第303話 ウェルとザハグリム⑧ 泣き声を重ねて

〈ウェルとガド小隊、ダゴンと対峙する〉

 

 操られたザハグリムの、振り下ろされた剣が頭上に迫ってくる。

 これで死ぬのかな。ザハグリムに殺されるなんて、ちょっと嫌だ。

 だって、あいつが目を覚ましたらきっと悲しむに決まってる。

 そのくらいは己惚れていいよね、ザハグリム。

 

「そんなの、嫌だ!」

 

 こちらも獣のような声を腹の底から搾り上げ、双剣を交差させて剣を受け止める。ガドやティドアルも剣を受け止め、三人で押し返そうと必死で互いに声をかけ続ける。その時あいつが嫌らしい顔をして言ったのだ。

 

「誰だと思えば、この男の情人ではないか。ちょうど腹もすいたことだし、有難くいただくとしよう」

 

 ザハグリムの体が膨れ上がり、巨大な口をあたしに向ける。それはもはや獣の顔だった。突き出た顎に巨大な牙から涎がしたたり落ちる。ザハグリムの尊厳を汚すような、そんな光景にあたしは腹が立った。

 

「ガド、ティドアル、ちょっとだけ耐え抜いて!」

「相変わらず無茶を言う!」

 

 あたしは笑って非難するガドに向かって片目を瞑った後、一瞬だけ身を引いた。支えきれずにガド達は膝をつくが、それは勢いがついた相手も同じだ。低くなったあいつの口に双剣の一本を支え棒のように入れ込んだ。

 

「二人ともいったん引いて!」

「えげつないことをする。後でザハグリムに文句を言われても知らんぞ」

「傷口は戦士の勲章ってね」

「……二人とも、どうやらその心配はないようですよ」

 

 ティドアルの言葉に後ろを振り向くと、剣をそのままかみ砕いている一アスク(約七・二メートル)ほどもある怪物が立っていた。そして手を上げたかと思うと、雷光と共に巨大な戦斧を握りしめていたのだ。

 

「は、はは。これは確かに傷のつきようがない」

「ゼノビアとシャンマは奴の足を、ミキトは片目を打ち抜け! 遠慮は無用だ、それにザハグリムには後で俺とウェルが謝っておく」

 

 あたし達は銃と矢で牽制をしながら時間を稼ぐ。

 ……でも時間を稼いでどうなるというんだろう。

 せめてセトとエルだけでも逃がさないと。

 

「ガド、ここはあたしが引き受ける」

「いえ、ここは私が引き受けます。エルシード、いえエルシャさんらを早く地上へ」

「だめだ、全員で生きて戻るんだ。天井が低い大神殿の地下までおびき寄せれば勝機はある!」

 

 ガドがあたしとティドアルの襟首をつかんで走り出す。二人して、ぐへぇと変な声を出すと、張り詰めた覚悟が消えていった。

 そうだ、ガド小隊は誰も死んではいけないんだ。そう小隊長がキメラのなら仕方がない。なら……。

 

「よし、あいつには勝てない!」

「まだそんなことを……」

「違うよ、ガド。普通にやっても勝てないんだ」

「勝算があるのか。いいぞ、ウェルらしくなってきたじゃないか」

「大空洞の崖で使おうと持ってきた綱があるよね、それを……」

 

 小声で作戦を伝え、ティドアルが後方のミキト達の元へ走っていく。そしてあたしとガドは二人でダゴンの正面に立ち、腕を組んで待ち受ける。

 

「レビから聞いたんだけど、訓練生の時にダレトさんと模擬戦をしたんだって?」

「あぁ、レビが倒れたふりして、ダレトさんの足を掴んで引きずり倒した」

「ふふっ、レビが怒っていた。あの時は思いっきり踏みつけられた、まったく淑女に向かって何をするんだって」

「で、いまから別の淑女がそれを再現するわけだな」

「そう。あの時は規則違反って怒られたらしいけれど、この場所にはそんなものはないよね」

「あぁ、何でもありだ。思えばあんな相手に剣で戦おうとするのが馬鹿らしいな」

 

 ダゴンによって巨大な戦斧が叩きつけられた。それは斬るというより叩き潰す類のもので、何とか左右に飛んで避けたあたしとガドの間に巨大な亀裂が生まれている。剣で受け止めていれば間違いなく即死だ。続く横殴りの一撃も慌てて地に伏せて避けようとするが、それでも風圧で吹き飛ばされてしまった。

 ダゴンが少し離れたところにいるミキトを睨みつける。戦斧をあたし達に振るうその直前に、目や指を矢で射抜いてくれているのだ。ダゴンの傷は瞬時に癒えるとはいえ、苛立ちは積み重なっていく。

 

「忌々しい蟲め!」

 

 ミキトにダゴンの注意が向けばあたしたちが牽制する。セト達から離れるように、そして穴に近づくようにさりげなく誘導していった。獅子を誘うにはどうすればいいか、それはこちらが逃げるふりをすればいいのだ。そして獅子は相手が逃げきれない場所まで追い詰めるだろう。……今のあたし達のように。大空洞の穴の淵、そこにあたしとガドは立っていた。

 

「逃げ回ったようだが、追い詰められたのはお前達であったな。さぁ選べ、叩き潰されるか、それとも穴に落ちるかをな」

「……叩き潰してみれば?」

「何?」

「叩き潰してごらんと言ったのよ! あたし達の覚悟はできてる」

「そうか、その覚悟や良し」


 ダゴンが笑いながら戦斧を握る手に力を込め、そして振り下ろした。蚊や蠅を叩き潰すかのように巨大な鉄の塊が目の前に迫る。

 

「ガド!」

「おうさ」

 

 二人して後ろに飛びずさり、身を大空洞の中へ投げ入れる。そして意外な事態にダゴンは態勢を崩した、いや崩されたはずだ。

 ……ダゴンは急によろめいて驚いたに違いない。


「ちゃんと綱を握っている?」

「あぁ、だが二度とやりたくないな」


 あたしとガドはミキトが弩で崖に打ち付けてくれた細い綱を握りしめていた。綱を外せば大空洞の底へ真っ逆さまだ。そしてダゴンの足元にはシャンマ君とゼノビアが短筒槍アルケビュスで打ち出した杭と綱がある。足が引っ掛かったあいつをティドアルが背面から斬りつけるのだ。そう、もうすぐ奴は落ちてきて……こなかった。その代わりに頭上から悲鳴が聞こえたのだ。


「みんな!」


 ガドと共に青い顔をして穴の上に戻ると、そこには倒れているシャンマ君とゼノビア、ミキトがいた。おそらく絡まった綱と杭を振り回し、昏倒させたのだろう。致命傷ではないが、動くこともできない。血だらけのティドアルだけが剣を抜いて立っていた。

 

「ヒトを舐めるつもりはもうないし、油断もするつもりもない。それに命を懸けて勝利とは違うものを欲しているのも今は知っている。ただ、理解出来ぬのだ。勝てぬ戦いになぜ命を懸ける? あの老人もそうであった、そしてあの父親達も」

「ダゴン、それはあなたに守るものがないということ。自分以外に大事なものがないということです」

「自分より他人を優先するなど、それでは負けではないか。命を失えばすべてが終わるのだ」

「いいえ、命は続いていくのです。強すぎる貴方には分からないでしょう」

「では聞こう、エルシードの従者だった者よ。その大事なものを得るにはどうすればよい?」

「それは、その体の持ち主の魂に聞いてみるがいいでしょう」

「ザハグリムにか」

「ええ、だってそうでしょう。私達の妨害があったとはいえ、その程度であなたが狙いを外すはずもない。彼が精神の内で妨害しているのでしょう?」

「……その通りだ。あの父親共に神殺しの槍を撃ち込まれてから奴の声がひときわ大きくなりおった」

「それに聞くのは彼女でも構いません。この場において一番守る理由を持ち、持たれているのが彼女でしょうから」


 ダゴンがあたしを振り向いた。生きているあたしに驚いたのだろう、一瞬動きが止まり、そして胸を抑える。

 

「娘よ。お主を見てからザハグリムの魂がひと際暴れておる。自分の魂が傷つくだけというのに……なぜヒトは自分以外を優先できる?」

「そうね、きっと自分のためよ」

「何だと?」

「だってザハグリムがいないとあたしが寂しいんだもの。でもそうね、あいつの方があたしの命より重いってわけでもないわ」

「ふん、結局はそうであろうよ。つまらん問答であった」

「でも軽いわけでもない、同じ重さなんだ! あたしとザハグリムは一心同体さ」

「それは情欲による交尾だ。獣の本能よ」

「ち、違う! そこまではまだだし。……あたしの言いたいことは心の重なりだよ。あいつは今あんたの精神の中で泣いているはず」

「確かに泣き叫んでおるな」

「その心が分かるんだ、重なるんだ。そして胸が痛くなるんだ。それに耐えられないあたしは、自分のためにザハグリムを助けるのさ。なぁ、皆もそうだろう!」


 上から騒がしい足音が聞こえてきて、次々と兵が下りてきた。どうやら地上の掃討戦が終わったようだ。

 勇ましい足取りではなく、腰が引け、先に行けと背を押しながらの情けない集団だ。それでもこんな場所まで来てくれた、愛しい、大好きな仲間達。あたしの視線につられるように、ダゴンもその兵達を、ぼろもうけ団のみんなを見やった。

 団員はダゴンを見て驚いたようだ。でもあたしの顔を見てゆっくりと、そして静かにダゴンを取り囲む。握りしめた剣が震えても、退かずに距離を縮めていった。


「ダゴン、ガド小隊とぼろもうけ団の絆、見せてあげる」


 あたし達は一人じゃないんだ。その強さを神様に叩きつけてやる。

 ザハグリム、もう少しだけ待っていてね。



 


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