第293話 クルケアン攻防戦② 総評議会

〈アナトとクルケアン市民、公会堂にて〉

 

 大きな音が鳴り響き、公会堂の天井が大きく揺れる。空の戦いで敗北し、落下したのは敵であろうか、味方であろうかと市民は不安がった。

 

「護民官アナト、トゥグラト元老をはじめ支配者や貴族を否定してどうするのですか」

 

 恐怖と不安混じりの表情を浮かべる市民らの疑問をアナトは丁寧に拾い答えていく。まったく市民を安心させ、導くという役割はなんと心労をかけることか。今一番不安なのは自分自身だというのに。

 

「もしその支配者が神だとすれば? しかも悪神と呼ばれる存在だとすれば受け入れるか?」

 

 神という言葉を聞いて市民がざわめき始めた。多くの市民が信仰する水の神エルシードではなく、また太陽の神タフェレトでも月の神ナンナでもないのだ。悪神とはいったいどの神なのだろうかと答えを求めてアナトに視線が集まった。

 

「元老のトゥグラトはラシャプ神! 代々の神殿長の体を乗っ取り、教皇となってこの四百年統治をしてきたのだ。他にもモレク神、ダゴン神も神官や貴族として我らの上にある」

 

 災厄をもたらす神々が支配者と聞いて市民たちは揺れる天井を見上げた。しかし目の前に迫った危機とこれまでの繁栄を結び付けることができず、ともすれば場違いな、もしくは人間らしい反論がアナトに返ってくる。

 

「神が統治していたなど信じることはできないが……しかしクルケアンは繁栄の極みにある。それでよいのでは?」

「その繁栄も終わる。神の目的が達成されたからだ。奴らの目的は階段都市を建設し天へ侵攻すること。そう、私達はこの四百年都市建設のための家畜だったのだ! 用済みの家畜の末路はわかるはずだ」

 

 続けてアナトは祝福者を殺しているのは神であるとも告げ、超常の力による都市機能の維持はもはやできないと市民に真実を突きつける。

 その時、再び天井に亀裂が走り、リベカ達が市民を公会堂の外縁部に避難させた。そして大きく開いた天井に命尽きた魔人が落ちてきたのである。市民は初めて魔人の存在を現実で知り、恐怖した。

 

「おい、天井を見ろ、魔人共が戦っているその更に上を!」

「上層に何かがいる、あの白い大きなものはなんだ?」

「あれは獅子だ、巨大な獅子だ!」

「その獅子に向かう金色の竜、あれはタニンだ」

「ならバルアダンが戻ってきたのか!」

「それに黒い竜はハミルカルだ、フェルネス隊長がバルアダンと一緒に戦っているぞ!」

「フェルネスがバルアダンを殺したという噂はやはり嘘だったんだ」

 

 上層で繰り広げられる人の王と獣の王の戦いは、市民に神の存在を確信させ、畏れと共に希望をも持たせた。アナトはこの機を逃さず、市民に選択を迫る。

 

「今ここにいるのは市民の全てではない。また代表でもない。だが、その同意のもとに総評議会の設立をしたい。そしてその後に、組織や議席を用意し、新しい都市づくりを行いたいのだ。さぁ、クルケアンの市民よ、私の提案に賛成するものは指で天を示してくれ!」

 

 市民は一斉に手をあげ、アナトの提案に賛成をする。そしてクルケアンの名を大声で叫び始め、それはやがてバルアダンとアナトの名へと変わっていった。

 

「ありがとう、クルケアンの市民よ。では最初にお願いがあるのだ。我々は魔獣に襲われ、また魔獣を魔石化してクルケアンの建材としてきた。だが、それは事実の一面でしかない。今こそ真実を話そう」

 

 アナトは自らが体験した四百年前のことを語る。そしてハドルメが神殿と神々の陰謀により魔獣化したこと、そしてその墓標としてクルケアンがその高さを増していったのだと告げたのだ。

 

「今、ハドルメへの開戦の権利は拒否権により元老院からこの総評議会に移った。市民よ、総評議会で開戦を正式に否決し、和平の道を選ぼうではないか」

 

 しかし、アナトの期待に反して市民達は無言で顔を下げる。アナトの言葉に嘘偽りはないにしても、ここには家族や友人を魔獣に殺された者も多くいる。歴史の真実とやらは理解しても昨日今日の経験と感情がそれを拒絶する。

 その時、彼らの沈黙を打ち破るように公会堂の端から悲鳴が響き渡った。

 

「魔人だ! 魔人が侵入してきたぞ!」

 

 アナトが舌打ちをして駆け付けようとするが間に合うものではない。逃げ遅れた市民に魔爪が迫り、人々の叫び声が上がった。悲鳴は連鎖し、恐慌が広がるかに見えたが、それは怒るような少年の声で静められた。

 

「うろたえるな。戦え、そして守れ!」

 

 魔人の腹から剣が突き抜け、血を吐いて床に倒れる。市民達は外の眩しい光で目を細めつつも、どうやら魔人を打ち倒したのが少年の兵だと気づいた。そして兵の数が増え、彼らは武器をかかげて自分達に怒鳴りつけているのだ。

 

「魔獣が憎いのなら魔人も同じはずだ、なぜ戦わない。ここには俺達より力の強い者もいるだろう、足の速い者もいるだろう。クルケアンの市民は腰抜けか!」

 

 一人の平民が不満げに少年に反論した。

 

「俺は兵士じゃないんだ。だから君の様に訓練を受けていれば恐怖や暴力とも戦えるさ。それを今、要求されても困る」

「だから?」

 

 少年が怒りで一歩を踏み出した。兜を外し、その顔を市民の前に露わにする。

 

「……ガド!」

 

 市民はその顔を知っていた。十年前、彼の両親は市民のために水道橋を作り、そして魔獣により命を失ったのだ。聞けば目の前で一人一人喰われたと聞く。いったい市民の誰が彼に魔獣の恐怖を、そして憎しみを説いて聞かせることができるだろうか。

 

「俺は魔獣が憎い。だから剣を取り、騎士にもなった。だがな、今では憎いと思っていない」

 

 ガドの指揮する小隊員が陣を組み、侵入しようとする魔人を撃退していく。その光景を背景にガドは市民に問いを重ねていった。

 

「魔獣はな、故郷や家族を探しているだけなんだ。神殿や神により魔獣化され、死ぬこともすらできずに永遠にさまよい続ける。大切な人を魔獣に殺されたのなら、その苦しみはわかるんじゃないか」

 

 誰も反論できない。目の前の少年は誰よりもその気持ちを知っているはずだったから、

 そして剣を取り魔獣と戦ってきたのだから。

 

「だから、魔獣を解放しよう。そして人に戻すんだ。俺は剣を振るうことしかできない、でもあんたらは都市の在り方を決めるという大きな武器で戦うことができる。だから、もう一度アナトさんの言葉を聞いてくれないか」

 

 そういってガドは背を向け、戦っている仲間の下へ走り去っていく。

 強くなったな、ガド、とアナトは心中で呟き、自分を叱咤する。彼が言った通り言論こそ今の自分の武器だった。新しい都市を作るために、古い制度を打ち壊す振り下ろす鉄槌が必要なのだ。市民の総意という鉄槌が。

 

「……ガドは皆さんの祝福の中で飛竜騎士団となりました。そしてそれに応えるべく戦っています。それにアスタルトの家のエラムもトゥイも戦っているのです。何のために? それは私達を守るためです。みんな悔しくはないですか? 本来ならば彼らを守るべきは私達大人なのです。アスタルトの家に頼りきりでは情けないにもほどがある!」

 

 市民たちは頷きつつも疑問に思う。アスタルトの家であと三人の名前が出ていないのだ。彼らは今どこで何をしているのだろうか。クルケアンの危機よりも市民は彼らの居場所を優先して次々に問い質す。

 

「おい、セトはどうしているんだ!」

「エルだ、あのおてんば娘の姿を見ていないぞ?」

「サリーヌだ、サリーヌ小隊長はどこで戦っているんだ」

 

 アナトは手を強く握りしめながらしばし俯いた。そして地を指さし市民に告げた。

 

「セトとエルは神の呪いにより地下に閉じ込められている。誰よりもクルケアンを愛し、人を愛した二人はこの冷たい地下にいるのだ」

 

 市民は何も知らず、何もできなかった自分達に憤る。誰もがセトとエルに元気づけられていた、誰もがセトとエルに助けられていた市民は床に手をつき嘆き悲しんだ。そしてアナトは天を示す。

 

「サリーヌは神々と戦い死んだ! だが死してなおハドルメの魂をなお守っている」

「死んだって? でもそれでどうやって魂を守るんだ」

「この階段都市を登れば死の国に辿り着くのだ。彼女の魂はそこでハドルメの人々の魂を癒している。……バルアダンが魔獣から解放するその日まで」

 

 そしてアナトは市民に大きく頭を下げた。

 

「市民よ、バルアダンを王という孤独から救ってほしい。神も魔獣もいったいどれだけのことをあいつが背負わなくちゃならないんだ。そんな大役よりも、あいつがふさわしいのは中隊長だ。弱い者にやさしく悪い奴らを懲らしめ、家に帰れば家族が待っている。そんな普通の中隊長に戻してほしい。王がいらない世界を、皆が支え合う都市を、そして帰るべき家を用意してくれないだろうか」

 

 サラとリベカ、そしてシャヘルが頭を下げたままの若者の前に立った。

 

「賢者サラ、ハドルメと共存する新しい世界に賛成する」

「ギルド総長リベカ、交易によってその共存を実りあるものにする」

「教皇シャヘル、その共存を心からの信仰で支えよう」

 

 そしてサラは市民に促した。護民官の提案に賛成する者は指で天を示せ、そして何を成せるか叫ぶのだと。

 

「何でもいい。小さなことでもいいんだ。前へ一歩進むための誓いをなそう。……それにアスタルトの家の小僧共に、大人としていいところを見せたいだろう?」

 

 一人の手が上がった。

 

「クルシュ区のアビヤだ、大工としてハドルメに新しい家を作ろう」

 

 最初の一声は水面に落ちる一滴のように静かに公会堂に響く。そして次々と手が上がり、アナトに向かって宣言をするのだ。

 

「私は花屋だ、花を摘んでハドルメの人を迎えましょう」

「おれは農夫だ、ハドルメの人と小麦を一緒に作れるんじゃないか」

「私は教師だ。あのギルアドの城に小さな学校を作ろう」

「なら、俺はアスタルトの家の子供達に美味しい果実を届けよう」

「これからは区の掃除をしよう、かな……」

「情けない、おれは魚を取ってハドルメの竜に届けてやるぞ」

 

 アナトは合唱のように聞こえる市民の誓いを受け止め、最後に自らも宣言する。

 

「護民官アナト、新しいクルケアンを市民と共に作ることを誓う」

  

 アナトの言葉を受け全員が天を指し示し、市民はハドルメへの宣戦布告を拒否したのである。

 上層では神と王の戦いが、そして北壁では人と魔人の戦いがクルケアンで繰り広げられる中、この公会堂に集まった人々は未来への誓いを忘れないようにと降り注ぐ小さな瓦礫を拾い握りしめた。あるいはそれは、滅びゆく古いクルケアンの思い出を残したかったのかもしれない。後に瓦礫の誓いと呼ばれるこの日から、護民官アナトを指導者として新たなクルケアン史が紡がれていくこととなる。

 

 

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