第294話 クルケアン攻防戦③ 脱出
〈シャマール、公会堂にて〉
公会堂での誓いが行われていたまさにその時、市民を脱出させるためにシャマールとシルリが公会堂に駆け付けていた。そして市民の誓いの洪水をその身に浴びていく。
シャマールは思う。市民が誓うささやかな善意。だがその善意の総体は何と身を震わせることか。あぁ、この人達と暮らしたい、気づけばシルリの手を強く握りしめていた。
「私はクルケアンの市民に何ができるだろうか?」
「そうね、たくさんのクルケアンの友人を作って、私に自慢しに家に連れて帰るの。どう、誓えそう?」
「あぁ、なんて素敵な誓いだ。必ず果たすとも」
だが、彼女は気づいているのだろうか。魔人となった自分と、シルリの弟の魂が溶けているであろうシャンマ、並外れた生命力を持つ魔人はその代償に寿命をも奪うのだ。家族として共に生きていくには辿り着く距離が違うということを。
思えば人として生きているうちに彼女と子をなしたかった。祝福の強さゆえに子が産めなくなった彼女にそう本心を言えば酷だろう。だが、彼女と同じ時を寄り添い生きる家族がいればと心からそう思う。だが、この公会堂には家族を感じさせる温かさがある。幼い日の王妃の膝の上の温かさと同じものを感じるのだ。シルリのためにもこの人々を守らなければ、そうシャマールは決意する。
「ハドルメ騎士団のシャマールと申します。総評議会の決議、ハドルメの民として嬉しく思います。なれば友として、新しい家族として皆様を守りたい」
クルケアンに伝わるオシールとシャマールのおとぎ話を市民は思い出し、目の前の美丈夫を見て女達はシャマール本人だと感性によって確信し、男達はやっかみによって納得する。そして市民の視線は彼に寄り添う女性の神官へと注がれた。そのシルリが珍しく悪戯な目をシャマールに向けて市民に告げる。
「四百年前のクルケアンの祝福者にしてこのシャマールの妻シルリと申します。もうじきこのクルケアン全てが戦場になりましょう。西門には
愛するシルリであるが、いつの間に自分達は結婚したのだろうとシャマールは首を傾げた。魔人ゆえの魂の記憶の混濁だろうか。シルリの言葉は嬉しい限りだが、覚えていないという不安と申し訳のなさがシャマールの目を曇らせる。
シルリはそんな様子のシャマールを見て微かに笑うと、不安がる市民へ一つの提案をする。
「先の発言、訂正させてください。四百年前に戦乱で婚姻できなかったシルリといいます。ハドルメとクルケアンの和平の象徴として、今の戦乱が収まれば式を挙げる予定ですので、その時には皆様の祝福をお願いします。だから生きて再びここに集まりましょう」
シャマールの呆気にとられた顔を市民達は笑い、また笑うことでクルケアンを脱出するという悲壮な雰囲気を一変させたのである。おとぎ話の英雄も恋人の手玉に取られるような優男であれば自分達と変わらない、せいぜい生き延びておとぎ話の主人公をめでたしめでたしと終わらせてやろうじゃないかと活発に逃げ出す算段を始めたのである。
「シャマール、女を甘く見ないことね。これだけの市民が承認ですもの。諦めて求婚しなさい」
「しかし、私の命は……」
「甘く見ないでといったでしょう。残された時間を嘆くより、幸せになるために使いましょう。それがたった一日でもいいの。そのために今日までの日があったのだから」
全てを見通した想い人の目が涙で揺れる。その雫が流れ落ちる前にシャマールはシルリに口づけをした。そして必ず復興したクルケアンで婚姻式を挙げると誓ったのである。
二人は市民から祝福されつつも瓦礫をかき分け、誘導していく。西門はガドに、船団はアナトに託し、自らは飛竜と共に東側への脱出を目指す。すでに貧民街の住人はクルケアンとハドルメの交易地であるゲバルの町へと避難は完了しているが、今から非難する市民の多くは戦場の縁に沿うように脱出しなければならない。手勢はわずか三十騎、だがそれも兄が苦心して分けてくれた貴重な騎士達だった。
「ハドルメ騎士団、これより市民を東門へと誘導する。王の旅団が貧民街を押さえているとはいえ、油断せず送り届けるのだ」
だが、道中でシャマールは愕然とする。逃げ遅れた孤児の一団が、崩れかけた家屋の下で助けを求めているのだ。どうやら傷ついた貴族が子供を人質に脱出を図っているらしい。部下は避難誘導に専念させ、シャマールは現場へと急行する。そこで保護した子供の手には傷がついており、化け物が噛みつき血をすするのだと泣き叫ぶ。そして五人の仲間が捉われているのだと訴えたのだ。魔人のあさましい習性に怒りを覚えつつも、戦場で血を啜らざるを得ない自分に泣き叫ぶ子供を抱きしめることはできず、シャマールは唇を噛みしめた。
「子供は五人、切り込めば四人は助かるが……」
犠牲を覚悟に切り込もうとするシャマールをシルリは手で制し、交渉のため二人で家屋に入る。貴族はシルリの肢体をいやらしく眺めた後、下卑た笑みを浮かべ代わりの人質として彼女を要求したのである。シャマールは怒りで魔人の姿を発現し、竜のような巨大な体躯をもって貴族に近づいていく。格が違う存在に恐れをなした貴族が、半狂乱で子供の首にあてた剣を滑らせようとした時、シルリが飛び込んで刃に腕を差し込んで子供を救う。
「シャマール、この子を抱えて逃げて!」
腕から血を垂らすシルリを捕まえようと貴族が手を伸ばしたとき、他の子供たちが体当たりをして彼女を守ったのである。貴族は人質風情が、とさらに剣を振るうが、その剣が彼女たちに当たる気配はない。
「何?」
振り上げた手を見ればそこには拳も肘もないことに愚かな貴族は気づいた。貴族は目の前に迫る長剣を見て、腕が切り飛ばされたのだとようやく悟ったのだった。
シャマールは異形の姿におびえる子供達をよそにシルリを抱きかかえ、血止めを行う。幸い傷は深くなく、シルリは逆にシャマールに傷がないかその頬や肩を撫でていくほどであった。そして子供たちを安心させるためか、牙だらけのシャマールに口づけをする。子供たちはその光景を見て、竜とお姫様は恋人だったのだと、わっとはやし立てるように二人の周りに集まり傷を負っていないか触り始めた。
「わ、私は大丈夫です。それより君達、早く非難を……」
「お兄ちゃんとお姉ちゃんが無事を確かめてから!」
確認が好奇に変わり、次第にじゃれつきだす子供達にシャマールは狼狽する。そんな様子を見たシルリが、子供たちを更にけしかけた。
「ふふっ、ハドルメ最高の剣士も、子供たちの前には白旗ですか」
「……弱い自分というのも心地良いものですね」
孤児達の手に引かれ立ち上がったシルリはシャマールに一つの提案をする。ハドルメでもクルケアンでもいい、私達でこの子らの面倒を見ましょうというシルリにシャマールは自然と頷いていた。
喜ぶ孤児たちと抱きしめるシルリを見ながらシャマールは思う。王妃は血の繋がらぬ自分や兄、そしてロトも自らの子として育ててくれたのだ。そして剣を振り相手を倒すという力ではない、別種の力を王妃はその瞳に宿していた。いつの間にシルリはその瞳と同じ輝きを持ったのだろう。過去と今、王妃とシルリと思いは巡り、シャマールは一つの結論をだす。
「愛しい子供へ、か」
そうだ、この瞬間シルリは母となったのだ。震える孤児たちを支える母に、そして孤児たちに愛を与えるために。だからこそ彼女は王妃と同じ瞳の輝きを持つに至ったのだ。
新しい時代ではこの瞳を守るためにこそ自分は剣を振るおう。
おそらくそれは父替わりであった王も同じであっただろう……。
シルリが今度は少し迷いながらシャマールに再度の提案をする。シャマールはその後に続く彼女の言葉を知っていた。なぜなら自分が提案しようと思っていたことなのだから。
「もしよければ、この子たちのお母さんになってもいい?」
「もちろんですよ、シルリ」
子供たちが歓声を上げて二人の手を引っ張り、戦場のただなかの廃屋で踊り始めた。人はどこでも、どんな時でも強く生きられるのだとシャマールは思う。
竜の背に子供を乗せ、騒がしく避難する一行にシャマールの部下達は首を傾げるも、幸せそうな上官を見て自らの仕事に専念することにしたのである。
こうしてクルケアンの市民は半日の速さで全市民が脱出を果たした。事前に計画を立てていたギルドの長リベカと、シャマールによる避難先の万全の受け入れ態勢、そして
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます