第329話 星を見る人⑨ あなたと共に
西門での戦いは獅子王ラシャプ、蛇王モレクの参戦により、アスタルトの家にとって不利だった形勢は原始の獣と拮抗するまでに至る。混戦の中、ラシャプはガドを咥え上げ、その背に放り投げるように乗せると敵中へと突進していった。
「お、おい、勝手に人を乗せるんじゃない!」
「クルケアンの若き勇者よ、よくぞ敵の攻撃を耐えきった。我と共に戦うにふさわしい」
「……俺はお前を許したわけじゃないぞ」
「ああ、そうだ。憎いのなら我の命を使い潰すがよいぞ」
ラシャプは魂を犠牲に仮初の肉体を発現する前、クルケアンの記憶の幻想をエラムの精神の内から見ていた。モレク、そしてサリーヌの存在を家族と思うようになった今となれば、自分はなんと惨いことをしていたのだろうと心を苛まれる。だがこの身は獣の王であり、神である。謝罪するのはその誇りが許さないのだ……。
「エラム、トゥイ! 砂塵で敵が見えない、そこから見えるか!」
「南の城壁を回るように五体が突っ込んでくる! 気をつけて、ガド、ラシャプ!」
「ラシャプさん、ガドをお願いします!」
今、自分は名を呼ばれたのだろうか。
それも獣王に対して気を付けて、との心配の想いを込めて。
そして慈悲を乞うのではなく、信頼からの願いを託されたのだ。
ラシャプは僅かに振り返り、砦で声を張り上げる少年と少女を見る。そして砦に巨体を顕現させ、獣から彼らを守っているモレクに向けて咆哮を上げた。
「ええ、存分に戦ってくださいませ、兄上。我らの友人は必ず守りましょうぞ」
モレクはそう呟くと空から襲ってきた獣をその牙と毒で仕留めていく。だが視界がぼやけていくことに気付いたモレクは砦に体を巻き付け、その身で攻撃からエラム達を守るのであった。
「二人とも、しばらくの間我慢をしてください」
あとどのくらい自分は生きていられるのだろう。
半刻、いやせいぜい四半刻の命であるはずなのに、
体に牙を突き立てられ、爪で皮膚を引き裂かれているのに、
なぜこんなにも誇らしいのだろう。
この小さな命を守ることがなぜ嬉しいのだろう。
「あぁ、私は宝を守っているのか」
モレクはクルケアンの幻想が見せた、ガドの両親の気持ちに自身を重ねて敵の攻撃を受け続けていく。消えかかる意識を必死につなぎとめているのは、エラムとトゥイが名を呼び続けているからであろう。必死に取りすがる二人を見てモレクは優しく笑う。やがて周りが静かになり、モレクは見えぬ目で辺りを見渡した。力強い誰かが自分を支えてくれていると知り、嬉しそうにもたれかかる。
「敵を打ち倒したのですね。流石は兄上です」
「モレク、お主、目が見えぬのか」
「ええ、ですが見たいものはすべて見ました。後悔などありません」
「我も満足だ。命を盾にガドを守ろうとしたのに、逆に守られてしまったがな」
「ではそろそろ行きましょうか」
「あぁ、行こう。みなが待っているはずだ」
そして二柱の神は這うように北東を目指していく。そこはバルアダンの体を乗っ取ったタダイがいる最大の激戦地であり、恐らくメルカルト、ダゴンらも向かうはずの場所だった。
ラシャプは思う。バァルは仲間のために戦え、と言ったのである。新しい仲間は守った、ならば古い仲間たちのためも戦うべきであろう。この千年、モレクを除いては仲が良いわけではなかったが、それでも奇妙な仲間意識は感じるのだ……。
戦場が収束していく中、フェルネスもバルアダンの元へ馳せ参じようとハミルカルの手綱を握りしめる。だが、それはサラ導師によって制止させられた。見ればイグアル、タファトもそこにいて、覚悟を決めた瞳を自分に向けているのだ。
「サラ導師、なぜお止めなさる。早く前線に行かないと――」
「我らは大人は責任を果たさねばならないのだ。お主にその覚悟はあるか?」
「無論だ、だからこそ戦うのだろう」
「バルアダンが取り込んだイルモートの呪いを消さねばならぬ。お主ら三人にその役を引き受けてもらいたい」
「何と、バルアダンの命も救えるのか!」
「……分からぬ。だがイルモートの呪いを消すことができれば少なくとも子供達の世界は守られるだろう」
サラはバルアダンよりも未来の世界を優先することを吐き出すように告げる。その残酷な決断を、しかしフェルネスは理解していた。過去を選んだ自分、現在を選んだベリアと違い、バルアダンは未来こそ望み、イルモートの力を得たのだから。
「良かろう、ではどうすればよいのだ」
「イルモートの力は生きるものすべてが持つ、生きたいという力だ。相手を滅ぼしてでもという欲求は呪いとしてバルアダンの中に、そして誰かと共に生きたいという願いは人の中に在る」
そしてそれらをぶつけ合うことでイルモートの力は消滅するのだ、とサラは語った。
「その願いの力を手に入れるということか」
「然り。そしてイルモートの願い、滅んだ人々の人生の記憶はここにある」
サラが指を示した先には月のクルケアンが聳え立っている。数度滅んだ人々の記憶が淡く光りはじめ、サラは月の祝福を以ってそれらを階段状に集め、頂上までの道を出現させた。暗黒の宇宙に続く光の階段と化した。
「頂上まで登れ、フェルネス。その途中でお主はクルケアンの歴史を、人の全てを受け入れることになる。そしてイルモートの悪しき力を打ち滅ぼすのだ。だが……」
「配慮なぞ無用だ。バルアダンが選んだ未来を守るためなら、この身はどうなってもいい」
「人の想いの全てを受け入れれば、それは人ではなくなるということだ。神の知識を得た私やタファト以上に苦しむことになるぞ」
それこそ自分が背負う罪であり罰なのだとフェルネスは笑う。そして呪いを引き受けたバルアダンと同じ立場になったようにも思うのだった。迷いを失くした裏切りの騎士は、ハミルカルを降り、クルケアンの大階段へと進みだす。イグアルとタファトがその後に続いていった。
「……俺だけでいい。お前達は子供達の元へ行け」
「いいや、クルケアンの全ての記憶なんて一人で背負えるはずがない。私もいくらかは受けもとう。……タファトと相談して決めたんだ」
「ええ、イグアルがどうしてもそうしたいって。だから説得は諦めてね」
フェルネスは友人の肩を抱いてもう一度笑った。怨みを抱いてクルケアンに潜入した自分を、知らずとはいえ友人としてくれた二人、そして知った今となっても変わらずについてきてくれている二人……。人を捨てなければならない今、存外、自分の人生は幸せだったのだろうと気づく。
「おい、フェルネス! もう少しゆっくりと登れ。私の体力のなさを知っているだろう」
「十年前と同じことを言う。鍛錬をさぼったお前が悪い」
「そうよ、もたもたしているのなら、私が先に頂上までいくわよ」
時計の針が少年と少女の頃に巻き戻った感覚を覚え、フェルネスは悪戯っ気を出し、イグアルの背を押した。情けない声を上げるイグアルの手をタファトが引っ張り、三人は賑やかに登っていく。一歩ごとにクルケアンの記憶が流れ込み、自分か、それとも故人の記憶なのかが分からなくなっていくが、だが彼らは楽しかった時の記憶を手放さないように手繰り寄せ、自我をかろうじて保ちながら頂上を目指すのである。
「イグアル、ここで力尽きてはだめよ。一緒に頂上まで行くのでしょう?」
「分かっているさ、まだ大丈夫。この精神に流れ込む力をイルモートにぶつけるまでは……」
三人のうち誰か一人でも頂上に着けば世界を救えるのだと、階段を降りることを拒否し、必死に立ち上がろうとする友を見て、フェルネスはおもむろに背負い、また一歩を踏み出した。
「イグアル、ほらもう二百層まで来たぞ。ベリア隊長の酒を盗んで大目玉を喰らった時のこと、覚えているか?」
「あぁ、あの時はアバカスも一緒だったな。罰にサラ導師の酒蔵に忍び込んで、見つかって……」
「あの時、お前は裏切って真っ先に逃げ出したじゃないか」
「そうだったか? クルケアンの記憶が流れ込むせいでよく思い出せん。アバカスに責任を押し付けて逃げ出したのは覚えているけどな」
「覚えているじゃないか! 付け加えるなら俺を水で滑らしたのもお前だ」
「そうか、そうだったな……」
「見ろ、評議会まで来たぞ。初めて議員となってここに来た時のこと、覚えているか」
「あぁ、そうだな……」
「お前は緊張して、元老の挨拶も忘れた挙句に議題は何だったでしょうかと、演台で慌てふためいていたんだぞ?」
「あぁ……」
タファトが嗚咽をこらえて、イグアルの背中に手を添える。フェルネスは返事が弱くなっていくイグアルの熱を必死に感じ、思い出を語りかけていく。だが頂上まであと少しという時、ついにイグアルの手が力なくだらりと下がったのだった。フェルネスはタファトと顔を見合わせ、自分達の自我がまだ残っていることに気付く。
「イグアル、この馬鹿野郎! 俺たちの分まで記憶を受け入れたのか」
祝福を呼び水としてイグアルは自分と恋人を守ろうとしたのだろう。そして恐らく自身は力の器にでもなればいいとでも考えていたはずだ。そして、そして……だが、そんな好き勝手はさせない、させるものか。
「メルカルト! 聞こえるか、メルカルト!」
「何用か、フェルネス」
「二度の願いをかなえてくれると言ったな」
「あぁ、だがもう一度は聞いたのだぞ? そこの男をお主が剣で貫いた時、タダイの目を誤魔化すため命だけは救って欲しいとな」
「そうだ、そして次の願いだ」
「約定を覚えておるか? 二度の願いをかなえたなら、お前の体を好きにさせてもらうと言ったはずだ」
「あぁ、この体を自由に使うといい。体を得てバルアダンと戦いたいのだろう? お前にとっても良い取引のはずだ」
「……良かろう、願いを言え」
「イグアルに流れ込んだ記憶を俺に寄越せ、それが最後の願いだ」
「同じ男を助けるために二度も願いをするとはな。もしかすると、その男はお前に愛する女を託したかもしれんのだぞ」
「……あいつは弱い。だから人のことばかり考え、心配する。それが周りには迷惑だってことが分からないんだ」
早く自分の願いをかなえろと精神の内で叫ぶフェルネスをメルカルトは愉快そうに笑う。フェルネスもイグアルも同じではないか。大切なものを誰かに託し、自分だけが損をしようとしている……。
「そうか、ヒトにとってそれは損でないのだな」
一向に願いを聞き届けようとしないメルカルトの胸倉をつかんだフェルネスは、それが現実の世界のものと知った。
「メルカルト、なぜ実体を持っているのだ?」
「友人を助けたいという願いはすでにかなえてやったぞ。お主らが取り込んだクルケアンの記憶は全て我が譲り受けた。イルモートを倒す力だけはお前達に残してやった故、好きに使うがよい」
「ま、待て、メルカルト。俺の体を乗っ取るのだろう? 早くしないと、体が消えかかっているぞ」
「やりたいことができてな、それはお前の体ではできないのだ。消えるまでにそれをやり遂げてみせる」
そういってメルカルトは長年、精神に居座った男を見る。ヤバルがかつてこの男を生かそうとし、今は自分がそうしようとしている。何とも奇妙な感情だが、なぜか誇らしい。
「……バァルが頂上でお前を呼んでいる、早く行くがいい。お前はまだ救わねばならん者がいるはずだ」
「メルカルト、お前……」
「そんな顔をするな。神にとって死は長い眠りのようなもの。この記憶があれば退屈はしないというものだ」
神が夢をみるのであればな、とメルカルトは肩を竦め、そしてフェルネスを頂上へ誘う。そしてそこにフェルネスは巨大な竜の姿を認めた。
「タニン……」
弟が封印されている巨竜に歩み寄るフェルネスの背に向けて、メルカルトが言葉を投げかける。
「フェルネス、ヒトはな、誰かと共に生きたいという願いが叶わぬ時は、誰かに生きて欲しいという願いになるのだ」
メルカルトは思う。イグアル、タファト、アバカス、アドニバル、オシール、シャマール、バルアダン、サリーヌ、ベリア……この男は何と多くの命に生きて欲しいと願っていたのだろう。そしてそのためにどれだけ怒っていたのだろう。だが、まだこの男は若い。あの時のヤバルのように、自分を犠牲にするのは、何かを誰かに託すには早すぎるのだ。
「心残りがあるとすればお前の未来が見たくなったということか。だが、それもこの世界があればこそだ」
フェルネスが魂に導かれるようにタニンに手を伸ばした。誰かと共に生きたいというイルモートの願いが、フェルネスの想いに重なっていく。願いが竜を覆い、そして光り輝きだした。竜から大きな光が広寒宮に飛び、やがて幼さを残した青年が恥ずかし気にタニンの横から現れた。
「……ただいま、ロト兄さん」
「アドニバル、アドニバル、アドニバル!」
「もう、泣くだなんて強い兄さんらしくないや」
過去において助けられなかった弟を強く抱きしめ、フェルネスは子供の頃のように泣いていた。意識を取りもどしたイグアルとタファトが見守る中、メルカルトは静かに階段を降りていく。
「これまで楽しかったぞ、フェルネス。もし未来を、夢を見ることができるのなら我もその輪に入りたいものだ」
そしてメルカルトは魂を代価にその真体を顕現させていく。やがて翼なき竜の王の姿になると、最後の戦場に向けて咆哮を上げた。
「バァル、ダゴン、ラシャプ、モレク、タダイ……そこにいるのだろう? 命が尽きる前に最後の決着をつけようではないか」
こうしてタダイ率いる原始の獣とダレト、ヤバル、オシールらの戦場に神々とアスタルトの家が集い、月での戦いは最後の局面を迎えることになる。勝者だけがイルモートの力を利用するか、それとも消滅させるかを決めることができるのであった。
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