第313話 永遠の孤独⑥ アスタルトの家

〈エラム、クルケアンの頂上を目指す前夜の学び舎にて〉


「エラム、セトとエルが戻ってきたわ。何だか元気がないようなの」


 僕に向けられたトゥイの言葉は、事実の報告だけでなく元気づけてあげて欲しいという頼みでもあった。クルケアンの誰よりも物語を多く知る彼女が慰める言葉が見つからないとは、これはよほど大ごとらしい。僕は明日の準備の手を止めて、ため息をついて観測機を寝台に放り投げた。でも僕だって彼らを慰め、元気づけられるという自信はない。そう、イグアルさんとタファト導師から告げられていたとはいえ、仲間が神様の生まれ変わりなのだという事実を受け止められるわけがないのだ。


「あの二人が神様なんてとんでもない! せいぜい僕らの親友であれば十分さ」

「ええ、そうよ。本当に神様なら、とっくの昔にクルケアンは悪戯で滅んでいるに決まっている」

「お菓子と果物を頬張りすぎて息が詰まりかけるイルモートに、その隙に皿に残ったお菓子を口に流しこむエルシードっておかしいよね」

「うんうん、そんな神様達ならクルケアンは食糧不足で苦しんでいるはずだし」


 セト達をかばっているのか、けなしているのか分からない言葉を言い合う。そんな行きたくないための時間稼ぎをしていた時、僕は思いついたのだ。耳にした事実なんて受け止めなければ存在しないということに。そう、僕は目に見えるもの、そして過ごしてきた時間を信じればいいんだ。トゥイの元に耳に口を寄せ、あるお願いをする。とたんに彼女は表情を明るくして、タファト先生、と大きな声で叫びながら扉の向こうに去っていった。そして僕は頬を両手で叩いてセトとエルがいる露台へと向かったのだ。


「セト、エル? 話したいことがあるから食堂に来てくれないか――」


 僕の呼びかけに反応することもなく、二人は椅子に膝を抱えるように座り込んでいた。そして避難民が向かうティムガの草原を眺めながら悄然と遠い目を向けているのだ。その様子に僕は観測者として怒りを抱いた。もちろん彼らにではなく僕に向けてだ。これからハドルメの魂を観測しに月へ向かうというのに、目の前の友人の心の在りかでさえ分からないのだ。いや、向こうが自分を見てくれないのが悔しいのかもしれない。

 以前タファト先生が教えてくれたように、観測は探し出したい自分と見つけて欲しい相手、両方があって初めて成り立つのだ。星々でさえ、光り輝くことで自分を見つけてと夜空に訴えている。ならば、と僕はやや過激な言葉を観測器代わりに用いる。僕を見て、僕の話を聞けという思いを込めて。


「おい、イルモート! 世界を滅ぼす神様め、こっちを向くんだ」

「……イルモートじゃない」

「じゃぁ、君は何をしたいんだ?」

「……分からない」

「じゃぁ、教えてやる。僕と一緒に月へ行くんだ。情けないけど足がすくんで動かない。ハドルメを救う? クルケアンから魔獣の脅威を取り除く? 立派なことだろうけど、力がない僕にとってこんなに怖いことはない!」

「でもイルモートの力は破壊しかもたらさない」

「誰がイルモートの力と言った!」


 そして初めて僕は人を殴った。馬鹿野郎、馬鹿野郎と叫びながら。計算だけで荒事なんかしたことのない弱々しい拳で何回も。それはエルが立ち上がり僕の腕に縋りつくまで続いた。荒い息をついて三人で石畳にへたり込む。


「セト、君とエルがアスタルトの先頭に立ってくれるから、勇気を示してくれるから僕はついていけるんだ。エル、いつものよくまわる口はどうしたんだ。アスタルトの家が動く時、君の前口上がないと僕は玄関すら出れないじゃないか」


 最後に僕は情けないけれど一番怖かったことを言う。だって僕は一人では何にもできないのだから。昔のように病室で孤独に過ごすことが怖いのだから。トゥイが来てくれなかった日のどんなに辛いことだったか。

 外の世界に出て初めて知った仲間、そして手を伸ばすように連れ出してくれた友人を失いたくないのだ。


「だから、だから最後まで側にいてくれよ。今回ばかりは帰れないかもしれない、誰か死ぬかもしれない。……セトとエルがいないと怖いんだ。必要なのは神様の力じゃなくて友人としてのセトとエルなんだよ!」


 二人の頬に血色が戻る。僕やトゥイ、そしてガドの存在を大事に思ってくれるなら二人は神様なんかじゃないんだ。ただのセトとエルだ。みんなで一斉に肩を抱いて強く強く抱きしめ合う。離さないために、そして一緒にいるんだよと痛みで実感するために。

 恐らく外から見れば感動的な光景だったのだろう。遅れて露台にやってきたガドがそうからかって言っていたのだから、照れくさいけれど間違いない。でも後でガドが続けて語るには終わり方が締まらなかったそうだ。


「だってよ、泣いて抱き合うっている時にお腹の音が大きく鳴り響くんだぜ? これが芝居なら観客は床を踏みつけて抗議しているところだ」


 でもその方が僕達らしい。悲劇よりも喜劇を、どんな場面だってひっくり返すのがアスタルトの家なのだから。今度は恥ずかしさで真っ赤になっている二人の手を取り立ち上がらせる。学び舎の食堂ではトゥイやタファト先生がたくさんの料理の皿を並べていることだ。


「さぁ、クルケアンを離れる前の大騒ぎをしよう。美味しい食べ物、果実水、お菓子……トゥイがありったけを用意しているから!」


 その言葉にセトが目を輝かせ、エルはつばを飲み込んでいる。でもエルは少し首を傾げて尋ねるのだ。


「エラム、お店も空いていないのにどうやってそんなに集めたの?」

「まぁ、みんな避難している状況でお店にあっても腐るだけだし、ちょっとね」

「呆れた! 盗んだってこと?」

「人聞きが悪いな、前借りをしたんだ。一応、店の扉の前には張り紙をしておいたよ。アスタルトの家が一時拝借します。戻ってきたら五倍にして返しますってね。あぁ、ちゃんと代表として君とセトの名前も書いておいたから、そのなんだ、後はよろしく」

「あぁ、セトどうしよう、あの真面目だったエラムが変わってしまったわ」

「う~ん、となると出会ってから誰かの影響を受けたとしか……。食い意地が張ったエルみたいな人にね」

「それはセトの方でしょう! みっともないからお腹の音を抑えてよ」

「え、僕の? それとも君の?」

「減らず口め! 抓ってやる!」


 セトの悲鳴を共に僕達は食卓へ向かう。そこにはガド小隊やタファト先生、イグアルさん、そしてサラ導師がいる。ニーナの背に押されるようにして転がり込んだのはアナトさんだ。リベカさん、シャヘル様もいつの間にか椅子に座り楽しく歓談を始めている。ウェルが食べ物が足りないと言ってザハグリムさんを台所に押しやったり、女性陣のお酒の量を窘めていたイグアルさんが、逆に飲まされて突っ伏している。工房で仕事をしていたソディさん、サルマさん達も巻き込んで宴は楽しく続いたのだ。もちろん、一番騒いでいたのはセトとエルだった。

 食べて飲んで遊び疲れたみんなを寝台に運び、兵営よろしく床で寝ているガド達に毛布を掛けていた時、トゥイが玄関から手招きをする。


「エラム、お疲れ様。月がきれいだから少し城壁を歩いてみない?」

「うん、すぐに行く。待っていて」


 月明かりの城壁をトゥイと歩く。思えばシャヘル様に会って神の二つの杯イル=クシールを飲んでから気軽に出歩けるようになったんだ。その僕が今度はクルケアンの頂上まで行ってそして月まで行こうとするのだから、人生とは本当に面白い。水力時計クレシドラも完成したし、薬草園だって整備できた。照れくさいけどトゥイと婚前式をあげることもできた。月から帰った後ももっといろいろな出来事があるに違いない。


「私ね、帰ってきたらクルケアンの物語を書こうと思っているの。いろいろな人と出会えたし、歴史も知ることができたから」

「すごいや、数百年、いや数千年まで読まれ、語り継がれる物語になりそうだ」

「エラムこそすごいのよ! あなたが造っていくクルケアンは永遠に残っていくと思うわ。例え今のみんながいなくなったとしてもずっとね」

「過去に生きた人の想い、それが形として、そして物語として続いていくんだね。なんだかすごいことをしているようで震えそうだ」

「大丈夫、私がいつでも支えてあげるから」


 身を寄せ合って唇を重ね、手を握りしめながら街灯の下を無言で歩く。

 肌寒い夜のはずなのに手から伝わる熱は僕を芯から温めてくれた。

 うん、少しだけ回り道をして学び舎に戻ろうか。

 ……そこで僕は街灯がついていることに気付いた。たしか太陽の祝福者であるタファト先生しか今は灯せないはずだ。それが僕達の歩く方向に都合よく灯っている理由は……。


「もう、エラムもトゥイも二人の雰囲気に酔っちゃって! わたしとセトも追いかけようと思ったのに声をかけられなかったじゃない!」

「そうそう、このクルケアンを見るのも最後になるかもしれないからみんなで散歩したかった!」

「俺たちガド小隊も護衛代わりに後ろをつけていたんだぜ? それがまぁ、熱にあてられるやら、馬鹿らしくなるやら」

「……ごめんね、安全のために街灯から様子を見守っていたの。でもエラムは立派だったわよ。イグアルなんていまだに手を握るのも緊張しているのだから」

「タ、タファト、私だってな……」


 そこにはみんなが不満顔だったり、笑い顔だったり、色々な表情で出迎えてくれた。真っ赤になって俯いたトゥイの手をもう一度しっかりと握りしめる。どうせみんなに囃し立てられるのなら、その体力を奪うべきだ。うん、明日に備えてなんて考えなくてもいいんだ。


「よし、誰もいないクルケアンで大追いかけっこを提案する! 範囲はタファト先生が光を示してくれる範囲まで! 勝者は新しいクルケアンの都市の門にて永遠に顕彰されるものとする!」


 歓声が上がった直後、どうすれば勝つのかを説明する前にセトが駆け出した。エルもガド達も、酔って千鳥足のイグアルさんもタファト先生に背を押されながら走り出す。


「さーて、みんなに追いつこうか、トゥイ」

「ええ、どこまでも、どこへでも一緒にね」


 クルケアンの三十三層が光の輪のように明るく光り、上層を照らしていく。そして僕らは笑い声を上げながらへとへとになるまで走り続けるのだった。

 そうそう、恐らく後世の大作家、トゥイ女史の本にはこう書かれているはずだ。クルケアンの西門には奇妙な顕彰碑がはめ込まれていると、そして一等賞はアスタルトの家のみんな! と子供みたいな字が刻み込まれているのだと。

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