第302話 ウェルとザハグリム⑦ 帰るべき場所

〈ウェル、ガド小隊と共に大空洞を目指す〉


「ミキト、ゼノビア、ウェル、ティドアル、シャンマ。全員無事か?」

 

 ガド小隊長があたし達の無事を確認する。

 地上での戦いもラバン飛竜騎士団長による残党狩りへと戦局は変わっていった。北壁の戦局は気になるところだけど、ぼろもうけ団やアナトさんとニーナが率いる神獣騎士団第三連隊が避難民の護衛もかねて出撃している。一時の静けさがあるこの時に、ガドは時計台へ小隊を集めさせたのだ。ガドの横にはサラ導師、リベカ様、タファト先生、アバカスさん、そしてエラムとトゥイがいた。

 サラ導師があたし達を見渡すとセトとエル、そしてザハグリムの奪還を宣言する。

 

「すでにクルケアンから市民は避難した。これより我らなりの戦いを開始する。世界の命運もあるが、何より大事な仲間を救うための戦いだと心得よ」

 

 サラ導師はガド小隊には大空洞へ、エラムとトゥイ、タファト先生、アバカスさんにはこの時計台の観測機を使って天へ上るための道を探すように指示をする。何でも階段都市のその上に宮殿があって、そこから死者の国へと行けるとのことだ。ガドとエラムがサリーヌに会いに行くのだとサラ導師に頼み込んだらしい。でも神ではないただの人が天に上がるためには星の運航や潮力、そして魔力の波動を計算しなければならず、その機会は滅多にないとのことだった。でもエラムは臆することもなくその機会を引き寄せて見せましょうと胸を張る。

 

「ガド達が命を懸けているんです。僕の能力を全てを挙げて、この時計塔の水力計算機クレシドラを使いこなして計算します」

「私もエラムと一緒です。難しい計算はできないけれど、禁書の解読で天への道筋を掴むことができると思います」


 バル隊長が帰還すると、車輪のギルドからアスタルトの家に禁書を送ると連絡があった。アスタルトの家の事務長のソディさん曰く、車輪のギルドには王の帰還すればこの禁書の封印を解けとの言い伝えがあったとのことだ。


「王に関する書物は禁書扱いでした。神殿は敵意を以て焚書し、車輪のギルドでは神殿に悟られぬよう秘匿し続けていたのです」


 ソディさんはそう言って禁書をトゥイに預けると言ってきたのだ。


「ギルドでも一部にしか知らされていないことですが、禁書にはバルアダン王とサリーヌ王妃との記載がありました。そして王はまさに帰還し、ギルドに指示を出したのです。アスタルトの家にこの本を渡し、その内容と共に君たちが天へ上がる手伝いをするように、と」


 四百年前ならともかく、ギルドは今この情報を活かすことはできない。ならば星祭で物語を創ったトゥイに禁書を有効に使ってほしいのだ。なぜならその本は技術書や娯楽のような本でもなく、物語であったから。それを知った時、トゥイとエラムは確信したらしい。


「これはハドルメの民の物語……。それもできる限り個人のことについて書かれたものだわ」

「そうか、月の死者の国へ行って、魂に思い出を語り聞かせ、名前を思い出させればいいんだ」


 それこそが魔獣を人に戻せる方法なのだと、小躍りしたそうだが、アバカスさんがまだ不足だと断言したらしい。魂が名と記憶を取り戻したとしても、体は魔獣なのである。恐らくイルモートの力を使って体を元に戻し、同時に魂に名を取り戻させる必要があるのだという。


 これは大変な任務だ。大空洞へ行くあたし達の方が楽なんじゃないかとも思う。だって十万近くのハドルメの民の記録を読みそして覚え、また数百万の星々を見て天の道を探すのだから。でもきっと彼らならやり遂げるのだろう。あたしとザハグリムも、エラムとトゥイみたいに支え合って強くなれるんだろうか。


「皆、生きて帰れたらアスタルトの工房で会おう。ガド小隊はセトとエルと共に、エラム達は天の国への道筋とハドルメの記録を持ってな」

 

 生きて帰れたら、か。

 そうだ、あたしは帰らなきゃいけない。

 あのちょっと抜けたところがある、お人好しと一緒に。

 

 北壁の戦いが続いているため、大神殿から直接に地下へ行くわけにもいかず、ティドアルの案内で地下水道から大空洞へと向かう。奇妙なことに、鍵がかかっているはずの鉄門は全てこじ開けられていた。待ち伏せを警戒し、小隊全員が闇の先の気配を探る。

 

「大丈夫だ、我らだけでは間に合わぬ故、先行隊を向かわせておる。奴らが先に通ったのだ」

「サラ様、先行隊って?」

「ガムドとメシェク、あぁイグアルもそうだ」

「えっ……」

 

 セトとエルが大空洞へ赴いた時、あたしはメシェクさんを問い詰めたことがあった。危険な場所へ行くことを何故許したのかと、強い口調で言ってしまった。親に捨てられた私の僻みがそうさせたのだ。あの時、メシェクさんは娘を思って少し泣いた後、子が自分の道を行ったとしても帰るべき家を、争いのない街を残しておくことが父の役割なのだと呟いていた。

 

「無事でいてね。メシェクさん、ガムドさん」

「……ウェル、祈るのはいいが、イグアルさんのことを忘れているぞ」

 

 ミキトの言葉に、あたしは思わず手を打った。忘れていたわけじゃない、ないったらない。だって、少しだけ情けない声を上げながらも、いつも後ろにいる人なんだから。みんなが戻ればそこにいるに決まっている。

 地下廟堂を過ぎ、大空洞が見えてきた。大穴の壁にそって階段が螺旋を描くように下へ続き、そして点在する魔道具の灯が闇の中の道筋を示している。

 

「この下にセト達がいるのね。……ってどうしたの、ゼノビア?」

「しっ、何か聞こえる。何か、怖い呻き声がゆっくり小さくなっていくわ」

「それって、誰か階段から落ちたってこと?」

 

 ガドが前に立ち、そしてサラ導師を守るように円陣を組むよう命令する。そしてそのまま急ぎ足で階段を降りるよう皆を促した。

 

「誰かが落ちたってことは、誰かが戦っているはず。迎えに行くぞ」

 

 長い階段を降りていくと闇の中から荒い息遣いが聞こえてきた。敵か、味方か、全員が抜剣し、息を殺して光と闇の境目を凝視する。やがてそこから頭が浮かびあがり、シャンマ君が叫び声をあげた。だが、その後にイグアルさんの顔と両手に抱えられたセトとエルシャを見た瞬間、小隊は歓声を上げ、セトと付き合いの長いガドが真っ先に駆け出した。

 

「イグアルさん、セトとエルは無事なのか?」

「いや、地上に出て祝福を注がねば危ない。急ぎ地上へ戻るぞ」

「分かった、でもガムドさん達はどうしたんだ。まだ後ろにいるのか?」

「死んだ、タダイやダゴンを足止めして死んだ! 早く地上へ! 大空洞に落ちたとはいえ、あいつが、ダゴンが追ってくるんだ!」

 

 メシェクさんやガムドさんが死んだ?

 そんなはずはない。

 メシェクさんはエルの帰るべき家を守ると言っていたのだ。

 エルを残して死ぬなんてありえない。

 

「ウェル、しっかりしろ! 小隊、一旦大空洞の上まで後退、急げ!」

「だって、ガド、メシェクさん達が死んだなんて……」 

「この状況でイグアルさんが嘘を言うものか。二人は死んだ。だがイグアルさんに、そして俺達にセトらを託して死んだんだ。せめてそれを明日に繋いでいかないでどうする」

 

 大空洞の入り口でガドは私達を散開させた。

 階段を上がったところを矢と銃で奇襲をかけ、あたしとガド、ティドアルが剣で突撃、穴の底にもう一度落としてから脱出をする手筈となっている。少し離れた場所ではイグアルさんとサラ導師が必死にセトとエルに祝福の力を注いでいた。イグアルさんは何かサラ導師に涙ながらに伝えている。サラ導師は胸を掻き抱いた後、いつもの冷静さで治療を続けていた。だが、その唇からは血がにじみ出ている。何か、他にも悲しいことがあったのだろうか。

 

「ティドアル、イグアルさんは何て言っていたの?」

「……先行隊に他にも人員がいたようです。名前までは聞こえませんでした」

 

 増えていく犠牲者の数にあたし達は冷や汗を出しながら階段を見つめていた。ラシャプやモレクと並ぶ魔神と戦うのだ。それに何か嫌な予感がする。あたしにとって一番見たくないもの、それを見てしまうような気がするのだ。

 

「帰るべき家、か」

  

 セトとエル、何処にいるにせよ、今いる場所こそが互いに帰るべき家となるのだろう。

 そこがクルケアンの大階段でも、下町の家でも、もしかしたら天であってもだ。

 だからこそメシェクさん達は自分達よりも二人の命を助けたのだ。


 あたしだってザハグリムがいれば天国でも死者の国でも構わない。

 あいつがいればどこだってそこが帰るべき家なんだから。

 ……そう、独りで帰ってもしかたない。

 

「来るぞ、抜かるなよ」

 

 ミキトが弓を、ゼノビアとシャンマ君が短筒槍アルケビュスを構えた。あたしはメシェクさんの敵を討つため、小ぶりの双剣を出して姿勢を低くして待つ。獣の唸り声が聞こえ、俯いた男の頭部が視界の隅に入った。やがて肩が、そして上半身が見えてくる。真っ赤に染まっているのはその男の血か、返り血か。

 

「撃て!」

 

 ガドの声に矢が空気を切り裂く音と弾き飛ばすような銃声が重なった。体勢を崩した男の肩をガドとティドアルが切り裂く。……次はあたしの番だ。この双剣で相手の首を跳ね飛ばしてやる。

 

 地面を蹴って、勢いよく相手の正面に躍り出る。

 一瞬、ガドとティドアルが来るな、と叫んでいる声が耳を打つ。

 どうしたの、ガド。作戦通りいこうよ。

 ガド小隊のウェル、ちゃんと任務は果たしますって。

 

 男の顔がゆっくりと上がり、剣を振りかざす。

 でも、あたしの方が早かった。

 ザハグリムを魔獣から助けた時の様に敵の懐に入る。

 よし、後は首を刎ねるだけだ。たったそれだけなんだ。

 でもあたしは動けない。

 だって、目の前には敵じゃなくてあいつがいたから。

 

「ザハグリム?」

 

 相手の剣の下で立ち尽くすあたしに、皆が何か言っている。

 でも何も聞こえない。あたしはただ見ることしかできない。

 化け物のような赤い目をした、怖い怖いザハグリムの顔だけを。

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