第295話 クルケアン攻防戦④ 蛇の居場所
〈アサグ=モレクとフェルネス、百層の大廊下にて〉
「フェルネス、あなたの相手は私がしましょう。神獣騎士団の連隊長同士、決着をつけるにはちょうどいい」
「お主、魂が随分と傷ついているではないか。それで俺に勝てると思うのか」
「ふふっ、対等な勝負を望むとは、メルカルトの影響か、それとも生来のものかどちらでしょうか」
バルアダンが二百五十層でラシャプと戦う中、モレクはフェルネスに百層で戦うことを提案した。
「人の王と獣の王、両者の決着を邪魔はさせたくないのです」
その言葉を聞いたフェルネスは耳を疑った。あの冷酷なモレクの言葉とは思えないのだ。しかも姿は変わり、柔和な様子さえ見せている。そしてその魂の色は弱く今まさにその生命が燃え尽きようとしていた。困惑するフェルネスにバルアダンが頷き、モレクをしばし見つめた。
「感謝する、バルアダン」
そう言って神獣騎士団と魔人となった貴族を引き連れて下降するモレクに、舌打ちをしたフェルネスはハミルカルの手綱を引いて追いかける。百層、大廊下に降り立ったモレクは、騎士団と魔人を北壁の戦いへと向かわせた。
「我らが王、ラシャプの勝利は疑いない。お主らは北壁に取りすがるバルアダン旅団、そしてハドルメを撃退し、王の勝利を祝う前座とするのだ!」
アサグの命令に、次々と兵達が大廊下を降りていった。ここを本陣とするのはわからぬでもないが、残っているのはアサグ直轄の機関のみである。それも暗殺や諜報の部隊であり、戦争に役立つ戦士ではないのだ。
「モレク、何を企んでいる」
「企む、そうですね。私がたくらむとすれば兄が全ての力を出し切ってバルアダンと戦うことのみです。そのためには貴方が邪魔だ」
魔力の蛇を出現させ、それに巻き付かれるようにしてモレクは高みに上がり、権能杖を振り下ろす。刃と化した毒の塊がフェルネスを襲い、ハミルカルは上空へと飛び上がる
「無理に飛べば飛竜とて!」
モレクはハミルカルが身をよじって降下しようとしたすきを狙い、鞍上のフェルネスを狙って毒槍を放出した。しかしそこにフェルネスはおらず、毒槍はむなしく城壁に突き刺さる。モレクは背後に気配を感じ振り返ろうとするが、刃が首筋に当てられた冷たい感触がそれを許さない。
「衰えたな、モレク」
「そうでしょうか? 獣とて変わるもの。今の状況、クルケアンで一番目と二番目の悪戯小僧ならどうすると思いますか?」
「悪戯小僧?」
モレクは静かに天を指した。先ほど放った毒槍がはじけ、外壁が崩れ落ちてくる。土砂と木材と魔獣石が落下し、埃で視界がなくなる中、フェルネスはモレクの蛇によってハミルカルごと締め上げられていることに気づいた。
「おのれ、最初から狙っておったか」
「いやはや、悪戯が成功するのはなんとも心が躍ること。あの二人の師に感謝せねばなりません」
フェルネスは脱出の隙を作ろうと、モレクの言葉に反応したそぶりを見せる。
「師だと、それはいったい誰だ」
「ギデオンとアナトバル」
その言葉はフェルネスに衝撃を与え、更に蛇に締め上げられることとなる。片方だけならわかる。しかしなぜその両者が結びつくのだ。
「アナトバルはここにいるのですよ」
「何?」
「タニンの中にバァルと共に封印されています。私に傷を与えたのはタダイですが、追い詰めたのはあの子でした」
そしてモレクはフェルネスの戒めを解き、北側へと追い詰められるようにその端に立った。
「フェルネスよ、イルモートの印の祝福があればアドニバルは復活する。ただし貴方がタダイやダゴンに勝てればの話ですが」
「なぜだ、なぜ俺に教えるのだ。敵である貴様が、人を蔑んでいたお前が!」
「恩を返しただけのこと。それに……」
モレクに迫るフェルネスを、部下の神官兵が壁となって立ちはだかる。かつての自分の部下の様に洗脳された気配もなく、普通の人間が魔神を守る行動に出たことに、フェルネスは少なからず苛立ちの声を上げた。
「戦えない者は去れ! ただの神官兵とてこのフェルネス、容赦はせぬぞ!」
様子見の一撃を必死になって剣で防ぐ神官兵に、フェルネスは怒号を飛ばす。
「なぜ身を挺する。悪神に殉じてどうなるというのだ」
「アサグ様は変わられた。我らに家を与えてくれたのだ」
蛇神モレクこと神官アサグが組織したアサグ機関はサリーヌが所属していたように、出自の怪しい者や孤児達を集め組織された機関であった。いつ死んでも、誰が死んでも社会が気にすることのない人間に汚れた仕事をさせてきたのだ。モレクが蛇として忌み嫌われ続けていたゆえの同情だったのかもしれない。ただ弱いだけの者には同情はしないが、傷つき醜い者へは機関の仕事と引き換えに寝床と食事を与えたのである。
そして、サリーヌが機関に来たことでモレクも組織もまた少し変わっていった。
汚れ仕事が相変わらず続いていたのだが、部下に慰労の声をかけるようになっていたのである。もちろんそれは激励ではなく、無機質によくやりましたと告げるだけであったのだが。
そしてバルアダンとの決戦を控え、モレクは機関の神官にこう告げる。
「皆、よくお聞き。明日は兄であるラシャプとバルアダンの決戦になる。兄が勝てば栄達は想いのままだ。だが負ければ新体制下での処罰が待っているだろう。シャドラパの人体実験ほどではないか、こちらも祝福者狩りをしていたのでな」
だから今のうちに逃げるがよいという部下の声に、モレクは困惑する。世間から見れば忌避さえるこの機関でさえ、もはや帰るべき家なのだと。根無し草になるのであれば生死を共にと訴える部下に、モレクは組織を解散し、自由意志に任せたのである。結局は機関の全員が残り、アサグと共に行動することになった。
「ならば、相応の責任を取ってもらおうか!」
フェルネスは長剣を走らせ、暗殺に特化した神官達を打ち倒していく。剣を滑らせた相手の体に違和感を覚え、観察すれば、モレクの祝福であろう、蛇のうろこで守られているのだ。十人ほどを打ち倒し、ついにモレクへとたどり着く。そしてフェルネスが剣先を突きつけた相手は、故郷を滅ぼした憎むべき悪神は抵抗もせず降伏したのである。
「降伏だと? 罪のない人々を殺したお前が何を言う!」
戦え、戦って死ねと叫ぶフェルネスに、モレクは淡々と答える。
「そうだな、お前ほどではないが、私は多くの人を殺してきた」
「……それに国を巻き込んだ謀略もだ」
「そうだな、お前ほどではないが、私は多くの謀略で人を殺してきた」
暗にお前も同類ではないかとささやくモレクに、フェルネスは沈黙する。量の違いはあれど、質に置いて自分はモレクと同じなのだ、何をいまさら正義ぶるのかと拳を握った。バルアダンと行動すれば、つい自分がそちら側だと引き寄せられてしまうのだ。そんなフェルネスを見て、モレクはむしろ同情を込めて提案をする。
「フェルネス、弱った魔人や兵を保護していると聞いた。この者らも部下にしてくれぬか。どういう世界になるにしろ、裏から世界を支えるものが必要だろう。我らが企んだような陰謀ではなく、日陰で起きる小さな災いを抑えるための組織がな」
あのバルアダンのことだ、強い光であれば影も濃くなろう。誰かが汚れ役を引き受けねばならないのだと、子供に諭すようにモレクは告げる。
「俺に闇に生きろというのか」
「あぁ、その程度のことをお主に望む。それがお主の罰だ」
神らしく厳かにそう告げると、モレクは力を失い倒れ込んだ。だが、モレクを起点に淡い光が神官兵を包み、傷を癒していく。これは降伏ではない、託されたのだとフェルネスは理解した。
「よかろう、事が終われば隠れ家に彼らを匿おう」
王の影か、フェルネスはそう自虐する。だがそれでも良い。もとより正道を歩む立場ではない。陽の当たる道は友人らに任せ、自分はそれを支えればいいのだ。自分の生きる道を指し示された不快感はあるが、得心がいくものだった。
フェルネスはモレクが空を見上げていることに気づく。上空では王と王の戦いに決着がまさにつこうとしていた。
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