第311話 永遠の孤独④ 愛しい君に

〈エルシャ、セトとアドニバルと共に四百年前の隠れ部屋にて〉


「エルシャ、この手紙をセトに読んであげてくれ」

「は、はい。封蝋をとってもいいでしょうか?」

「もちろんだ。もっとも封印で君かセトにしか開けられないものだしね」

「?」


 なぜ四百年前の封印がわたし達でないと解けないのだろう。まったくアドニバルさんは変なことを言う。首を傾げながら手紙に指を滑らせていくと、蝋が青く光ってゆっくりと溶けていく。驚きながらも目の前に現れた文字を眺めていくと、古代文字ではあるがなぜか読めるのだ。……もしかしてわたしは天才なのかもしれない。自慢げにセトに笑顔を向け、そして書いた人の感情を込めるようにして最初の文を読み上げていく。


「エルシードから、愛しいイルモートへ」


 変だ、この手紙は四百年前のエリシェとトゥグラトという人の恋文のはずだ。なぜ神様の名前が出てくるのだろう。アドニバルさんに顔を向ければその続きを促すかのように目を伏せる。何故か体が震えだしていく。それは怖さではない、何か魂が揺さぶられていくような衝動だった。



 エルシードから、愛しいイルモートへ。

 あなたがこの手紙を見るのは、

 ラシャプらの企みをサリーヌ女王が打ち破った後かしら。

 わたしの完璧な計画なら、生きて直接伝えているはずなので、 

 力尽きてまた神殿に眠りについたという事かな。


 ねぇ、イルモート。

 ハドルメの城で告白してくれた事や、

 クルケアンで求婚してくれた事、本当にありがとう。

 御伽噺のお姫様みたいに、笑顔で受け入れるつもりだったんだけど、 

 嬉し涙でぐちゃぐちゃになってごめんね。

 だって、人となったイルモートに、

 ついに地上で出会えて結ばれたんですもの!

 そう、この思い出はわたしの一番の宝物でした。

 でも一緒に老いていくことができず、ごめんなさい。


 次にあなたが生まれ変わっても必ず会いに行くから、泣かないでね。

 だってわたしは神様だから。何度だって君に会いに行ける。

 それが百年、千年の時の向こうでも必ず。


 手紙を書いたのはね、心配していることがあったから。

 イルモートがクルケアンを天へ伸ばし、

 外宮にあるわたしの精神を殺すんじゃないかってこと。

 

 精神と肉体を滅ぼされ、人の子として受肉し、

 魂だけ受け継いで生まれ変わっていく人間のあなた。

 

 精神を天界の入り口に残し、神の力を保ちながら、

 肉体と魂のみ地上で永遠に生き続ける神のわたし。


 自分のために永遠に生き続けるわたしを、心配しているんでしょう?

 あなたと巡り合うのは、人のわずかな寿命の間だけ。 

 気の遠くなるような時の流れの中で、

 点のように浮かぶその幸せと、ただそれを待つ長い孤独。

 あなたはわたしが一人ぼっちで眠ることを気にしている。


 だから人の身で外宮に至り、

 天界と切り離して人間にしようとしているはずだよね。

 ただの人として生きていくために。

 永遠の孤独からわたしを掬いあげるために。

 えへん、わたしは何でもお見通しなのだ!

 まぁイルモートのこと限定だけど。 

 

 イルモート、あなたは心配しすぎなのよ。

 どんなに長く待ったとしても、いつかきっと会えるんだから。

 どんなに一人の世界が暗くても、あなたの夢を見続ければいいんだから。

  

 そうそう、次に会える時はさ、わたしにも両親やお兄さんがいたらいいなぁ。

 でも、イルモート、それなら結婚も申し込みはちゃんと練習しないとね。

 わたしに告白するだけでも手が震えているんだから。

 ちゃんとかっこよく家族にも伝えてくれるのかな?

 

 あとはたくさんの友達かな。

 わたし達だけでなく、一緒に悪戯をしてくれるような!

 きっとクルケアンもハドルメも大慌てになるよね!

 それぞれ賑やかな家族や友人がいて、賑やかなに過ごす毎日。

 うん、そんな楽しい未来になるように祈ってる。

 それなら待つ時間も長くない。

  

 さて、この手紙は万が一のために書いたもの。

 戦いの後、互いが無事な場合は決して見ないこと!

 見た場合は頬を思いっきりつねってやるんだから、覚悟しなさいね。

 あ、でもここまで読んでいるということは、

 やっぱり頬つねりは決定ね!



「……愛するイルモートへ」


 読み終えたわたしの頬には涙が伝っている。  

 エルシード、エリシェ、そしてエルシャ。わたしは、わたしは……。


「君は君だ。言ったろう? 代わりに聞いておいてくれと。だから思い込まなくていいんだ」

「アドニバルさん……」

「届かない想いほど悲しいものはない。四百年前の恋人達の想い、声に出してくれてありがとう。きっと伝わったはずさ」


 そしてアドニバルさんは、これで半分と言わんばかりにセトに目を向けた。

 セトがもう一つの手紙の封蝋に手を重ねる。一瞬、赤い光が部屋に満ちるけれど、セトは動じる様子もない。


 イルモートの力、印の祝福を持つセト。

 やっぱりあなたはイルモートの生まれ変わりなの?


 わたしの目を見たセトは少し悲しい表情をして、それからゆっくりと手紙に目を落とす。


「イルモートから、愛しいエルシードへ」


 夕焼けの光が壁と天井に空いた亀裂からわずかに差し込んだ。もう日没が近いのか陽の光がやけに暗い。そう、それは血の色のよう。次第に赤黒く染まっていく部屋で、セトは静かに語りだした。


 エルシード、気を失った君を抱きながらこの手紙を書いています。

 君と同じくダゴンとの戦いで重傷を負ってね、もうぼろぼろさ。

 神の力を持つとはいえ体は人の子、どうやらもう長くはないらしい。

 あぁ、ここにある君の手紙を読みたいけれど、

 その前に僕の想いを書き残しておきたい。

 

 サリーヌ女王はもうすぐラシャプに迫るだろう。

 彼女が命を賭してハドルメの民を守るのなら、

 僕はクルケアンの民をこそ守ろう。

 最後の命、この都市を守るために使うつもりだ。


 クルケアンの民を魔獣にはさせない。

 だって、僕と君を人として育ててくれた故郷なんだから。

 悪戯をして、怒られて、笑われて、お菓子をくれて、

 肩車もしてくれた大事な人達だ。

 そして僕の家族が生きていた町だから。

 僕と君が大好きな町だから。

 

 それでもあの赤光は防ぎきれない。

 だから君だけでも海の神殿に送り届けよう。

 君の肉体と魂が呪いに蝕まれてしまう前に。

 僕の魂が呪いに蝕まれてしまう前に。


 ねぇ、エルシード。

 僕はやっぱり思うんだ。

 暗い海底で眠り続ける君はかわいそうだって。

 僕を待ち続ける君はとてもさびしそうだって。 

 

 ねぇ、エルシード。

 君も人にならないか。

 外宮の精神を壊し、肉体を捨て魂だけで生まれ変わるんだ。

 僕と同じようにね。

 

 もしかしたら、前世の記憶を失うかもしれない。

 もしかしたら、僕と君は出会えないかもしれない。

 でも、君は何度も幸せな人生を味わえるはずだ。

 

 もちろん、君が他の誰かに愛を囁くだなんて我慢できるはずがない。

 でも、そうしないと、僕達は何度も同じ生を繰り返すだけなんだ。

 次に生まれ変わった時は、別の人生であるべきなんだ。

 その子の人生であるべきなんだ。

 だって、そうしないと今の僕達の生が特別なものにならないだろう。


 あっという間だったけれど、楽しかったよね。

 悪戯をした僕達に、兄さんが拳骨を振り下ろして勉強しなさいって怒られたよね。

 その翌日に悪戯に誘う君の笑顔は忘れられるもんか。

 ハドルメの人達に囲まれて愛の告白をした時も、

 アドニバル達に見られているとも知らず求婚をした時も、

 騒がしくて騒がしくて、一日があっという間だった。

 僕は人になって本当に良かった。

 

「……それも支え続けてくれた君のおかげだ」


 わたしはセトの言葉を一字一句までも魂に刻み付けようと、心と耳をその声に傾けて聞いていた。

 エリシェ、エルシード。聞こえていますか?

 四百年前からの恋文、あなたを想う優しい人の言葉、わたしを通じて届けます。


 その時、わたしはふと気づく。すでに陽は落ちているのだ。暗い部屋の中でわずかに暖かい石壁だけが夕焼けの名残を示している。それでもセトは手紙を読み続けているのだ。……いや、読んでいない。いつからだろう、セトの赤い目はずっとわたしの目を見ていたのだから。


 あぁ、愛しいエルシード、東方が赤く光りはじめた。

 どうやら急がないといけないらしい。

 君の手紙は心残りだけど、海底の神殿まで早く送り届けないとね。

 

 次の人生、記憶を失ったとしても、

 きっとクルケアンを上り、外宮へ行く。

 そして君の精神を、神としての君を殺すために。

 エルシードを永遠の孤独から解き放つために。

 そう魂に想いを刻み付けるつもりだ。 


 ごめんね、エルシード。

 それでもありったけの愛と感謝を君に。


「……僕のエルシードへ」


 手紙が終わり、私は泣いた。

 だって泣くことしかできない。

 ねぇ、セト。わたし達は本当にセトとエルシャなの?

 あなたが幸せになるには、わたしはどうすればいいんだろう――。


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