第305話 最強を目指して④ 過去と現在と未来
〈大空洞にて〉
大空洞にてダゴンを討ち果たし、ザハグリムを奪還したガド小隊とぼろもうけ団は、治療が必要なセトとエルシャをアスタルトの工房へ運ぶため地上を目指した。一行の内でサラとベリア、ウェルとザハグリムは残って大空洞の底を目指す。イグアルが報告したように神殺しの槍を受けてイルモートがどれだけ弱っているのか、それともやはり復活するのかを見極めるためでもあった。
「アジルの魂がイルモートの復活をできる限り抑えているのです。力不足ではありますが、同行させてください」
ザハグリムはそう言ってサラ導師に懇願した。そして当然というようにウェルもついていく。両者ともアジルの死に責任を感じ、また、イルモートを介して会えるのではないかと期待していたのである。
「見よ、あれがイルモートの肉塊だ。槍の力を受けて溶け、湖と化しておる」
大空洞の底に辿り着いた時、サラが地底に広がる赤い湖を指し示した。中央にある祭壇は先刻までセトとエルシャが眠っていた場所でもあり、ギデオンらが死んだ場所でもあったがその痕跡も消えていた。
「うねるような小さな波がある……」
「ウェル、手を出すでない。イルモートの肉体は滅んではおらぬのだ。誰かがこの湖に入ればそれを核として復活しようぞ」
ウェルが慌てて手を引っ込め、そしてその驚きようを笑ったザハグリムに拳骨を叩きつけようと背後を振り返る。顎への一撃を覚悟し、目を瞑ったザハグリムであったが、一向に痛みが来ないのだ。
「ウェル、どうかしたのか?」
「あ、あ……!」
ザハグリムはウェルの指さす方へ振り返ると、金色の竜と黒い竜が静かに大空洞の底に舞い降りていた。
「バルアダン隊長!」
ウェルとザハグリムが同時に叫び、金色の竜から飛び降りた人物に向かっていく。あの時、北方の
「ウェル、ザハグリム! 無事だったか」
「うん。あたしは無事だよ。みんなが守ってくれたからね」
「置いていかれた私達にとっては数か月のことでした。でも、でも……」
自分をしっかり抱きしめ、話そうとしない部下の頭をバルアダンは優しく撫でる。
「私の方が先に人生を歩んでしまったな。だが、落ち着いたものだろう。駆け出しの中隊長のころより頼りがいがでたと思わないか」
「隊長は今も昔もかっこいいよ。サリーヌが惚れたのも分かる」
「こら、ウェル……」
「いいんだ、サリーヌとも幸せな時間を過ごせた。次は君達だと聞いているぞ」
「え、誰から聞いたのでありますか?」
「途中にガドに会ってな。ザハグリムの無事を尋ねたら、抱きしめて接吻をするくらいには元気だと聞いてね」
「あ、あれは何というか、何だったかなというか」
言葉を濁すザハグリムにウェルは軽くにらんで肘打ちをする。そして姿勢を正してこれまでのことを報告を始め、ザハグリムも兵士の顔となってそれに倣う。バルアダンは報告を聞きながら自分が去った時より少し大人びた部下を見て嬉しく思っていた。二人も激戦の中を生き抜いてくれたのだ。そして幸せな未来への道へと歩き出そうとしている。そんな世界の礎になるのだと思うと、置いていく彼らに申し訳なく思うが嬉しくもあるのだ。
上官と部下の再開は別の場所でも行われていた。
ただしこちらは剣呑な、張り詰めるような雰囲気である。黒い竜に乗っていた男、フェルネスがベリアと対面し、意味ありげな視線を交わし合う。
「ベリア、もう魂の力もないはずだ。そんな男がなぜここにいる」
「お前と一緒だ。他に答えようがあるまい」
「……」
サラは二人の会話を聞き、深くため息をついた。彼女は月の女神ナンナの精神から受け継いだ、らせん状に繰り返される世界の知識を持っており、これから行われる光景を予測できたのである。
「五度目の世界は変わりつつある。だが、なぜこの場面は変わらないのか」
だがそれも人の目指すものを彼らが代表しているのだろう。ならば仕方ない。彼ら三人は十分すぎるほど人を愛しているのだから。
「皆の者、この水辺へ来るのだ。これよりイルモートの力の継承を始める」
「サラ導師、継承だって? 封印するんじゃないのかい?」
「そうさの、それはこの男に説明をしてもらおうか。それにウェルもザハグリムもこの男に会いたいであろうしな」
その言葉に応えるかのように赤い霧が辺りを包んでいく。イルモートに取り込まれるのかと身構える一同に、サラは落ち着いた声でまだ大丈夫だと答えた。そしてその赤い霧の向こうに一人の男が現れたのである。
「イルモートは勇敢な魂によって抑えられておる。その魂の一人にイルモートの内側から見た真実を問いたい。アジルよ、イルモートの血杯の一人よ、それでいいか?」
「もちろんです、サラ殿」
「アジル?」
赤い霧の中で歩み寄る男にウェルが、そしてザハグリムも駆け寄っていく。イルモートに取り込まれた大貴族の青年は、嬉しいような、少し困ったような顔で二人を制止した。
「ザハグリム、ウェル、二人ともこの赤い霧に近づいてはいけない」
「アジル、生きていたの!」
「……死んでいるさ、ウェル。イルモートの力で魂を一時的に肉体のように見せているだけだ」
赤い霧が水面のように両者を分かつ。触れてはいけないその向こう側へそれでも声だけは届けようとウェルは叫んだ。
「アジル、ありがとう。あたしそれが言いたかった。今あたしが生きているのはあんたのおかげ。でも、あたしだけが幸せを受け取ってアジルが何も受け取れないんじゃ、不公平だよ。さっさとそこから出てきて、またみんなと一緒に騒ごうよ!」
「ありがとう、その言葉を聞けただけで俺は嬉しい。……おい、ザハグリム、ウェルとみんなを頼んだぞ」
「馬鹿野郎、お前も一緒に生きるんだ。そのイルモートの力で何とかすれば……」
どこまでも甘く、そして純粋な友人にアジルは破願する。放埓な日々も、そして闘いの日々もこの友人がいたからこそ過ごすことができた。そしてもう一人、追い風というより暴風のように自分達を巻き上げ、太陽の下に連れ出してくれた想い人のおかげで明日を楽しみに生きることができたのだ。
「婚約おめでとう、ザハグリム、ウェル。悔しいが心からの祝福をしよう」
「おい、なぜ知っている?」
「俺の後に血杯として入ってきた魂から聞いたんだ。いまはその人たちに封印をお願いしてここに来ることができた」
「その人達?」
「イルモートの中に入ればわかる。だが、それは強き魂一人のみだ」
そしてアジルは一同にイルモートの肉体の真実を語りだす。
それはアジルが魂となってイルモートを内側から見た、一種の記録でもあった。
「魂も精神もないイルモートは、常に強い人物を核として求めている。俺では核となるのは無理だった。この肉体に刻まれた感情は強く、今でも気を抜けば飲み込まれてしまうだろう」
アジルはイルモートの内部で見た四度滅んだ世界の記憶をもとに言葉を紡いでいく。過去の世界においては、目の前でエルシャを殺されたセトが嘆きの果てにこの肉体と結びつき世界をやり直していたこと、そしてせめてもの償いにセトが人の想いを月に託し、刻み付けていたことを一同に告げる。
「恐らくサラ導師には見当がついていたかと思います。月になぜクルケアンの死者の想いが形を成していたのかを」
「そうだ、世界は滅んでも、またやりなおしても人々の魂に刻まれた景色と記憶だけは月が吸い上げ続けたのだ。あの世界そのものがイルモートの見る夢といってもいいだろう。そしてそこにサリーヌの想いがハドルメの魂をも引き寄せたのだ」
サラはそう言ってからしばし口を噤んだ。それは目の前の男達の生き方を縛ることについての逡巡だった。
「……四度も捻じれた世界はいずれ弾け飛ぶ。この世界を滅ぼさぬためにはセトに変わりイルモートの力を誰かが違う道へ世界を導かねばならん。問題は誰が核となるか、どう使うかだ」
「その通りです。私は中身を満たす血杯であって器ではない。誰かがイルモートの中に入らねばなりません。このまま放置すると人が獣になる時に切り離した悪意が世界にあふれ、世界を滅ぼしてしまうでしょう」
主神が魔獣を人に変えた時、争いが起きぬようにと魔獣から浅ましい欲を捨て去り、それがイルモートとなった。もしそれらが地上で爆散し、人が獣欲を取り戻せばどうなるか。知恵を持った獣よる戦争が起き、互いに殺し合う未来となるのだろうとアジルは淡々と告げる。
「主神はイルモートを犠牲に人を創り出したともいえるでしょう。だが主神にも誤算はあった。人は人となっても悪意を取り戻してきたのです。その結果、過去以上の力がこの赤い霧の向こうに溜まっている。だからこそ……」
アジルは自分の言葉の続きをサラに促した。死者は答えるのみであり、選択は生者が行わなければならないのだ。
「時は来た。バルアダン、フェルネス、ベリア、イルモートの力を行使できる勇者たちよ。お主たちはここで選択と決断をせねばならん。ウェル、ザハグリム、人として彼らの選択に立ち会え」
「サ、サラ殿? 私とウェルは何に立ち会うのですか」
「いずれ分かる。だが、これから起きることを決して忘れてはならぬぞ」
否定を許さぬ重い声がザハグリムの動きを止め、そしてサラは三人の勇者と問答を始める。
「バルアダン、お主はイルモートの体と力を手に入れて何に使う」
「未来を手に入れるためです。魔獣となったハドルメの魂を解放し人に戻す。そしてわが妻サリーヌを死の国の夢から解き放つ」
ウェルは驚き、バルアダンに縋って抗議した。
「ちょ、ちょっと隊長! なにイルモートの肉体に入り込むようなこと言っているのよ。アジルのように死んでしまうかもしれないじゃない!」
「……私はザイン家が貴族から平民に堕とされて本当に良かったと思っている」
「バル隊長?」
「セトとエルにも出会えた。大事な部下達と一緒にクルケアンを守るために戦うこともできた。そして家族も持つこともできたんだ」
「そうよ、だからこれからも一緒に……」
「ウェル、私は見てみたいんだ。みんなの幸せな姿を、そして家から聞こえる温かい笑い声を」
バルアダンはフェルネスの顔に視線を移した。睨みつけるようなその目は、昔日、稽古に負けた直後の顔と似ていた。
「あの時もそうだった。疲れて眠ったアドニバルを背負い、ふくれっ面のロトと一緒に帰ると、サリーヌが行宮から飛び出て迎えに来てくれて――」
「……焦がした鍋を持って、泣きそうな顔をしてな。だが確かに笑い声が大きい家だった」
フェルネスが思い出を紡ぎ、バルアダンと共に苦笑した。まったく、思い出というものは美化されるらしい。だがそれも幸せだからこその錯覚なのだ。
「幸せだった。だから私の大事な人にもその幸せを味わってほしい。そのために皆が帰るべき世界を私は守るんだ」
そう言ってバルアダンは泣きじゃくるウェルをザハグリムの前に連れて行った。
「よかろう。ではフェルネス。お主はイルモートの体と力を手に入れて何に使う」
「過去を変える。四百年前のラシャプ、モレク、ダゴンを屠り、歴史をやり直すのだ」
「ヤムやアバカスらの
「以前はそう考えていた。ハドルメの犠牲の上に存在するクルケアンなど滅んでも構わぬと。だが、だが……」
フェルネスはイグアルと出会い、タファトに恋をし、そしてクルケアンの市民が向けてくれた笑顔を思い浮かべていく。
「イグアルに殴られたときに俺は気づいた。友人を刺した剣の重み、あの弱々しい拳骨の痛みに耐えかねる程度の男が、四百年分の人を背負うなどできやしないとな」
「なれば、イルモートの力を望まぬか」
「いや、だからこそやり直すのだ。今の世はこのまま残し、四百年前の世界を月にて再現する。本来あるべきだった人生、そして未来をあの夢の世界で続けよう」
「果たしてそれは生と言えるのかな」
「いつか死ぬ体さえあればそれは生だろうよ」
あの時に奪われた未来を、そして人生の続きを、ハドルメは体を持った夢として見続けるのだとフェルネスは語った。そして平和な時代において迫害されるであろう部下や、魔人の生き残り、そしてラシャプやモレクの配下もつれていくつもりだとサラの前で宣言をする。
「捻じれをこの世界から切り離し、ハドルメの民と共にもう一つの世界、別の国を作るつもりか、フェルネス」
「然り」
そしてサラは最後にベリアを見る。ラシャプにそそのかされ魔人となった男。フェルネスとバルアダンの上司でもあった男は何を選択するのであろうか。
「ベリア、お主はイルモートの体と力を手に入れて何に使う」
「何も使わん。私にとって現状が全てだ。強いて言えば神を封じるくらいか」
「神か。理由を聞こうかの」
「バルアダンも、フェルネスも思い違いをしておる。……昔の私と同じようにな」
そう言ってベリアはバルアダンとフェルネスを鋭い眼光を向けた。バルアダンもフェルネスもまだ若い。そんな小僧が世界を変えるなどと、まるで神のような言葉ではないか。増長するのも大概にするがいい、人は器にあった幸せを求め日々を過ごせばいいのだ。
「神によって引き起こされた災害を神の力で修正して何となる。不幸を否定してそれを乗り越えないとは人というものを馬鹿にしておる」
「ならばハドルメの不幸も世界の破滅も見過ごすというのかな」
「そうだ。その不幸の積み重ねが人の世よ。過去に間違ったのであれば、今から正しい選択をすればいいのだ。今日明日に滅びるというわけではあるまい。数百年かけてねじれを元に戻せばよかろう。だがそのためにも人を惑わす神は滅ぼさねばならん」
「……だから先刻、ダゴンの魂を取り込んだのか」
「気づいていたか。流石はクルケアンの賢者。仮初の死を与えても神は復活するのであろう? ならば我が精神の内にダゴンを閉じ込め、イルモートの力と共に神を殺し尽くしてくれる」
「そして最後は自分を殺すというのか」
サラはため息をついた。
明日の幸せのために未来を選択したバルアダン、四百年前の幸せの続きのために過去を選択したフェルネス、人の紡いだ歴史を肯定するために現在を選択したベリア、三人ともそれぞれ主張する理があり、情があるのだ。ではどうやってクルケアンを、そして世界を託す者を選ぶことができるのだろう。玉座と同じでイルモートの体は一つ。そして目の前には傑出した三人の戦士達がいる……。
「あい分かった。勇者よ、その力を以て望む道を勝ち取るがいい」
三人の男が立ち上がり、距離を詰めていく。
これまで対立はした過去はあるが今や怨みはない。だがそれでも相手を倒すことに迷いはないのだ。それはこれまでの戦いで相手に抱いている畏敬であり、それぞれの背負っているものが分かるためでもあった。そして全員に一つ共通していることがある。それは子供じみた、だが誰もが憧れる単純な欲だった。ベリアが笑いながら二人に告げる。
「さて、小僧共、誰が最強か決めるとしよう」
そして三人は抜剣し、相手に向かって力強く踏み込んで剣を振り下ろしたのである。
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