第273話 神の存在証明③ 老人と若者

〈教皇シャヘル=シャプシュ、エラムの訪問を受ける〉

 

 元老院の準備で忙しい神官達を眺めながら、椅子に座り魂の亀裂による痛みに耐える。もう少し、もう少しで王が帰ってくる。せめてその姿を見てから死にたいものだ。平然を装い、顔に教皇らしい笑顔を貼り付けて執務をこなしていると不意の来客を伝えられた。

 

「フェルネスと子供達だと?」

 

 子供達の容貌を聞くからに、変装しているようだ。恐らくアスタルトの家のエラム達、そしてアナトの副官のニーナであろう。フェルネスは神官所属の連隊長としてもちろん無碍むげにもできず、するつもりもない。しかしその彼がエラムを伴ったというのはどういうことだ。設計者オグドアドの最後の一人としてフェルネスは神殿に、そして賢者サラとアスタルトの家にも敵対していたはずだ。そして同じ騎士団のアナトにも。対立するその三勢力の要人が最大の敵である神殿の教皇に面会を求めるのだから面白い。

 

「フェルネス殿は先のハドルメとの戦いで負傷しておられる。私室にてゆっくりと話を聞くとしよう」

 

 もっともらしく指示をして、ゆっくりと部屋に向かう。廊下は暗く、蝋燭の小さな灯火でわずかに光点が道筋を示している。太陽の祝福者の生き残りがただ一人となり、祝福による灯りを失いつつある今、クルケアンの内部の大神殿はもはや地下と同じだった。最後の祝福者のタファトによって、どこからかその魔力を都市に供給しているらしいが、どうやら神殿の本部は嫌われたらしい。神殿の上の大天井、貧者や病人、礼拝堂などを除いてその魔力は神殿に届かないのだ。


 さて、部屋には予想通りの顔が並んでいる。

 フェルネスは、いや、かつての私の大事な教え子のロトはずいぶんと落ち着いて見える。だが、そんなときほど怖いのだ。感情的であった方がわかりやすい子であったのだから。

 

「さて、敵対するクルケアンの有力者達よ。ここは神殿の頂上、これまでイルモートを封じ込めていた結界の起点だ。誰も会話を盗み聞きすることはできぬゆえ、忌憚なく話そうではないか」

 

 天窓を通して上層の大天井からの光が強くなる。なるほど、聞くことはできないが、見ることはできる。タファトめ、また小娘らしい理屈をつけたものだ。暗い私室に光が差し、中央の机を浮かび上がるように照らしていく。それぞれの顔が光を浴びて、まるでここは劇の舞台のようだ。よかろう、どうせ他人の体を借りている偽りの人生だ。下手な役者ではあるが、まぁ、若い役者を導くことはできるだろうて。

 はて、私……、いや儂にあてがわれた役は何だろう。意地悪な老人か、好々爺か、いやいやそれは自己評価が高すぎる。路傍に転がっている石、それも人を躓かせるだけが精一杯の役回りだろう。

 さぁ、若者達よ。この儂に何を期待する? 王の帰還を待つことしかできない哀れな老いぼれに。

 

「猊下、お願いがあって参りました」

「エラム、アスタルトの家の技術者よ。発言には気をつけるが良いぞ。要求によっては、神殿はおぬしらを排除せねばならん」

「ありがとうございます」

「若いのに耳が遠くなったのか?」

「猊下は先ほど、神殿は、とおっしゃいました。ご忠告感謝します」

「……」

「そして猊下は評議会でも、アバカスさんを助けるときも僕達を助けてくれました」

「利用したのを助けたと思うのは勝手だ。で、何用なのだ」

 

 いかんいかん、頼られるとどうも調子が狂う。

 

「あなたの名前を教えてください。あなたほどの強い魂であればある程度の記憶は持ち得ているはずです」

 

 名前を聞きにくるとは何とも面白い。つまりは真相が聞きたいのだろう。そうだ、儂はおぼろげながらも名と少しばかりの記憶は覚えておる。クルケアンを襲ったあの赤光の中で、王妃の一番近くにいた儂だ。トゥグラトの呪いによって奴に逆らう言動はできぬが、この結界の頂点である場所ならば大丈夫だろう。若者よ、覚悟するが良い。老人の思い出話は長いのだぞ。

 

「儂の名はシャプシュ。ハドルメの神官にして将軍、そして王妃とその子供達の後見人であった」

 

 フェルネスが、王の子がわずかに肩をふるわせる。そう、お主も記憶を思い出すのだ、だが、名だけは教えてはやらぬ。ハドルメの戦士として、それは自分で取り戻すべきなのだから。エラムの次はトゥイという少女が口を開く。

 

「シャプシュ様と呼ぶことをお許しください。アバカスさんにいろいろなハドルメの人の話を聞きました。もちろん、あなたの話もです。もっともアバカスさんの記憶も曖昧であなたがシャプシュ様とは気づいてはいませんでしたが」

「お嬢さん、それは当然だ。このシャヘルの肉体は老人と言うにはまだ若い」

 

 孫のような歳のトゥイからシャプシュ様と言われ、視線を泳がせながら突き放すように答える。そんな儂の醜態を心優しい少女は見ぬふりをして語り出す。

 

「ハドルメの老将軍シャプシュ様は、柱国の将軍ヤバルとともにクルケアンとの戦争で武勲をあげた。そして王と王妃がティムガの草原に現れてからはその補佐を務め、魔神との戦いで活躍したと伺っております。違いありませんか?」

 

 大いに違う。そんな英雄のような働きを儂はしたこともない。老人を持ち上げすぎるのはよくないぞ。

 

「アバカスはいささか誇大に思っているようだ。ヤバルと王の後ろについて行ったに過ぎんよ」

「当時の詳細を思い出すことはできないのでしょうか」

「ハドルメを襲ったラシャプの呪いは、魂に亀裂を与えたのだ。名も記憶も寸断され、それらをつなぎ合わせるにはよほどのことをしなければならん。なるほど、名を思い出せば記憶もそれについてこよう。だがそれでも儂のようにちぐはぐなものとなってしまう。王がその方法を持って帰るのを待つしかないのだ」

 

 エラムが魔人アバカスの精神に棲む魂達に名を思い出させ、彼らを解放した手腕は見事であった。だが彼らは純粋な魂として死の国へ旅立ったのだ。生きている魔獣を人に戻すのとは違う。

 

「ならば、シャプシュ様は精神の内で他の魂と対話をすることは可能でしょうか」

「彼らは魂は亀裂を埋めるように儂と融合しておる。彼らの記憶と儂の記憶も混ざり合い、対話はできない。ただ……」

「ただ?」

「シャヘルは別だ。彼だけは精神の内で身を潜めておる。本来は自分の精神なのに、儂に進んで譲りおった。故に精神と肉体の主導権をかけての魂の喰らい合いには関わらずにいたのだ」

 

 エラムとトゥイの表情が明るくなる。そしてエラムが儂に抱きつくように手を伸ばしてシャヘルと話をしたいと迫ってくる。あぁ、その目を向けるでない。まぶしく美しい瞳は儂には辛いのだ。王や王妃、そしてアドニバルの目を思い出してしまう。

 

「よかろう、しかし月の祝福者と神の二つの杯イル=クシールが必要だ。それに精神の内に入ってもシャヘルが気づかねばどうしようもない。過度な期待はしないことだ」

「気づかないとは?」

「シャヘルはわずかな魂をこの精神に残して、思索の旅に出おった。魂の大部分をどこかに放出して悟性のみで思惟活動をしておるのだ。研究をするので管理をよろしくといって笑って出ていったよ。まったく学者というのは信じられんことをする」

 

 エラムは突然泣き出した。それは悲しいのではなく、嬉しさ故の涙だと気づく。トゥイがその肩を抱く様は、ヤバルとイスカの、王と王妃の光景を彷彿とさせた。

 

「その研究は、その研究は、神の存在証明では!」

「その通りだ。神の愛を証明するのだと言って旅立った」

 

 おそらくエラムはシャヘルとのつながりから、彼が今でも望んだ道を歩んでいることに安堵しているのだろう。

 フェルネスよ、いやヤバルの子ロトよ。彼らをよく見るのだ。自分の道を行くに考えすぎてはいけない。大事なものをちゃんと見て、それを追いかければいいだけだ。

 

「シャヘルさんにアナトさんを会わせたい。今、アナトさんは苦しんでいる。それを救うのは彼とサリーヌ、そしてこのニーナを見守っていたシャヘルさん以外にはできないことなのです」

「……よかろう。だが、儂の精神に入るに当たり条件がある」

「もちろんです。何なりと申しつけください」

「アナトのいる小神殿に向かうが、そこのフェルネスも同行してもらおう。つまりこの部屋にいる全員でシャヘルに会いに行くのだ」

 

 フェルネスが仮面のような笑顔を向けた。しかし、その目の奥にある炎を隠しきれるはずもなく、儂を苦笑させる。心配するでない。まったく、隠し事ができない奴だ。これでは周りの友人達も笑うしかなかっただろう。

 

「シャプシュ殿、貴殿はトゥグラトの呪いで奴に反する行為はできないはずでは?」

「フェルネスよ、神殿に反逆しようとする連隊長を教皇が詰問しに行くのだ。それ以外何もせぬ。寝ている間に土足で精神に上がり込む輩がいたとしても気づかぬでは仕方ないではないか」

 

 さて、王の帰還の前にこの愛すべき若輩者に道を示してやろう。

 そして王に向かって自慢するのだ。

 どうです、この爺もまだまだ役に立っていたでしょうと。

 

 

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