第278話 ウェルとザハグリム④ 愚者たちの愛
〈ウェル、二百三十層のピエリアス家へ向かう〉
「先輩、お待たせしました」
「少し遅刻だよ、なんの準備してたんだい?」
「いや、ほら、男にはいろいろとあるのですよ」
「……気色悪い」
大塔の浮遊床の前でザハグリムと落ち合って上層を目指す。
少しとげとげしい態度をとってしまったのは、照れくささもあるのだろう。
みんなと共に生き、共に死ぬつもりだった。でもあいつらから家族を奪うのは辛かった。
あたしは孤児だ。
物心がつき始めた自分を捨てた両親、貧民街で泥をすすりながら生きてきた辛い日々。
日が沈みはじめたクルケアンの西側には、豊かな市民達の温かそうな窓の明かりが見えていた。おいしそうな食事の匂いが風と共に運ばれてくる。あたしは仲間の孤児と一緒に上層の貴族が捨てる食べ物をあさるのだ。
「ウェル姉ちゃん、ひもじいよ」
「畜生、西の奴らはいいもの食べてるんだろうなぁ。姉ちゃん、奪いに行かない?」
「馬鹿、奪うんなら普通の奴じゃなくて悪い奴からだろ! まったく、今日はろくなもんが落ちてこないね。区長の野郎は何もしてくれないし、ヤム長老のところへ行って少し分けてもらうか」
レビやミキトと知り合ったのもその頃だ。背も伸び、力もついたあたし達は偉そうな役人から財布をすったり、神の偉大さを説いても腹を満たしてくれない神殿に忍び込んで酒を盗みだしたりして、生傷は絶えなくてもようやくみんなと生きていけるようになった。
「貴様らか、神殿に盗みに入り追った鼠は!」
「鼠じゃない、市民だよ。まったく無礼な神官だね」
「神殿に喜捨をせず、役所に税を納めぬ市民がいるものか。全員まとめて牢獄に送ってやるわ」
「ちょ、ちょっと待った。あたし達が何を盗んだっていうんだい」
「神に捧げる葡萄酒だ」
「はぁ? 神様って葡萄酒を飲むのかい、確か麦酒もあったけど。あぁ、そういや酒瓶も杯も散らばっていたねぇ。神様にもっと上品に飲むように伝えといてよ」
「……貴様、死にたいと見えるな」
「それに、神様に謝っといてよ。うっかり麦酒を飲んでしまってね。
捕縛に来た神官達が口を押さえ、吐くのを堪えるような仕草をする。あたし達はぼろ家の床を踏み鳴らし、大いに笑って挑発をする。
「おいおい、神に捧げた酒なんだろう。あんた達が飲んだわけじゃないんだからさ!」
怒り狂う神官が杖を振りかざしたとき、ミキトが矢を放つ。足の甲を射貫かれた神官が獣のような悲鳴を上げた。さて、もう後戻りはできない。幼い子達は逃がしたので、あたしとミキトだけが犯人となるだろう。こいつらを殺すか、殺されるかだ。
「やめないか、騒々しい」
崩れ落ちた壁から老人がずかずかと上がり込んでくる。そしてその後ろには心配そうな目をしたレビがいた。
「ヤム殿!」
「ほう、儂の顔を知っている神官がまだいたのか。ならば疾くと
年配の神官が悔しげにあたしを睨み付けると、怪我人を背負って出て行った。レビがその背中に石を投げた後、あたしに笑顔を見せる。
「ウェル、大丈夫?」
「あぁ、あんがとね。騒ぎを聞いて駆けつけてくれたんでしょう」
「でもやりすぎよ。死人が出るところだったわ」
「それでもよかった。あたし達はここを出て行くつもりだったから」
「ウェル、何を言っているの。ねぇ、ミキト、違うと言って」
「いいや、違わないね。あと数人ほど誘って兵士か、新設されるという神官兵の部隊に志願するつもりだ。区長の奴からも応募を勧められた」
「……あの区長のことだから、目障りな貧民街の子供に出ていってほしいだけでしょう」
「ごめんね、レビ。あたしらはさ、ちゃんとした家が欲しいんだ。屋根があって、暖かくて、美味しい食べ物の匂いがある家が」
言外に、少しだけレビへの嫉妬も入る。さすがに彼女の養い親であるヤム長老ともなれば十分に雨露をしのげる家を持っているし、あたしから見てもレビは長老に愛されていると思う。でもそれはレビがつかんだ人生だ。あたしはあたしでみんなの居場所を作ってみせる。
……そして意気揚々と大神殿に行き、薬を嗅がされ意識を失い、魔獣にされる寸前でバルアダン隊長に助けられたのだ。思えばまだ世の中を知らなかった。そして飛竜騎士団バルアダン中隊第一小隊の一人として、また、ぼろもうけ団の団長になった今でもそう思う。
あの時は貴族をクズだと思っていた。
でもザハグリムの馬鹿馬鹿しいほどの単純さと純粋さを知ってしまった。
若い貴族と喧嘩をして、同じ人だと知ってしまった。
だから、彼らから家を奪うのはしたくないのだ。
……だから、最悪あたしが死ねば、少なくともみんな家に戻れると思った。
でもそんな馬鹿な考えをザハグリムは怒ってくれた。
らしくない、か。
そうだなぁ。何か怖くなっちゃった。いつの間にか守りたい仲間が多くなっちゃたしね。
貧民街の方が自由だったのは皮肉だな。でも今はみんなとのしがらみがないと寂しい。
そうだ、家を作ろう。
ぼろもうけ団、その親の大貴族、貧民街の弟妹達、ガド小隊、もちろんセトとエルのも。
新しいクルケアンの、この貧民街にみんなの家を作るんだ。
夕方には美味しそうな夕食の匂いが立ちこめる、そんな家々を。
発案者のあたしはやっぱり一番いいところに住んでもいいよね。
屋根があって、かまどがあって、部屋は三つもあるような大邸宅だ。
昼はみんなと街の治安を守って、夕方は駆け込むように家に帰るんだ。
外から窓を覗くと、あいつが料理を作っていて、あたしは鼻をくんくんと動かす。
大好物だと確信して口元が緩む。そして、元気よく扉を開けるに違いない。
「ただいま、ザハグリム!」
「……先輩、先輩! さっきから何をぶつぶつと言っているんです?」
「え、あぁ、あはは、何でもない。何でもない」
「しっかりして下さいよ。それにピエリアス家に到着してからどう立ち回るかそろそろ教えてください」
「うん。その前に、ザハグリム。あたしはあんたの婚約者という設定、まだ生きているよね」
「もちろんです。でも設定ではなく……」
「具体的な作戦は決まっているんだ。ほら、これが台本」
上層に向けて浮遊床がゆっくりと移動していく。ザハグリムは読み進めていくうちに酔ってしまったのだろうか。こめかみを押さえ、ふらつくように片膝をつく。
「せ、先輩?」
「ふふーん、どうだ。平和になったら劇作家にでもなってみようか」
「あ、う」
「どしたのよ」
「……いえ、毒喰らわば皿までです。不肖このザハグリム、演じきって見せましょう」
何のことはない。大貴族に家族の情を、そして大切な人への想いを訴えかけるだけ。台本を作ってきたのは少し恥ずかしかったからだ。だって愛の言葉を素面で言うには、ねぇ。せめてこれは舞台だと思うしかない。だからザハグリムが準備でいなくなっている間、あたしは
「ウェル、大体の筋書きはいいんだけれどね。まだ照れがあるわね。さぁ、この部分を演じてみて」
台本を見て少し怪訝そうな顔をしたユディさんは、深く考え込んでから、あたしの両肩をつかんで練習を促した。もしかして演技力を心配してくれたのだろうか。
「え、ユディさん。ここでですか?」
「そう。私をザハグリムだと思って、情熱的に愛の告白をするのよ」
「……」
「さぁ」
「あぁ、愛しいザハグリム。私達の恋も終わりね。ここにいる貴族が恋をすることすら許さずに、私を殺して神殿の機嫌をとろうというのだから。でもそれでいい。少なくともみんなは愛する家族の許へ帰れるのね」
「えーと、ザハグリムの台詞は……。何を言うのです。愛する我らに祝福をしてくれた団員ですぞ。たとえ親でもその祝福は覆せない。もし、そうしようというのなら家族を捨てる覚悟です」
「でも、これまで育ててくれたお父様やお母様の愛はどうなるのです。貴族も平民も親の愛は変わらないでしょうに」
「いいんだ、無理解な親なんて必要ない。それにいずれ私達が親となるんだ。そして新しい家族を持つのだ。若い貴族も下層に降りて、そこで好きな人を見つけよう」
「でも、でも!」
「いいかげんにしろ、君のお腹には、もう私達の子が……。って、ウェル? これ本当じゃないでしょうね。身重なら危険なことはさせませんよ!」
ユディさんが軽くあたしを睨み付ける。その目に気圧されながらもあたしは全力で否定する。
「え、当たり前じゃないですか! ザ、ザハグリムとそんなことは、まだ――」
「まだ?」
「く、口づけしか」
「何だ、そこはちゃんとしてるんだ。なら安心だわ。ザハグリムもなかなかやるじゃない」
「眠っているあいつに、あたしが……」
大きくため息をついたユディさんは、筆を執り、台本に書き足していく。
「え、内容まずかったですか?」
「いいや、大筋はいいわよ。でも男心がまだまだ分かっていないわね。ザハグリムへの助言を記しておいたから、彼によーく読ませてね」
「じゃぁ、あたしから伝えておきますよ」
「だめ! これは今から封をするのでザハグリムだけに見せること。あなたが見たと知ったら変に意識しかねないから。ほら、彼って恥ずかしがり屋でしょう。面と向かって言われると、あなたの足を引っ張りかねないわ。ええ、せっかく素晴らしい演技なのにね」
「えへへ、そうですか」
なぜか再びため息をついたユディさんは、筆を走らせ終えるとぎこちない笑顔で台本を渡してくれた。
浮遊床が上層に到着し、完全武装の貴族の私兵があたし達を取り囲む。
剣による戦いではない。拳でもない。口と舌で勝利を得るのだ。
勝利とは何か?
大貴族である団員の親をぼろもうけ団に取り込んで、家族を離ればなれにさせないことだ。
どうやって勝つか?
あたしとザハグリムが恋人を演じて、新しいクルケアンの、新しい家族の在り方を示すのだ。
こんな恥ずかしいこと、本当ならやりたくない。でも、愛を告白するというのは少しだけ、ちょっとだけ興味はある。いつかあいつに言うために、もしかしたら言われる時のために練習をしておいてもいいではないか。命をかけるのだ、それくらいの役得があってもいいだろう。
「さぁ、行くよ、最後までついてきてね、ザハグリム!」
「もちろんです、ウェル」
そしてあたしは敵兵も、魔獣もいない戦場へと足を踏み入れた。
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