第309話 永遠の孤独② 未来への道
〈クルケアン最上層にて〉
ラシャプとモレクが死んだその日、大貴族たちは最上層の祭壇に集まっていた。遥か下を見渡せば、少し前に大喧嘩をした家出息子共が飛竜に乗って草原を飛んでいる。避難する人々の世話を焼いている。ゲバルの交易地、イズレエル城、そしてギルアド城と忙しく動き回っているのだ。
アジルの父であるエパドゥンはたくましくなった彼らを見て、謹厳な顔に笑みを浮かべる
「皆、思い残すことはないな」
「もちろんです。むしろ血杯として鳥かごのように生きることだけを目的とした我らが、子供達に自由を与えられたのです。嬉しいことはない」
「そうだな、もうあの呪いの言葉をかけなくてもいいのだから……」
エパドゥンは思う。
あれは自分がアジルを授かり、妻の手を握りしめ喜びの絶頂であった時だ。
そして父に報告をするため我が子を抱いて私室に赴き、喜色を浮かべているであろう姿を確信していた時だった……。
「エパドゥン、その喜びようは子供を授かったようだな」
「はい、父上。元気な男の子でございます。ピエリアス家にとってもようございました。聞けばカフ家にも嫡男が誕生したとのこと。これで貴族は――」
「子を絶対に死なしてはならぬ」
「は?」
エパドゥンは当たり前だが、命令をするような冷たい言葉に戸惑った。あの温厚だった父はなぜ喜ばないのだろう。いつも笑顔で自分のわがままを聞いてくれた父は、なぜ拒絶するかのように自分と孫を睨みつけるのだろうか。
「儂がお主にしてきたように美食を与え、長ずれば酒も与え、女も与えて骨抜きとせよ」
「ち、父上……!」
「始まりの八家、クルケアン建設からの大貴族には呪いがかけられておる。我らの膨大な魔力は神に捧げる血杯なのだ」
「呪いですと?」
「そうだ、破れば一族は滅びる。我らはいずれ復活する神のためにその血を絶やしてはならぬ。また血を拡げてもならぬ。次男が生まれれば殺せ。その子が死ねば次をもうけよ」
儂の役目は終わった、そういって祖父になった男は仮面のような顔でいやらしく笑った。
エパドゥンはこれが父の本当の顔なのだ、と震えながら悟った。
これまでの優しい笑顔こそ仮面であり、呪いを自分に受け渡す今日この時までの演技だったのだ。父の言葉の後、エパドゥンは自らの精神にどす黒い何かが棲みついたのを感じた。その何かは自分の魂を見張っているのである。いや、獣が獲物を食そうと牙を剥いているのだ。
「アジル、この神々の家畜の運命から逃げ出してくれ」
エパドゥンはアジルが十四歳になった時、せめて平民となり逃げきってほしいと真実を伝えた。
だがエパドゥンは何も告げずに死ねばよかったのだと後悔する。始まりの八家の末席、ザイン家の当主ヒルキヤの父は息子が子をなす前に身を投げており、それが呪いを回避する手段でもあったのだ。
息子に真実を告げ、自らの死を覚悟していたエパドゥンだったが、しかし精神の内の獣は引退していたピエリアス家の元当主を喰らったのである。それも息子であるエパドゥンの体を操ってその惨状を生み出したのであった。エパドゥンが絶望し自決する寸前、アジルがまっすぐな目で、全てを背負うかのような目をして父を制止した。
「父上、これ以上何も申されますな。ただ生きていてくれれば嬉しいのです」
生きる気力を失ったエパドゥンに変わって家督を継いだアジルは、カフ家のザハグリムと共に若い貴族の指導者になっていった。当時のザハグリムが恋をした時、その想い人を奪ってすぐに捨てたのも、もしかしたら友人が子をもうけ、呪いを受けることを避けたかったのかもしれない。あの子がウェルという新しい友人と共に檻を破った時、祝福すべきだったのだろう。お前は自由なのだと、見送るべきだったのだろう。だが愛する息子の遺体を前に、自分はウェルを憎んだ、ザハグリムを憎んだのだ。だが、だが……。
「私はアジルと約束したんだ。このウェルを必ず幸せにすると」
ザハグリムはウェルの手を握りしめて、自分の前で愛を誓ったのだ。
もしかしたら、アジルの人生もこうであったのかもしれない。
……もしかしたら、アジルはこの二人を自分に見せたかったのかもしれない。
「行ってきます」
エパドゥンは思う。最後にそう言って飛び出していった若い恋人達は、そしてその仲間達は恐らく息子と同じ目をしていたのだろう。このクルケアンの最上層から、大貴族の息子達が飛竜に乗って自由に空を舞う姿を見ていると、なぜか彼らの先頭にあの子の姿を見たような気がした。
「行ってこい、アジル」
エパドゥンは誇らしげに息子に語りかける。
「エパドゥン殿……」
「さて、皆々、覚悟はよろしいな」
エパドゥンの言葉に皆が笑いながら頷いた。ラシャプから預かった魂の力、そして呪われた自分達の力を未来に生きる我が子達のために使うのだ。これはもしかすると充実した一生というべきものなのではないだろうか。
「もちろんです。息子め、さぞや驚くだろう」
「迷子になってもこれで家への帰り道が分かるというものだ」
「それに偉くなったとしても親の目がここで光っているのだと知らせておきましょうぞ」
エパドゥンを中心に淡い光が広がっていく。それは最上層からさらに天空へ伸びていった。ティムガの草原にいた若い貴族がクルケアンを指さして仲間に異常を知らせる。
「お、おいクルケアンの頂上を見ろ!」
「階段が……天へ上る階段が!」
クルケアン最上層に広寒宮へ繋がる最後の階段が出現した。
それが父親達の魂によるものと知らず、家出息子達は出現したその光の階段を見て不安と温かい何かを心中に抱く。
そして何故か湧き出でるクルケアンに帰りたいという気持ちを抑え、自らの役目であり意志でもある避難民の護衛を続けていくのだった。
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