第312話 永遠の孤独⑤ 兄と弟

〈アドニバルとロト、セト達を見送った城壁にて〉


 クルケアンの城壁に、魔道具の街灯が点々と連なるように光の線を描いていた。最後の太陽の祝福者であるタファトが教え子のためにアスタルトの家までの道先を示しているのだ。悄然とセトとエルシャが歩き去っていくその後姿を、アドニバルは嘆息しながら見続けていた。


「二人ともごめんね。でもエリシェ姉ちゃんとトゥグラト兄ちゃんの物語は終わらせないといけないんだ。君達の選択でそれが叶う」


 愛する二人の永遠の苦しみ、そしてそれに耐え続ける想いの深さをアドニバルは思う。それは美しいものであるはずだが、魂はそれほど強くはない。いつかはひびが入り、それが広がって崩れ落ちてしまうだろう。むしろセトとエルシャが四百年前の記憶を失っているのは僥倖ともいえるのだ。ラシャプの呪いが魂の安息に役立つとは皮肉であったのだが。その時、共に精神の内に棲まう友人が疑問を呈した。それならばなぜ手紙を読ませ、記憶でなくとも記録を与えたのかと。


「アドニバル、彼らに記録を与えて良かったのか?」

「僕に分からないさ、バァル。まだイルモートとエルシードの想いを受け継いでいる存在がある。それら受け入れるのか、拒絶するのか、彼らに選択する準備を与えただけさ」

「バルアダンを核として明日にも復活するイルモートの肉体、そして外宮にあるエルシードの精神……確かにそれらと繋がれば記憶がもどることもあるか」


 記憶が戻る方がいいのだろうか。

 それとも戻らない方がいいのか。

 どちらが成功で失敗か分からないが、それは秤にかけることと同じであり、羽毛一つの重さで決定的に傾くものなのだろうとバァルは考える。広寒宮で彼らの兄として過ごしてきたバァルにとってもアドニバルの決断をすぐには肯定できないでいた。


「いいのさ、後は二人の決断次第さ。もし神の記憶を取り戻し、滅ぶ時が来るまで繰り返すも良し。記憶を記録に留めてその時の人生を過ごすのも良しだ」

「アドニバル、君は長く生きて達観しすぎていないか? 観察と悪戯しか楽しみがないというのは同居人として心配するところだぞ」

「……もしかして君さ、僕を人に戻してやりたいとか思っていない?」


 アドニバルのからかうような問いにバァルは答えない。瀕死のアドニバルに与えられたエルシードの力。それは人にとっては永遠といえるほどの生きる時間を与えられたものであった。エルシードはいつの日かアドニバルと巡り合ってその力を消し去ろうとしていたのだろう。しかしそのためにはエルシャがエルシードとして目覚める必要があり、これまでと同じく彼女がイルモートを見守り続けること意味していた。


「永遠の生はともかく、この体だけなら恐らく広寒宮に行けば君に返すことができる。だがその後どうするつもりだ?」

「そうだね、その場合はそのまま広寒宮に留まり遊びまわるか、それとも地上で探検をするか」

「……君がおとなしく遊んだり探検するわけがないだろう。どちらも大きな被害を被りそうだな」


 肉体を広寒宮に、精神を外宮に、そして魂のみを地上に降ろしアドニバルの中に入ったバァルとしては、体を返せぬまま呪いによって竜と化してしまった。友人としてもちろん機会があれば返すつもりだが、それはアドニバルも同じく永遠の孤独に捉われてしまうのだ。人生というものが川に流れゆく舟ならば、彼は多くの友人と仲間の舟を対岸で見続けるしかない。

 イルモート、エルシード、ラシャプ、モレク、ダゴン……寂しさや愛情、支配という違いはあれど、神々の多くが誰かを求めて地上に降り立ったのだ。もしアドニバルが孤独に耐えられないのであれば、神の力を取り戻した後に死という救いを与えることができる。だがその時、自分は剣を彼に振り下ろすことができるだろうか。

 精神の内で悩めるバァルを見透かしたようにアドニバルは笑う。


「だからさ、バァル。なるように任せようよ。この世界が滅ぶのも、救われるのも……イルモートとエルシードがどういう結末を迎えるのかも」


 アドニバルはそう言って大きく背伸びをする。背中から翼が生えてきているのは、セトが治療のために施した、在るべきものに戻す印の祝福が薄れていっているのだ。竜のタニンへと姿を変えつつあるとき、怒りで石畳を踏みつけるような足音が周囲に響く。その音を聞いたアドニバルは、この人はいつも何かに怒っているのだと笑う。ただしその感情は人に向けられたものではなく、理不尽な運命や力が及ばない自分自身へ向けられているのだ。


「相変わらず誰かのために怒っているんだね、ロト兄さん」

「ようやく会えた。魔獣となって四百年、ようやく、ようやく――!」


 フェルネスが震える手をアドニバルに手を伸ばした。柔らかなはずの弟の頬はたちまち固い鱗で覆われていく。また弟を見送るしかできないのかと悔しさでフェルネスは叫び声を上げた。サリーヌ王妃然り、バルアダン然り、アドニバル然り……なぜ自分はいつも一歩届かないのだろう。


「兄さん、全ての決着がつく月の広寒宮で会いましょう。でもその前に復活したイルモートの肉体をできるだけ削り切らないといけない。頼めますか?」

「あぁ、もちろんだ。オシールとシャマールと共に必ずやイルモートを切り刻み、ハドルメの民の復活の魔力としてやる」

「それはイルモートの核となったバルアダン父さんを斬るということでもあるんだけど?」

「せめてもの情けだ、奴が望んだ未来のために斬り捨ててやるさ」

「もう、兄さんは相変わらず素直じゃないんだから。父さんを楽にさせてやりたいって言えばいいのにね」


 アドニバルはからかうように笑うと大好きな兄に飛びついた。竜に変わるまでの時間を惜しむように固い腕で抱きしめるが、やがて手が竜の爪に変わり距離を取る。弟は兄に向かい合うと、昔は見上げるだけだったその目が同じ高さにあることに気付いた。


「……やっと兄さんに追いついた。今なら稽古でも僕の方が強いんじゃないかな」

「何を言う、まだまだ俺の方が強いはずだ」

「なら、もし人に戻る時があれば勝負だね。その時に負けて悔し泣きしても知らないから」

「四百年前と同じことを言う奴だ。そしてこれからもずっとそう言うに決まっている」

「もし人に、普通の生に戻れない時は――」


 フェルネスは手でアドニバルの言葉を制す。弟を助けられないでいてどうして兄貴面ができよう。それに家族でもあったバルアダン王とサリーヌ王妃が世界を救ってくれるというなら、自分はその家族こそを救わなばならないのだ。


「必ずお前を助けてやる。だから信じて待て」

「……うん、兄さん」


 やがてアドニバルの全身が光り輝き、黄金の巨大な竜が出現した。フェルネスがタニンに弟を守ってくれと言葉を投げかけると竜は呆れたように低い唸り声を出し抗議する。兄であるならば責任をとれ、というように聞こえるのだ。思えばあの弟がおとなしくしているはずがない。恐らく数百年もの間、心の中で騒いだり唆したりしていたのだろう。事情を察したフェルネスは頭を下げて慇懃に頼み込む。


「……どうやら体の中で俺の弟が迷惑をかけているようだ。広寒宮からクルケアンに戻ってくれば立派な寝床と食べ物を用意しよう。それで許してはくれないか?」


 タニンはクルケアン中に響く鳴き声で応え、アスタルトの学び舎に向けて飛び立っていった。そしてフェルネスは騎竜であるハミルカルを口笛で呼ぶと、力強く鞍上に飛び上がる。


「オシール、シャマール! 覗き見とはいい趣味ではないな。そろそろ姿を現したらどうだ?」


 二体の竜の羽ばたく音が聞こえ、ばつが悪そうな兄弟が現れる。


「せっかくお主とアドニバルの再会に水を差さまいと思っていたのに呼びつけるとは無粋な奴だ」

「私達も飛び出すのを我慢していたのですよ」

「……どうせにやにやと笑っていたのだろう」

「おいおい、泣きたいのを我慢して兄貴ぶるお主を温かい目で見ていただけだ」

「私はその光景に涙ぐむオシール兄さんを見ていただけですから」 

「おい、シャマール!」


 フェルネスは二人を見て笑った。いつかアドニバルともこうして並び立って口喧嘩をする日々が来るのだろうか。家族と一緒に他愛のない、馬鹿らしいことで言い合う日々をつかみ取ることができるのだろうか。目を閉じ、そして開いた時にはフェルネスは戦士の顔に戻っていた。オシールとシャマールはその様子を見て大きく頷き合う。


「フェルネス、勇猛なヤバルの子でありバルアダン王の養子よ。お主がハドルメの次の王となれ」

「何を言う、オシールこそそれにふさわしいではないか」

「我ら兄弟は魔人。人として復活するハドルメの民の上には立てぬし、面倒な王になるつもりもない」

「俺も魔人だろうに、おかしなことを言うな」

「それはお主の中にいるメルカルトに聞くといいさ」

「メルカルトの存在をなぜ知っている! いやそれよりもメルカルト、どういうわけだ?」


 精神に棲まうメルカルトは黙して語らない。フェルネスは再度このおせっかいな神が四百年前に何をしたのか問い詰めようとした時、シャマールが下方を指し示す。


「おや、広場でかがり火が動いていますね。恐らくベリア殿が呼んでいるのでしょう。明日の戦いに備えるためにもわたし達も合流しましょう」

「その言葉、バルアダンのことを知っておるのだな?」

「ええ、アドニバルから聞きました。セト達や貴方が彼と会う前にね」


 フェルネスはなぜ弟が自分よりシャマール達に会いに行ったのかと渋面となる。


「先に会うと兄さんが興奮して何も話を聞いてくれそうにないから、だそうですよ。感情を優先する兄を持つと苦労するものです。ねぇ、オシール兄さん」

「……俺はフェルネスより直情的ではないと思うがな。だがそれよりも、この状況だからこそ俺達は王の想いに応えるつもりだ」

「そしてイルモートの力をそぎ落とし、王の魂を取り出して王妃の前に連れていく、これを最後としたいのです」


 最後? 最後とは何だろうかとフェルネスは兄代わりの二人を見つめる。運命の幕引きとしての最後だろうか、それとも人生なのか。だがいずれにせよその覚悟は自分にもあるのだ。ならば聞かずとも戦いの中でそれを果たさせる事こそするべきだろう。手綱を引き、広場に向けて降下を始めると次第に見知った顔が増えていく。飛竜騎士団からの自分の部下達や魔人化された神獣騎士団第一連隊の生き残り、それにモレクから託された底辺の神官達――。これも家族というなら自分が救うべきものなのだろう。彼らと復活するハドルメの民に対する責任が自分にはあるのだ。


「オシール、生き残ったら王にでも何でもなってやろう。戦って守る。いや守るために戦うのか。いずれにせよ剣を振り続けることしかできないがな」


 迷子となった子供が家路を見つけたように笑顔を浮かばせながら、フェルネスは広場へと急いでいった。

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