第277話 神々の言い分④ 水竜王ダゴン

〈ダゴン、ザハグリムの精神の中から〉

 

 軟弱者が、惚れたおなごに会いに行きおった。

 

「先輩、明日の元老院ですが、改選決議の反対どころか、拒否権を行使するにも票が足りません。ラメド殿が亡くなった今、バルアダン隊長が戻ってきても二票足りないのです。アナト殿が市民集会のために参加されないのであれば三票も!」

 

 全く情けない。足りないのであれば奪えば良い。この男は幼き頃より変わっておらん。器としては全く不本意だ。あのヤバルや、バルアダンのような強き男であればと想い、カフ家にとりついたものの、これではヒトの弱さを見せつけられただけではないか。

 それにラシャプも迂遠なことをするものだ。元老院だ、議決だと言わずに力で支配すれば良い。あれから四百年、とうに力は回復しておろうに。

 

「ザハグリム、あたしに秘策ありだ!」

「秘策? ……殴り込みではないでしょうね」

 

 手を振りかざした娘の動きが急に止まる。

 

「お、お前なぁ、あたしはもっとこう、なんというかさ、ちゃんと説得を……」

「説得!?」

「……ぼろもうけ団のみんなを引き連れて、ピエリアス家に行こうと思う。アジルが死んだことと、その魂がイルモートに取り込まれてしまったことのお詫びをしなくちゃ」

 

 女が悲しげな目をして、その目を天井に向ける。男の魂を通して女の考えは手に取るように分かる。部下を失った悲しみと、この男を巻き込みたくなくて嘘をついているということを。

 

「ほとんど嘘ですね」

「!」

「先輩がアジルの件を伝えに遺族であるピエリアス家を訪問するのは本当ですね。でも一人で行くつもりだったでしょう? それに呼び出されたはずです」

 

 目を伏せる女の顔を両手でつつみ、男は咎めるように睨み付ける。しかし、揺れる緑の瞳を見て、内心で抱きしめたいという欲望を必死に押さえているのだ。

 望むならそれをするべきだ。しかしこの軟弱で臆病な男はそれをすることはないだろう。所詮は弱き魔獣のなれの果てだ。力さえあれば全てを手に入れることができるものを。

 

「貴族からの召喚状をもらいましたね。私裁判にかけて先輩を処刑するつもりです。大方、仲間達に申し渡された、親からの絶縁を取り消す代わりに一人で来い、ということでしょう」

「……うん。貴族だってお父さんやお母さんがいるんだ。召喚状を見て傲慢でいけ好かなくても親なんだ、って気づいちゃった。あたしが孤児なだけ、家族が離ればなれになるのは嫌なんだ」

 

 ほれ、男よ。女が泣き始めたぞ。いつものように慌てて慰めるが良い。貴様にはそれしかできないのだからな。

 男は頬に添えた手を離す。そして逡巡した後に女に平手で打ち付ける。

 ……何だと?

 

「先輩は馬鹿です。ぼろもうけ団に団長がいなくなったら私達は道標を失ってしまう。責任をとらずに逃げないでください」

 

 女は痛みよりも驚きをその瞳に宿して、男に向き合った。

 

「ザハグリム――」

「ぼろもうけ団は全てを勝ち取るんでしょう? なら今度は親も巻き込んでくださいよ。そうすれば絶縁なんて意味はない。みんな共犯者にするのが先輩のやり方でしょうに!」

「ちょ、ちょっと待ってよ」

「待つもんか! 先輩がどう言おうと、召喚には団員全員でいく。親たちが何か文句を言うのなら、殴り飛ばしてやる」

「親御さんを殴るのかい!」

「遅めの反抗期というやつです。私達をまだ子供だと思っているからこんな馬鹿なことをするのです。大事なものは自分らで守るんだと、はっきりと示すいい機会です」

「あぁ、ザハグリム……」

 

 おや、男がここに来てようやく女を抱きしめようとする。迂遠な、まったく迂遠な男だ。惚れたおなごに想いを告げるのにどれだけ時間を浪費したのか。最初からお前は自分のものだから勝手なことをするな、と奪うように抱きしめれば良いものを。まぁ、それでもこの男にすれば上出来と言うべきだろう。

 

「勝手な妄想をするんじゃない!」

 

 下顎に鈍い痛みを感じ、男の視線を通して天井を見る。そして背中に鈍い痛みを感じて、ようやくきつい一撃を食らったことに気づいた。

 

「せ、先輩?」

「誰がおとなしく死にに行くといったんだい! あたしがそんな殊勝な女か。いいか、あたしはアジルの心意気に報いるためにも、大貴族の親たちを説得しに行くんだ。殺されそうなら、団員を逆に人質にとる振りをして脅しにかかるつもりだったんだよ。言うことを聞かないと、息子達の命の保証はないってな!」

「あ、悪辣な……」

「なんかあったら逃げるのはあたしとあんただけならなんとかなる。だから二人で行くぞ、と言おうとしたのに。勝手な想像しやがって」

「で、でも先輩? さっき涙を流していたんじゃ……」

「昼下がりに腹一杯飯を食えば、あくびの一つもでるさ」

「……」

 

 女は腰に手を当てて、男を見下してそういった。それは男の精神の内に棲む我を見下すことでもある。ヒト風情がなんと無礼なことか。

 

「それに、ザハグリム、あんたとはずっと一緒に行くって約束しただろう? ……水くさいことなんかするもんか」

「先輩……」

 

 そういって女は男に手を差し伸べる。

 おかしい。立場が逆ではないのか? 

 いやこの男が情けなさ過ぎるのだ。

 本来、弱者に情けをかけるのは強者であるはず。

 その意味では目の前の女が強者なのだろう。

 ならば男を通して、ヒトの強さとは何か観察させてもらおう。

 

「すみませんでした、早とちりをしてしまって」

「分かればいいんだ。では日が沈む前に北西の大塔に集合だ。まだあの浮遊床だけは動くからね」

「……了解です。では準備があるので失礼します」

 

 

 男は急ぎ足で中層百九十層の飛竜騎士団の元へ向かう。そこには男の仲間の貴族達が、飛竜騎士団に竜の騎乗方法を教わっているところだった。勘当され、行き場の失った若い貴族のねぐらともなっている。しかし、楽しんで訓練に明け暮れているところを見ると、ようやく力をぶつける先を見つけたのだろう。美食に美酒に美女なぞ、本当の快楽ではないのだ。戦いに至上の快楽を見いだすのはヒトも獣も同じなのだから。

 

「ザハグリム、団長と一緒でないのは珍しいな。とうとうふられたか?」

「何、団長とザハグリムが喧嘩したって? どっちが勝った?」

「馬鹿、そんなの毎日だろうに。結果もいつも通りだ」

「結果?」

「ザハグリムの顎を見てみろよ、赤くなってやがる。今日の拳は強烈だったみたいだな」

 

 憎まれ口を言いながら、貴族どもが男に集まってくる。

 しかしヤバルやバルアダンとは比べるまでもない、この非力な男になぜ人が集まるのだろう。

 

「みんな、聞いてくれ。今日の夜に団長はピエリアス家に召喚された。恐らく私達の造反について私裁判をするつもりだろう」

「あの役立たずの馬鹿親が、団長を見せしめに殺すつもりか!」

「ザハグリム、俺たちも行くぞ」

「そうだ、子離れできない親なんてこちらから縁を切ってやる!」

 

 子が親に反抗するのは道理だ。生きるためには自然な行為なのだ。だが、男は珍しく怒号を上げて仲間を制する。

 

「親の気持ちを知らず、勝手なことを言うな!」

「ザ、ザハグリム?」

「親を殺す覚悟はあるか? クルケアンが滅ぶかどうかの瀬戸際だ。そのために飛竜の牙で、自分の剣で親を殺す覚悟はあるのか! ただの反抗じゃないんだ」

 

 殺せる者は手を挙げろ、との男の問いに答える者はいなかった。

 情けないヒト共に、我は精神の内で怒りを覚える。

 いや、違う。この怒りは男のものだ。

 だが、仲間への怒りではない。

 何に怒っているというのだ。

 

「じゃぁ、どうするんだ!」

「私達ぼろもうけ団の方針は何だ?」

「全てのもうけは俺たちのもの、だろ」

「そうだ。団長からのお達しだ。親を、大貴族をぼろもうけ団に入団させる。そうすれば問題は全て解決だ」

「そんなことできれば苦労はない」

「それを話し合うためにきた。これはしなければいけないことなんだ!」

「落ち着けよ、ザハグリム。今日はやけに感情的じゃないか。何があったんだ」

「……団長が泣いていた。孤児の団長は私達が勘当されたのが堪えたらしい。それに家族で争ってほしくないと泣いていた。本人は誤魔化していたが、丸わかりだ」

「……」

「あげくには自分独りを犠牲にして、事を納めようとしていた」

 

 貴族達が怒りだした。なぜ、ここで怒るのか、我には分からぬ。女を憎いわけでもなく、恨むわけでもないらしい。まったく不可解だ。

 

「こんなこと許せるものか! あぁ、自分の無力が許せない。みんなだって同じはずだ。いいか、あと一刻で作戦を考えるんだ。いいな!」

 

 男達が獣のように一斉に吼える。

 そして作戦を考えては、提案し、否定し、また補完していく。

 騒ぎを聞きつけた飛竜騎士団も集まり、一層熱のこもった論議が始まった。

 男は皆の意見を必死にまとめながら、分からぬことは他人に任せて、また議論を続けていく。資材を調達しに行く者、有力者の家に協力を依頼に行く者、武器を用意する者、それに酒や肴を用意する者、それぞれが動き出していくのだ。

 

 分からぬ、分からぬ。なぜこの男がここまでヒトを動かすことができるのか。

 もしかしてこの男もヒトの世では強いのだろうか。

 神たる我、このダゴンの一撃で、いや、振り下ろした斧の風圧でこの男は死ぬだろう。

 そんな男が自分に怒りを向けた瞬間、群れを動かし始めたのだ。

 

 分からぬ、分からぬのだ。

 ザハグリムよ、今しばらく様子を見てやるとしよう。

 その力があれば我はバルアダンに、帰還する王に勝てるのだろうか。

 もしわからなかったその時は、お前の愛しい娘を喰ろうてやろう。

 獣は喰らい合って強くなるのだ。分らぬのであれば奪うまでよ。

 

 気づいておるのだろう? ザハグリム。


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