第310話 永遠の孤独③ 幸せの部屋

〈エルシャ、セトと共に隠れ部屋へと赴く〉


 大空洞から救出されたわたしとセトは昼過ぎまで寝ていたらしい……というのも何だか時間の間隔が曖昧なのだ。数百年眠っていたような、ついさっき転寝して起きたばかりのような。そんな起き抜けのわたし達にイグアルさんは抱きしめて、良かった、良かったと涙を流していた。


「もう、イグアルさんたら、大袈裟ですよ」

「……そうだよ、大空洞の調査中、ずーと寝ていただけなんだから」


 セトもまだふらふらとしながら遠い目をしている。わたしは念のため夢の世界ではないことを確かめるためにセトの頬を抓った。


「あいたぁ!」

「……うん、夢じゃないみたいね」

「そうさ、これは現実なんだ。お帰り、セト、エル」

「変なイグアルさん。久しぶりに会ったみたいよ」


 数日ほど意識を失っていたのだろうか。でも衣服も汚れていないし、喉も乾いていない。きっと心配をかけすぎてしまったのだ。この分だと家に帰ったら、お父さんは涙と鼻水を流しながら駆け寄ってくるんだろうな。年頃の娘としては少し遠慮して欲しいんだけど。でもなぜか無性に家族に会いたい気持ちを抑えられない。


「イグアルさん、ちょっと家に戻ってきますね」


 そう言って三十四層のアスタルトの家から戻ろうとすると、セトが手を掴んで止めた。どうしたの、と聞こうとした時、イグアルさんが露台に連れて行って外の景色を見せてくれた。目の前に広がる光景は、多くの市民がイズレエル城やティムガの草原の交易地、そしてギルアドの城へ避難していく光景だった。


「今、クルケアンには兵と君達しかいない。眠っている間にいろいろあってね。いよいよ魔獣となったハドルメの民の魂を解放することになった」

「じゃぁ、もうすぐ魔獣に怯えて暮らさなくてもいいんですね!」

「明後日からはね。……でも明日まではクルケアンは戦場となる。恐らく一時的に魔獣石が魔獣に戻り大混乱となるはずだ」


 そのための避難なのだとイグアルさんは言った。面倒見のいいお父さんのことだ、今は多くの市民を助けながら避難地に向かっているんだろう。


「君達アスタルトの家には、魔獣の人化の最後の仕上げを頼むことになる。慌ただしいことだが、今日の夜にはクルケアンの頂上に向けて出発をするんだ」

「クルケアンの頂上で何をするのですか?」

「魂の観測さ。アナトとニーナの月の祝福を用いて君達をハドルメの魂に引き合わせる。その時、名を思い出す作業にアスタルトの家の協力が必要なんだ」

「じゃぁ、お父さん達に会うのは後になるのかぁ」

「……そうだな、少し後になるな」


 そう言ったイグアルさんの目が泳ぐ。何かあったのだろうか。


「お父さんはイズレエル城に?」

「君達の支援をするため、ガムドさんと一緒に少し遠いところに行っているんだ。もしかしたらアスタルトの家が行き着く先で会えるかもしれない」


 塔の頂上へ行く準備ができたら話す、と言われて何となく頷く。わたし達が行き着く先とはきっとクルケアンの頂上のことだろう。そこで会えるのなら準備をするほうが先だ。持って行く物は梯子だろうか、縄だろうか、それともお弁当だろうか。セトは何を準備するんだろうと振り返ると、彼はタニンに魔力を流していた。


「ひどい傷を負っているから、少し力を分けていたんだ。タニンの回復が早まればいいんだけど」

「確かにひどい傷ね。ねぇ、タニン、あなた何と戦ってきたの?」


 タニンは低く鳴いたのみで、何も語ろうとしない。そしてセトが魔力を流し終わるや、空に向けて大きく羽ばたいていった。あの方向はクルケアンの西の城壁だ。あそこにねぐらでもあるのだろうか。 


「君達も行ったことがあると思うが、ちょうどタニンが飛び去った方に車輪のギルドの隠し工房がある。ガムドさんによるとそこの奥の部屋に貴重な情報があるらしい。……それを手に入れてくるのが君達の準備だ」

「分かりました、じゃぁ、セト、行こうか」

「……あぁ」


 セトはなぜか元気がない。

 もうすぐクルケアンの頂上に行けるというのに、セトらしくないのだ。

 だって少し前なら飛び上がって喜ぶに決まっているのにね。

 だからわたしは彼の手を握る。

 わたしはここにいるんだ、安心してよと、熱を伝えてあげるんだ。


 夕方に近づいたクルケアンを、そして誰もいないこの階段都市をセトと二人でゆっくりと歩く。いつの間にかできていた大きな時計塔を見て驚いたり、クルケアンの頂上から伸びる白い階段を見て顎が外れるくらいに大きく開ける。少しずつだけどセトが元気を取り戻していくのが嬉しい。


「誰もいないクルケアンは寂しいけれど、これならわたしとセトで思いっきりかくれんぼができるね」

「そうなったらエルは絶対見つからないところに隠れるでしょ、公平な勝負ができないよ」

「大丈夫、未熟なセトのために声は出し続けてあげる。そうすれば探しやすいでしょ?」

「そして僕が見つけたら、今度はエルが探す番だね」

「それこそ大丈夫よ。わたしはどこにいてもセトは捕まえる自信があるんだから」

「無人のクルケアンにいても?」

「もちろんです。だって出てこなかったら都市を人質にとるわ。出てこないと、壊してやるぞってね」

「……バル兄に捕まって、きついお仕置きを受けるんだろうなぁ」

「セトとわたし以外に誰もいないんだから、いーんだもん」


 二人して笑いながら、前にギデオンさんに案内された隠れ工房への入り口に立つ。誰もいない工房をぐるぐる回って奥の部屋を探すが、セトとわたしが気に入りそうな小部屋があって、そこの机の上に封蝋がされた巻手紙が置かれてあるだけだ。そしてその壁には字が伝言のように書かれてあった。


「父さんの字だ。愛する息子へ、真実はお前が決めろって」


 セトは手紙を拡げ憑かれたように読みだした。そしてそのまま壁に近づいたと思うと、どうやら魔力を流し込んでいるらしく、目を瞑って力を貯めている。そしてセトが目を開いた瞬間、壁の向こうに大きな部屋が現れたのだ。


「手紙とお菓子がいっぱいある。でも勝手に入ってもいいのかしら」

「そうだね、ここにいる三人にはその権利がある」


 突然、誰かの声が聞こえてきた。慌ててセトの後ろに隠れるも、セトは優しく手を握って大丈夫と囁いた。ならばとその人の顔を観察するのだが、わたしは大声でセト同じくらい大事な人の名前を叫んでいた。


「バル兄!」

「残念だけど人違いさ。無関係ではないけどね」


 バル兄にそっくりなその人は隠れ家の椅子を引っ張り出して、慣れたように座った。そして机の上にあったお菓子を食べながら手紙を一つ取るとそのまま読み始めたのだ。


「あのう、人の手紙を読むのはいけないかと……」

「ん? 大丈夫だよ。これは僕宛ての手紙だから」

「え、でもこの隠れ家の様子だと、数十年以上は放置されていた感じですよ」

「そうだね、神殿長のトゥグラトが封印して四百年は立つしなぁ……」


 その人はしばらく手紙を読み続けた。部屋は暗くて表情がわからないが、何となく嬉しそうでもあり、寂しそうにも見える。

 そしてわたしに近づき、手を握りにこやかに笑った。


「ありがとう、エリシェ姉ちゃん。おかげで兄さんや父さんと再会することができた」


 あの手紙とわたしは何か関係があったのだろうか。

 でもわたしの名前はエルシャで、エリシェではない。混乱するわたしをよそに、そのその青年は笑顔を向ける。


「やっと直接話す機会を得られた。……久しぶりだね、エリシェ姉ちゃん。そしてトゥグラト兄ちゃん」

「……あなたは誰?」

「僕の名前はアドニバル。タニンに封印されていてね、この数百年、世界を見続けてきた男さ」


 そういってわたし達に二通の手紙を差し出した。

 愛しいイルモートへ、

 愛するエルシードへ、とそれぞれ宛名が記されている。

 これは神様が書きしたためた恋文なのだろうか。


 アドニバルさんは部屋にあった棒を握るとなにやら力を込め、屋上に向けて突き刺した。亀裂から夕日が差し込み、音を立てて壁と天井が崩れていく。その様子を見て何故か懐かしそうに笑っていた。


「あの、天井に何が?」

「……空から見ていてくれるかな、と思って。大昔にあそこから愛の誓いを覗いていたんだ。ずーと好き合っているくせに十年も結ばれないものだから気になってさ。君だってそう思うだろう?」

「十年も! それは男が悪いですね」


 その男に腹が立って、その代わりにとセトを睨みつける。

 誰かは知らないが、わたしとしてはやはり男性から愛の言葉を囁いてほしい。

 トゥイなら分かってくれるだろうか。


「だからここに連れてきて雰囲気を作ったんだ。結婚を申し込んだ男のぎこちなさは目を瞑るとして、結果は見事大成功、情熱的な接吻をしたんだ!」

「良かった! でもアドニバルさん、覗きはよくないですよ」

「まぁ、複数犯だから責任と処罰は分散されるべきだね。父さんと、母さん、それにロト兄さんに……」


 家族で覗いていたことに呆れつつも、わたしもそこにいれば絶対に覗いていただろうし、反論はしないでおく。


「でもね、その後はめでたし、めでたし、で終わらなかった。だから僕としては続きを見たいんだ。大好きな二人の、幸せな未来を」


 手紙がそのままあるということはもしかして読むことなく亡くなったのだろうか。それともどちらかが、どこか遠い場所へ旅立ってしまったのだろうか。


 四百年前の恋文、か。

 その恋人達はどんな思いで手紙を書き残したのかな。



「二人に代わって読んでくれないか? きっと魂に届くと思うから」


 そしてその手紙こそがクルケアンの歴史なのだと、アドニバルさんは言った。

 これがイグアルさんの言っていた準備なのだろうか。

 クルケアンの歴史、それを知ることでわたし達は頂上を目指せるのだろうか。


 夕日の最後の一筋が私達を照らす中、恋文の代読会が始まる。

 それはとても美しい、そして悲しい愛の詩だったのだ。

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