第327話 星を見る人⑦ 月の沙場

〈ダレト、バルアダンに剣を振り下ろしながら〉


 ダレトは長剣を鞘走らせながらバルアダンに向かっていく。そして斬りむすぶや、原始の獣と戦っているフェルネスの背中に向かって状況を問う。


「フェルネス、バルアダンに何があった!」

「タダイだ! イルモートの中に溶けていたはずの奴が、力尽きたバルアダンの体を乗っ取ったのだ」


 バルアダンの唇が彼らしからぬ皮肉気な形にゆがめられる。ダレトはそれがタダイのものだと確信し、怒気を発して剣を振り下ろした。


「おや、これはアスタルトの大神官様ではないですか。それとも総評議会を守る護民官様と呼べばいいですかな」

「タダイ、貴様はどこまで我らをもてあそぶのだ」

「知れたこと、あなた達を殺し尽くし、主の力をヒトから取り出すまでです」

「……バルアダンは、あいつの魂はまだそこに在るのか」

「ええ、ここにありますとも。ただ獣王に匹敵する原始の獣を三十体も葬り去ったのです。どちらが化け物かと言いたいところですが、流石に私の力を抑えることは出来なくなったようですね」


 タダイは右手を振り上げ、原始の獣たちの一群を月のクルケアンに差し向けた。


「クルケアンの都市の魂と言うべき、イルモートが記録していたヒトの想い。まずはこれを消し去り、主の力を回収しましょう。そして死の国も、いずれは地上のヒトも全て滅ぼしてあげます」

「貴様一人で何ができる、お前はここで死ぬんだ」

「……この原始の獣は、主がいなくなった後、私が実験を施していた獣達です。いわば地上の魔獣研究の元となったもの。この忠実な手駒を以ってヒトを滅ぼすとしましょう」


 原始の獣がヒトの肉体を、魂を喰らい、精神の内から主の力を引き出すのだとタダイは恍惚の笑みを浮かべる。ダレトはレビ以外のアスタルトの家の面々に月のクルケアンへ急行するように伝え、フェルネスに向かって叫んだ。


「フェルネス、月のクルケアンをアスタルトの家と共に守ってくれ。いずれそこが突破されればサリーヌの行宮までたどり着いてしまう」

「敵は正面の方が多いぞ、お前こそどうするのだ」

「ヤバルとオシールと共に抑えきって見せる!」


 フェルネスがハミルカルを駆ってアスタルトの家と共にクルケアンへと向かっていく。その時、彼らに続く二体の赤黒い魔獣をレビが指さした。


「ダレト、あの魔獣はセト達のお父さんじゃぁ……」

「あぁ、そうだ。彼らは死してもまだこのため戦おうとしている。生きている俺達がその心意気に負けるわけにはいかない」

「そうだね。それにバル様は肉体を取り戻す機をうかがっているはず。こっちはタダイの力を弱めていけば、必ず復活するに違いないよ」


 レビの自信に満ちた言葉にダレトは頷く。そして二人はタダイに向けて突進していったのであった。



〈セトとエルシャ、月のクルケアンにて〉


 同じ頃、月のクルケアンにいち早く到着したタニンの鞍上で、セトとエルシャが、それぞれイルモートとエルシードに語りかけていた。


「イルモート、四度滅んだ人々の記憶を、生きた証を守りたいんだ。もう力がわずかしかないと分かっているけど、力を貸して欲しいんだ!」

「エルシード、お願い。わたしは地上も、月のクルケアンも滅んでほしくはないの。イルモートが守ろうとしたこの記憶は、絶対に失わせたりしない!」


 少年と少女を赤と青の光が包む。そして次の瞬間、権能杖と神官服を身にまとっていたのである。二人はありがとうと呟くとタニンから飛び降り、原始の獣に向けて駆けていった。そして赤黒い魔獣と遭遇したのである。


「お父さん……」


 同時に呟いたその言葉は、涙と共に漏れ出たものだった。セトは魔獣の首に抱き着き力いっぱい顔を押し付け、エルシャは牙に手を触れ、鼻先を抱くように頬を寄せる。嘘つきと声に出し、それでも精一杯の強がった笑顔を見せて魔獣の背にまたがった。


「ガムド父さん。いろいろ迷惑をかけてごめん。でも僕も少しは大人になったんだよ。素敵な友達もできたし、勉強だってしたさ。それにね、とうとうクルケアンの頂上にも登ったんだ」


 魔獣は知っていると言わんばかりに首を静かに動かした。


「でもね、できなかったことが一つあるんだ。父さんと一緒に西方の都市へ旅に出たかった。だから、だから、今この時だけは一緒にいてくれる?」


 魔獣はセトの言葉に力強く吼えることで応えた。その様子を見ていたエルシャも父である魔獣に語り掛ける。


「どう、わたしの大好きなセトは、すこしは格好良くなったでしょう。でもあぶなかっしいところは全然変わってないのよ。そんな奴ほっといたら何をしでかすか分からないじゃない。……近くで見続けないとだめになるに決まっているわ」


 魔獣は妻を思い出したのだろうか。エルの顔をまじまじと見つめ、そして笑うように頷いた。


「お母さんの気持ちが分かったような気がするわ。だって目を離したら、お父さんもこうなっちゃたんですもの。馬鹿なお父さん、大好きなお父さん……」


 魔獣はおろおろと取り乱すが、エルはその頭をしっかりと抱きしめて力強く語る。


「わたしはお父さんが繋いでくれた命を最後まで幸せに使い切って見せる。でもそれは一人では使い切れないの。わがままを聞いてくれますか」


 魔獣は優しく吼えると、娘の願いを聞き届ける。そして娘の大事な人の側に向かって駆けていくのであった。



〈ガド、月のクルケアンの西門にて〉


 セトとエルシャがクルケアンの東側へ向かった頃、ガドはエラムとトゥイを西門の砦に匿うと、周りをサラ、タファト、イグアルの祝福者に指示をして迎撃態勢を取っていた。本当はエラムらをタニンに乗せたまま原始の獣から距離を置こうとしたのだが、本人達に反対されたのである。


「ガド、どこに逃げても変わらないよ。それに原始の獣には空を飛ぶものもいるしね。せめてこの砦から戦況の観測をさせてくれ」

「馬鹿なことを言うな、俺が負ければ死ぬかもしれないんだぞ、トゥイ、お前からも止めてくれよ」

「ううん、私はここに残るわ。それがガドのためでもあるから」

「俺のため?」

「ガド、この西門を避けようとしているよね。家族と重ねて仲間がここで殺されると怖がっているんでしょう?」

「……そうだよ。お前らも知っているだろう? もうあんな思いはしたくないんだ。だから早く逃げて――」

「ううん、ここでやり直すの。ガドだけでなく、私やエラム、先生達も一緒に」

「そうだよ、ガド。このクルケアンはイルモートと人の想いによってできている。家族の想いもきっとどこかに在るはずさ。だから見せてやろう、クルケアン最高の衛士の力をさ」


 その時、ガドは両肩に誰かが手を置いてくれたのを感じ、左右を見る。そこにはタファトが、そしてイグアルが彼の傍らにいて、優しく、そして覚悟を決めた表情で頷いていた。彼らにとってもここは大事なものや人生を失った場所なのだ。

 サラが前に進み出てガドに赤黒く染まった槍を渡す。大空洞でメシェクらが用いた神殺しのその槍を、ガドを力強く受け取る。そして闘いに臨もうとした時、黒い竜が彼らの元に舞い降りたのである。それはハミルカルに騎乗したフェルネスであり、あの時、神殿に利用され騎士団を別の場所へ誘導し、タファトとガドの家族を死に追いやった男はガドに頭を下げて参陣を願い出る。


「ガド、いまさら償えないことは分かっている。せめてここで俺の命を使わせてくれ」

「だめだ、そんなことは許さない」

「……そう言うのも当然だ、だが盾ぐらいにはなる。どうか――」

「違う、命を粗末にするなと言っているんだ。タファト叔母さんの友人の死を願うと思うのか! いいか、一緒に戦い、そして生き残るんだ。勝手に死にやがったら、絶対に許さないからな!」


 フェルネスは肩を震わせてもう一度頭を下げた。あるいは彼は胸のつかえが下りたのかもしれない。悲壮な覚悟ではなく、明確な決意を以って陣に加わったのである。


 こうして月の沙上の戦いは、

 正面のダレト、レビ、オシール、ヤバル、

 クルケアン東側のセト、エルシャ、ガムド、メシェク、

 クルケアン西側のガド、エラム、トゥイ、サラ、タファト、イグアル、フェルネスらが迎撃する形で始まった。タニンは自身を遊撃と位置付けているのか、クルケアンの上空で周囲を睨みつけている。


 人と獣の最後の戦いが始まる中、しかし第三者の立ち位置の者も戦場にはいたのである。エラムらに魂を預けたラシャプ、モレク、オシールの大剣に宿るダゴン、そしてフェルネスの精神に棲まうメルカルトだった。彼らは人を通してこの戦況を鑑み、一つの想いを実行しようとしていたのである。

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