第296話 クルケアン攻防戦⑤ 爪と牙

〈バルアダンとラシャプ、クルケアン上層にて〉


 クルケアンの二百五十層、半壊した元老院にてラシャプは不安げに下を見下ろしていた。戦いの邪魔は出来ぬと百層大廊下に降りていったモレクの姿を目で追いかけていたのである。バルアダンはやや気勢をそがれたようにラシャプに言葉を投げかける。


「どうした、獣の王よ。私と決着をつけるのではなかったのか」

「……もちろんだとも、バルアダン」

 

 巨大な白い獅子が半壊した元老院を足場にバルアダンに飛び掛かった。巨大な魔爪がバルアダンの立つ床をえぐり取り、上層を震撼させる。バルアダンは躱しざまに獅子の額に一撃をたたき込むが、分厚い鉄門にぶつかったかのように鈍い音を響かせるだけであった。ならばタニンの速度をもって突き通すのみと、飛竜にまたがり空へと舞いあがった。

 

「タニン、どこまで飛べる?」

 

 バルアダンは上を指し示し、試すかのように友人に問う。タニンはじろりとバルアダンを睨むと鼻を鳴らし、モレクの追撃を躱しながら上空へ向けて翼をはためかす。ついにクルケアンの上層を超え、空に二人きりとなった時、バルアダンは降参したようにタニンの首を撫でた。飛竜騎士団に入団した当時、団長のベリアからはどんな飛竜であれ、クルケアンの上層を超えることができないと聞いていたためである。友人の力を見くびってしまったことを反省し、迫りくるモレクに一撃を与えようと下降しようとした時、空に浮かぶ神殿を彼は上空に見たのだ。

 

「ほう、人の身でとうとう広寒宮の外宮まで達したか」

 

 追いついたモレクが吐き捨てるようにつぶやいた。

 

「ここから月へ行けるのか」

「そうよ、肉体、精神、そして魂をもって天へ上るための門、それが広寒宮の外宮だ」

「なぜお主はこれまで天へと登らなかったのだ。世界の全てを支配するのであろう?」

「この上空には見えぬ暴風が吹き荒れておる。階段を完成させねばたどり着けぬのだ」

 

 だが、それもこの戦いの死者の魂をもって階段は完成するであろうとラシャプは宣言する。

 

「我ら獣王はバァルやナンナ共によって肉体を滅せられ、精神は衰えた。だがな、イルモートの力を得れば仮初のこの身でも帰還できよう、もしくはその力でこじ開ければいいのだ」

「イルモートの、あるべきものに戻るという権能か」

「そうだ、そしてその力を手に入れるためにダゴンが地下へ向かっておる。お主がここで我と戦っている限り、こちらの優位は揺るがぬ」

 

 ラシャプは牙の間から瘴気を出しながらにやりと笑う。そし毒炎を体に纏うや、バルアダンに向けて飛び掛かった。炎がタニンの体を焼き、瘴気がバルアダンの呼吸を奪う。タニンが錐もみをするように下降すると、ラシャプも追いすがる。

 獅子の牙がバルアダンの剣によって跳ね返され、タニンが獅子の翼に爪を立てる。双方が手を出しながら落下する中、やがて下方にクルケアン最上階の祭壇が両者の視界に入る。

 バルアダンがついに剣をラシャプの腹に突き立て、苦悶を上げる獅子にとどめを刺さんと最上階に向けて剣を刺したまま突っ込んでいく。ラシャプは顔を歪めながらもタニンの前足を掴み、赤い目を向けてバルアダンに叫ぶ。

 

「よいのか、バルアダン! このままではクルケアンの頂上で共倒れだぞ!」

 

 剣を抜け、と続けようとしたときに、ラシャプはバルアダンが鐙から足を離し、突き立てた剣を軸に空に舞い上がるのを見た。二百五十アスク(約千八百メートル)の高さで飛竜から飛び降りるという行為にラシャプは理解が追い付かない。ただ視界としてとらえたのはタニンが手綱を固く噛みしめている光景と腹が切り裂かれるような熱い痛みだけだった。

 

「主がいない手綱をなぜ……?」

 

 そもそも固定されている手綱を噛みしめる必要はないのだ。だが、もし手綱が切られていたとしたら、そこになんの目的があるのだろう。その時、ラシャプは自らの首が急に引っ張られるように斜めに半回転するのを感じた。タニンが身をよじったのもあろう、しかしそれだけでは不安定な空中で身を入れ替えることなどできない。そう、一人では……。

 

「おのれ、バルアダン!」

 

 いなくなったはずの鞍上に再び姿を現したバルアダンを見てラシャプは叫ぶ。バルアダンの手は切られた手綱の先端を握りしめており、タニンが反動をつけてバルアダンを飛ばしラシャプの首に綱を巻き付けたのだ。そしてこの角度では自分だけが最上層にぶつかり、タニンは最上層をかすめるだけで落下する。

 ラシャプは吼えた。それは鎖を巻き付けられた獣の怒りであり、また迫るクルケアンの最上層に向けてその悔しさをぶつけるものであった。

 

 大きく響くような振動がクルケアンの階段都市を揺らした。最上層を半壊させながらもバルアダンは綱を引き締め、タニンを壁に寄せ、ラシャプの頭をすりつぶすように壁に押し付けていく。ラシャプの翼がちぎれたとき、バルアダンは手綱を離しラシャプから距離を取る。やがて元老院の議場に落下音が響いた時、槍に持ち替え、止めの一撃を投げ放とうとしていた。

 

「さらばだ、獣の王」

 

 バルアダンは構えた槍を振り下ろそうとした時、肩当てが吹き飛ばされ、血が噴き出るのを知覚する。ラシャプが腹に突き刺した剣を抜き取り投げつけたのだと知った時、バルアダンは心から称賛した。獣の王は半身が血だらけになりながらも片膝すらつかずに反撃をしたのだ。だが抵抗も限界であろう、そう考え槍を構え直したバルアダンであったが、冷たい汗が体中から噴き出ていることに気づく。

 

「ふ、ふふ……。バ、バルアダンよ。我の勝利だ。貴様が突き立てた剣には我が血のそれも魔障が濃い腹の血がついておる。疫病の神の権能を人の身で受けて無事なわけがない……」

 

 タニンの首にしがみつくようにバルアダンは鞍上で倒れた。主人の身を護ろうと空へ逃げようとするタニンの腹に、今度はラシャプが牙を突き立てる。

 

「タニンよ、いまさら逃げの手を打つとはひどいではないか」

 

 二体の獣は再びもつれ合い、ついに二百五十層から百層の大廊下へと落下する。まさにその時オシール率いるハドルメ騎士団が大廊下へ取り付き中層を目指そうとしていた。

 

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