第326話 星を見る人⑥ 最後の戦い 

 ハドルメの人々が解放されるより少し前、四体の巨大な魔獣と騎士が死の国と広寒宮との境に降り立っていた。その騎士は呻き、血を吐きながら荒野に倒れ込む。一体の魔獣が心配するように身を寄せ、労わるように鼻先を擦り付けた。


「バルアダン、無茶をするでない。お前の力はサリーヌに会う時まで残しておかねばならんのだからな」

「ヒルキヤお爺様、私はサリーヌに会う前にまだするべきことがあるのです。イルモートの知識によれば広寒宮の地下は牢獄となっており、そこから神になり損ねた原始の獣が封じられていると」


 イルモートの肉体は地の底に在って地上を、そして天を覗き見ており、イルモートと重なったバルアダンはそこからおぞましい記憶を読み取っていた。広寒宮が無人となった後、何者かの手引きにより牢獄の隙間から獣の数体が抜け出していたことを知る。魂を求めて死の国に向けて進撃をかけたその獣を、これまではヤバルら死の国のハドルメ騎士団が撃退していたのであるが、今、広寒宮の封印が解かれ、牢獄にいた原始の獣の全てが進軍を開始したのだった。


「もし、獣たちが死の国のみならず地上に向かうことがあってはいけません。それにここにいるセト達も守らねば……」


 バルアダンが剣を杖として立ち上がった時、轟音と共に砂塵が巻き上がる。百体は超えているであろう巨大な獣の群れが彼らの前に出現したのだった。それは進軍の先にたまたま自分らがいたためだろうか。それともこれは必然なのだろうかとバルアダンは考える。


「神の成り損ないめ、貴様らを道連れにしてでも私は大事な人達の世界を守るぞ」


 残るイルモートの力をかき集め、バルアダンはその祝福で赤く染まる剣を抜いた。神殺しの力を込めたこの剣ならば彼らを打倒できるであろう。だがそれまで自分の体がもつかどうかだ。

 バルアダンの体を心配したヒルキヤが、他の魔獣に向けて唸り声を出す。声なき意思が月に満ちる魔力を通じて直接相手に伝わっていった。


「メシェクそれにガムドは死の国へ急げ。ここは私とギデオンでバルアダンを守る」

「ヒルキヤ殿、私もガムドもここで戦いますぞ!」

「いやそれでも数が足りん。バルアダンが言うにはここには死したハドルメ騎士団がいるとのことだ。死の国の国境に兵を集め、数で押し切らねばどうにもならん。それに急がんと奴らはハドルメの魂だけでなく、アスタルトの家の魂まで喰らいかねないぞ」


 ヒルキヤは拒もうとするガムド、メシェクらを叱咤し、宮殿から走らせた。二体の魔獣が駆け去るのを見て、隣にいた魔獣は苦笑をしながらヒルキヤに想いを伝えていく。


「お主、ハドルメ騎士団のことは口実で奴らに子供達を守りに行かせたな。まったくお人好しだのう」

「ギデオン、お前だってそうしただろうに。それにこの体はイルモートの肉体でできている。バルアダンの盾となって時間稼ぎくらいはできるだろうよ」

「やれやれ、歳をとっても肉体労働とはちとこたえるわ。しかし一人と二体で敵うのか」


 ぼやきつつも牙を剥き、やる気が満ち溢れているギデオンを見てヒルキヤは頼もしく思う。しかしこの老人が無茶をする前に一つだけ訂正しようと上空に顔を向ける。


「上を見ろ、味方は三人と二匹だ。これなら勝てるのではないか?」


 上空にはフェルネス、そしてオシールが竜と神獣に乗って駆けつけていたのだった。バルアダンがイルモートの力で広寒宮への魔力の道を作った時、それに乗じて追いかけてきていたのである。

 バルアダンは舞い降りてきたオシールとフェルネスに支えられた。バルアダンはイルモートの呪いを全身に浴びているオシールを見て愕然とするが、だがあえて笑顔で語りかける。


「オシール、強くなったな。それでこそ私の息子だ。共に同じ戦場で死ねること、嬉しく思うぞ」


 その言葉を聞いてオシールは少年の頃に戻ったように涙を浮かべる。憧れた男に戦士として、そして家族として認められたのだ。王の侍従として拾われ、バルアダンを父と、サリーヌを母として慕い、強くなろうとしたこれまでの労苦が報われたのであった。


「シャマールには悪いが、ここにいるもう一人の息子にも褒め言葉をかけても良かろう。でないと元上官として怒鳴りつけるぞ?」

「もちろんだ、フェルネス……いやロト。よくここまで来てくれた。そして若い私をよく導いてくれた。お前がいたから私はここに立つことができたのだ」


 よろしい、とフェルネスは尊大に頷いた。オシールはわがままな三男を笑うと、大剣を抜いてその切っ先を原始の獣に向ける。そしてこれまで言いたかった言葉をさらりと投げかけた。


「父上、奴らを撃退すれば褒美はもらえるのでしょうな」

「そうだな、母さんが作ってくれた手料理ではどうだ」


 その返事にオシールは喜色を浮かべ、フェルネスは母の料理の味を思い出して怪訝な顔をする。息子たちの顔を見たバルアダンは哄笑すると、子供達と魔獣を引き連れ獣の群れへと切り込んでいったのである。そしてその笑顔は、フェルネスとオシールが見た最後の笑顔となったのであった。



 ハドルメの魂が地上に帰還したころ、ヤバルは騎士の一人から急報を受けた。赤黒い巨大な魔獣が二体、こちらに向かってくるというものだった。ヤバルは成り損ないかと思うが、赤黒い個体は見たこともない。それにその魔獣は何かに焦るように、後ろを振り返りつつこちらに来るのだという。ただの襲撃ではない、何か変事が起きていることは明白だった。


「王妃の行宮に護衛を送れ! 残る騎士全員は広寒宮に向けて進撃を開始するのだ。バルアダンと王妃の再会に邪魔するのであれば実力でこれを阻止せよ!」

「アスタルトの家はいかがいたしましょう」

「ハドルメの民が帰還した以上、命あるものはこの世界では貴重だ。どこにいても成り損ないに狙われるだろう。子供達はまだしも、大神官ら大人達は戦力となろう。我らと共に来いと伝えよ」


 ヤバルからの報を聞いたアナトはタニンにセト、エル、エラム、トゥイを乗せ、自分はニーナ、サラ、タファト、イグアルらと共に騎士団から借りた馬に乗り、前線へと向かっていく。何か胸騒ぎがするのは前方が赤く光っているからだろう。イルモートの力を意味するその色はバルアダンの存在を示している。早く駆け付けたいという思いと、たどり着きたくないという相反する想いが、馬の速度に影響したのだろう。ハドルメ騎士団の方がいち早く戦端を開いたのだった。


「大神官殿、ヤバル様より伝言を言付かってきました! ハドルメ騎士団、原始の獣五十体と抗戦中。至急前線に来られたし!」

「待て、敵は魔獣の二体ではなかったのか?」

「その魔獣はバルアダン王の使者でメシェク、そしてガムドと名乗られていました。彼らによると広寒宮の獣が何故か一斉に解き放たれ、こちらへ向かっているとのこと!」


 上空で飛ぶタニンの背中から、父が魔獣となって現れたと聞いたセトとエルの悲鳴が聞こえてくる。アナトはその気持ちを想い、胸が締め付けられるが、前線で目の当たりにした光景は更に凄烈なものだった。血だらけのオシールとフェルネス、そしてヤバルが何とか獣の進撃を食い止めているものの、顔には明らかに絶望の表情が浮かんでいる。そして彼らはみな、獣を率いている一人の人物を睨んでいるのであった。


 それは自分が一番知っている男であり、友でもあったのだ。


「なぜだ、なぜお前が獣と共にいるんだ。なぜサリーヌの死の国に襲撃をかけているんだ!」


 バルアダン、とアナトは声を絞り出す。そしてそのまま悲鳴を上げるように長剣を抜いて斬りかかっていったのであった。

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