第304話 ウェルとザハグリム⑨ 笑顔の君と

〈ウェルとガド小隊とぼろもうけ団、大空洞にて〉


 ダゴンが戦斧を構えるだけで、ぼろもうけ団の皆は蜘蛛の子を散らしたように逃げ惑う。

 

「弱い兵どもだ」

「そう、あたし達は弱い。だからこそ一緒にいる」

「群れで挑むことが生き永らえるための手段だというのか」

「違うわ、一緒に笑っていたいから、寂しいから私達は群れをつくるの。対等な友人をね」

 

 ガドがダゴンの前に進み出て、剣を突き出し大声を張り上げた。

 

「ぼろもうけ団、バルアダン中隊第二小隊と共に目の前の敵を打つ。相手はザハグリムの体を乗っ取ったダゴンだ!」

 

 団員が息を呑む。その気配を察したガドはうろたえるな、と叱咤した。

 

「ザハグリムの魂は残っている! いいか、ダゴンを弱らせ、ザハグリムに声をかけ続けろ。お前らのこれまでの思いをぶつけてやれ。いいか、間違っても殺すなよ」

 

 圧倒的である神を殺すなという命令に、さすがはうちの団長の上官だ、やっぱりおかしいとみんなは愉快そうに笑う。あたしの評価はあとで問い質すとしても、目的を持った団員に血色が戻っていく。ならあたしは先頭に立ってみんなの道を切り開こう。

 

「ガド小隊長! ウェルとぼろもうけ団、命令に従いダゴンを殺さない程度に打ち倒します。隊員、三隊に別れ! 中央はガド中隊長、左翼はあたし、右翼はティドアルの指示に従え。さぁ、大空洞の淵に追い詰めるよ!」

 

 百人の兵がダゴンに攻撃を仕掛けていく。二隊が牽制し、一隊が側面を突いて攻撃する。怪物に挑む者たちは物語にように勇ましくはない。戦斧に怯え、悲鳴を上げて避けながら、蚊のように槍で突き刺していくのだ。そして励ましあい倒れた者に肩を貸しながら戦っていく。

 

「ザハグリム、お前いつまで寝ているんだ!」

「そうだ、お前のおかげで神様と戦う羽目になったんだぞ」

「まったくだ、上等な酒の数瓶ではとても足りん、覚悟しておけ」

 

 団員がダゴンに取り付き、背中や頭によじ登り必死で叫ぶ。何か特別なことを言っているわけじゃなく、いつもの喧嘩のように喚くだけだ。怒号を上げたダゴンが丸太のような腕を振り回し、団員を払い落とす。

 

「みんな、逃げて! 踏み潰すつもりよ」

 

 ダゴンの足裏にめがけて滑り込み、倒れた団員をかばって剣を柱として足裏に突き立てる。だが、ダゴンはそのまま踏み込んできたのだ。

 

「団長を守れ!」

 

 左翼の隊が槍や剣を上方に突き出してあたしの周りに集まった。ガドの率いる中央の隊が槍衾を作ってダゴンの胸や腿をつき、ティドアルの隊が残っていた綱をダゴンの足に絡めて引っ張り始める。体勢を崩したダゴンが倒れながら戦斧を振るおうとするが、意識を取り戻したゼノビアとシャンマ君が銃弾を放ち斧の柄を吹き飛ばした。そしてミキトがダゴンの右目を矢で打ち抜いたのだ。

 

「見事なあがきだ。だが神を倒すにはまだ不十分」

 

 態勢を立て直したダゴンを前にいったん後退する。劣勢は変わらないがそれでも皆諦めていない。それにあたし達は待っていたのだ。アスタルトの家の、ぼろもうけ団の新入り。あの人が地上の魔人を倒しきった後、こっちへ向かってくるはずだった。

  大神殿へと続く洞窟の天井が揺れ、岩が割れる音と共に光が大空洞に注がれた。そして次の瞬間、瓦礫と飛竜と共に元飛竜騎士団長が飛び降りてきたのだ。

 

「ベリアのおっちゃん!」

「またせたな、魔人化した貴族どもをようやく殺し尽くしたところだ。……さて、数刻ぶりだな、ダゴン。ラシャプもモレクも敗北し、後は貴様だけだ」

「そうか、奴らは負けたか」

「奴らはその死にゆく身を受け入れ、おとなしくしておる。……それにその腹の傷から大量にでておる瘴気、お主の魂であろう。いずれ死ぬのであればラシャプのようにあがくのはやめよ」

「我の名はダゴン。誇り高き水竜の王だ。死を求めるなら戦いの中でそれを勝ち取るがいい。……残りの魂の全てを以って貴様たちを潰してくれよう」

 

 ダゴンの腹から漏れる瘴気が竜巻となり、それがはじけ飛ぶと巨人に変わって巨大な青い竜が出現していた。あれがダゴンの本来の姿なのだろう。でも魂を肉体化したことに無理があるのか、目や口から血を流し続けている。

 

「あいつの相手は私がする、皆は下がっておれ」

 

 水竜が人と飛竜を割くように爪を突き出すと、飛竜は速度を上げてその腕をかすめて飛ぶ。元飛竜騎士団長の大剣がダゴンの爪と腕を切り裂いて、そのままの勢いで剣を腹部に突き出した。

 

「バルアダンに匹敵する戦士がいようとは、嬉しいぞ」

「ダゴン、お主……」

 

 ダゴンの周りに突如として瀑布のような魔力の壁が生まれ、周りを吹き飛ばした。

 

「おっちゃん!」

「大丈夫だ。おそらく奴はもう限界だ、よくぞ追い詰めた」

「ううん、それはメシェクさん達のおかげ。あの腹の傷は私達がつけたものじゃないの」

「……そうか」

 

 飛竜が距離を取り、勢いをつけて魔力の滝に向かって突進する。同時に投げられた突撃槍が滝に突き出た岩のように流れを一瞬止めた。そしてその隙間に向かって飛竜が牙を突き立て、切り裂いたのだ。

 

「この壁を破るとは!」

「なぜ体を動かさぬ。こんな壁がなくとも巨体で動き回れば我らを踏み潰せよう」

「あの娘と対峙してから、そしてヒトの兵が増えてから体が満足に動かん。ザハグリムめ、よくも見事に神を縛ったものだ。そしてあの父親共も。……そうか、我はお前に負けるのではない。お前達に負けるのだな」

「あぁ、それが人の強さだ」

 

 そしてベリアのおっちゃんは大きく踏み込んで、大剣を雷撃のような速度で振り下ろした。顎を砕き、腹まで切り裂かれたダゴンはゆっくりと小さくなり、ザハグリムの姿に戻っていく。

 

 ガドも、小隊員も、ぼろもうけ団もザハグリムの周りに集まった。目をぼうっと開けた寝坊助がちゃんと起きるのを今か今かと待ち続ける。

 

「ウ、ウェル……」

「ザハグリム!」

「そ、その菓子は私が楽しみにとっていたもの、ど、どうか食べきらないで少しは残しておいて……」

「は?」

 

 今度は私の顔に視線が集まる。まったく、この男は変な夢を見て! まるであたしが食いしん坊みたいじゃない。

 

「ほら、みんながくれた結婚祝いの菓子じゃないか。見晴らしのいい場所で一緒に食べよう……」

 

 真っ赤になっているであろう顔を必死に手で覆って隠す。そしてからかい事が好きな団員達は大仰な声で囃し立てていた。

 

「俺達が必死に頑張ってきたっていうのになぁ」

「自分は甘い幸せな夢を見ているときたもんだ!」

「みんな、祝いの菓子には塩と辛子をいれようぜ」

「馬鹿、そんなことされたら団長が怒って叩きのめしに来るぞ」

 

 少したって、やっとザハグリムはあたしに気がついた。そしてじっとあたしの顔を覗き込む。砂色の瞳に見つめられたとき、文句も憎まれ口も消え去ってしまった。おそらく少し泣いていたのだと思う。おそらく、と言ったのはこの後の記憶があまりないのだ。だってザハグリムはそのままあたしを抱きしめて口づけをしたのだから。団員たちが奇声をあげて、あたしとザハグリムを引き離し、笑いながら、そして怒りながらあいつを小突き始めた。そしてあたしもつられて笑い始める。


 あの時、ザハグリムが寝ぼけていたのか、

 それとも分かってやったのかは確かめられなかった。

 だって地上へ戻る今となっても頑として白状しないのだ。

 いくら心を重ねることができても、

 口に出して欲しいことはいっぱいあるんだけどね。

 でも、あたしからはこれだけは言わせて。


「お帰り、ザハグリム」

 

 

 地上が夜を迎えた頃、ラシャプ、モレク、ダゴンの獣王は人に敗北し、そして死んでいく。だが、その魂のわずかなかけらは消え去ってはいなかった。人に守られるようにその者の精神の内に匿われたのである。そのうちの一つ、水竜の王ダゴンは死の間際に自分の魂を取り込んだ男に尋ねるのである。なぜ、あのまま消滅させなかったのかと。大剣を持つ隻腕の男はこう答えた。バルアダンと戦う、その時を自分の精神の内から見ていろ、と。

 

 

 

 

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