間たちが共にいる……。
「ガド、エラム、トゥイ、サラ導師……」
またセト、エルシャを乗せた魔獣が現れ、遠目に変容したバルアダンを見て衝撃を受けた表情を浮かべていた。
「バル兄、待ってて、いま助け出すから!」
「そうよ、今のわたし達は神様から力を貸してもらっているんだから!」
「まずは獣達からやっつけないと。エル、作戦はあるの?」
「ええ、落とし穴を作るわ! この力があれば派手なことができそう!」
「……世界で一番、力を持っちゃいけないのがエルだと思う」
彼らの到着により戦場は大きくかき回され、原始の獣は分断されていく。オシールはヤバルの頼みを受けて率いる騎兵を鉄杭のように獣の群れに穿ち入れ、孤立させた。常に戦場を動き回り、アスタルトの家の盾となりその間に彼らが一体ずつ打ち倒していくのである。だがそれも突撃と共に兵は減り、やがては数騎のみとなる。
「流石はヤバル殿の部下だ。俺の無茶な指揮によく応えてくれた。だがこれ以上数が減ってはヤバル殿に顔向けができん。本体に合流せよ」
「何をおっしゃいます。一度は死んだ身、もう一度死んだとしても何も変わりはありません。子供達のために使い潰してくだされ」
「ならば遠慮はせんぞ、月の埃になるまで獣に喰らいついてやれ!」
オシールらが最後の突撃を敢行しようとした時、彼の持つ大剣が震えだす。剣に宿ったダゴンが何かをしようとしているのかと、オシールは剣の柄を胸元にあてる。
「オシール、ハドルメの勇者よ。やはり武器に宿るよりも直接やつらを噛み殺したくなった。短い間であったが、楽しかったぞ」
騎馬の横で実体化していくダゴンの姿を見たオシールは、透き通るような薄い体を見て自分と同じく命が尽きる寸前なのだと気づく。
「ダゴン、これからが面白いのだ。俺と共に戦えば獣の十体は容易かろう?」
「そうだな、誰かと共に戦うことはなかったが、それも面白そうだ」
ダゴンは大空洞で散っていた父親達、そしてクルケアンでイルモートを両断したベリアの姿を思い浮かべる。彼らが強かったのも共に戦う仲間と守るべき存在があったからだ。ならば生涯の最後で自分がそれを味わうのも悪くはないと不敵に笑う。
「オシール、どうせなら一番敵が多いところに行こうではないか。そこが一番面白そうだ」
「承知、では貴様はハドルメ騎士団の副隊長だ。五騎とはいえ、騎士団の名を辱めるなよ」
「王でもなく神でもなく、副隊長か。人はどこまで我を楽しませるものよ」
タダイはヤバルとダレト、レビの攻撃をその力でいなしながら、徐々に戦況が不利になる様子を観察している。神々の参戦を入れても五分であり、イルモートの力の解放を考えればまだ自分に勝機があるはずだった。そのため魔獣が二体、自分の目の前に現れていても小事としたのである。だが、その魔獣はあざけ笑うようにその間違いを指摘する。
「タダイ、まだ自分が負けぬと思っておるのだろう」
「ほう、魔獣ごときが口を聞けるとはな」
「私は魔獣にあらず、名を魂に刻むかぎり我らは人なのだ。孫のバルアダンのため、お前にはここで死んでもらう」
「そうか、追放されたヒルキヤか、どうりでバルアダンに固執するわけだ」
「ヤバルを唆し我が妻を殺したのもお主の仕業であろう。クルケアンの闇で蠢く虫め、覚悟せよ」
「無礼もの、私を虫と呼ぶか!」
激高したタダイが魔獣の口に剣を突き入れる。だがヒルキヤは苦痛の声すら上げず、牙で剣を咥え、咆哮を上げた。
「ギデオン!」
「おう、任せておけ」
もう一体の魔獣が牙をタダイに突き立てる。二体の魔獣の血がタダイに注がれ鎧を赤く染め上げた。決死のその行動も止めを刺すには至らず、ヤバルは悼みと共に自分もと突撃をしようとするが、魔獣がそれを制止するのである。
「何を……?」
疑問に思うヤバルであったが、魔獣が血をタダイに流し込んでいることに気付いた。血は魂の一部であるならば、彼らはそれを力としてバルアダンに届けているのだ。呻くタダイが魔獣を切り刻み、引き離すものの、ついに大地に両手をついた。
「まだだ、まだ負けぬ。獣達の軍勢は健在なのだ」
同じく倒れたギデオンが皮肉気な表情を作る。彼らは広寒宮であることを成してきたばかりであり、それはこの戦局を決定づけるものとなるのであった。
「勝利からまだ負けぬと変わったか。では次にお主に絶望を贈ってやろう。広寒宮に封印されし、最後の獣がお前の前に現れるぞ」
「馬鹿なことをいうな、原始の獣はすでに解き放ったのだ」
「原始の獣ではない。魂と精神を取り戻し、本来の肉体に帰る獣の王よ。人はその王を武の神と呼んでおる」
「ば、馬鹿な、奴の魂はタニンに封じたはず……」
タニンは自分が暗い影の中にいることに気付く。地上ならともかくとしてなぜこの平坦な土地で影ができるのだろうか。しばしの時間が経ってもそれは変わらず、タダイは嫌な予想を振り払うように頭上を見上げた。
「バァル、獣の王よ……」
そこには原始の獣の数倍もある飛竜が見下ろしていた。そして戦場を旋回するとその風圧だけで獣を追い詰めていくのである。敵対していたはずの神々がバァルの元に集まり、アスタルトの家と共に反撃を開始していく。
バァルの参戦によって自らを奮い立ったラシャプが獣の首を引きちぎり、獅子の王に追い込まれた獣はエルシャが窪地に仕掛けた氷の地表に逃げ込んでいく。だがセトがイルモートの炎の力を顕現させると、氷はたちまちに溶け次々と穴に落ちていくのだ。トゥイやエラムが盲いたモレクに声をかけ、その穴に毒を降り注ぐと、獣の動きは次第に止まっていくのだった。穴に入りきらない巨大な獣は怒りのままに彼らに爪を振り下ろそうとするが、ダゴンとオシールそしてバァルとメルカルトによって打ち倒されていく。そしてガドの持つ神殺しの槍によって止めを刺された獣達はタダイへの怨みの声を上げながら消えていった。
タダイは獣の断末魔を聞いて、さっきまでの優勢はどこへ行ったのだろうと呆然とたたずむ。やがてフェルネスらがタダイの元に降り立ち、彼を完全に包囲した。
「ヒトよ、負けを認めよう。だが今回だけだ。主が力を分け与えたヒトがいる限り、私は復活するのだ。ならばその時に邪魔にならないよう道連れにしてくれる」
淡々とタダイは語り、イルモートの力の全てを引き出した。巨大な黒い魔獣が出現し、集まった戦士達にその牙が向けられたのである。
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