第272話 クルケアンの反逆者たち

〈エラム、アスタルトの工房にて〉

 

「元老院議会が開催される時に水力時計クレシドラのお披露目を?」

 

 メシェクさんの言葉に僕は資材注文書を落として大きな声を出してしまう。その声にトゥイやサルマ達も集まってメシェクさんを興奮気味に取り囲む。皆、なんだかんだでこういうお祭り騒ぎが好きなのだ。

 

「内部の機器の調整はしばらくかかるが、外観と大時計は完成している。十五層の大公園に市民を集めて野遊びがてらお披露目といこうじゃないか」

「まぁ、僕らアスタルトの家としては名誉なことですけれど、何か企んでいません?」

「いつの間にか疑い深くなって。おじさんは悲しいなぁ、ねぇトゥイちゃん」

「私とエラムを半ばだまして強引に空へ飛び降りたのは誰でしたかね、おじさま?」

 

 あのときは、メシェクさんに抱えられるように滑空機(アングウィス)に乗ってクルケアンを降下したのだ。僕には楽しい時間だったのだが、トゥイはまた別の見解らしい。厳しい指摘にメシェクさんの動きが止まって悲しそうな目を僕に向けた。

 

「トゥイちゃん、ツェルアに似てきたね。エラム、恋が生活に変わると女の子は怖いよ。何かあったらいつでも相談に乗るからね」

「その時は頼りにしましょう。でも当分は必要ないですね」

「おっと、からかうつもりが、逆にあてられたか。……実はね、リベカ様の発案なんだ。君たちには悪いが、お披露目を口実に元老院に先んじて市民集会を開く」

「市民集会? あぁ、総評議会がついに開かれるのですか! でもまだ下層に議場もできていませんよ」

 

 拒否権と勧告権、裁判権を元老院が持っているとはいえ、実際の市政を行うのは総評議会と関連組織となる。しかし総評議会が始まるのは第一回の元老院が始まった後とされていた。

 

「市民集会を行い、ハドルメへの宣戦布告を中止する決議をそこで行うつもりだ。元老院が始まれば、市民集会を総評議会に切り替える。ちゃんと決まり事は守っているだろ?」

「でも市民集会を開くとなると元老のトゥグラトが許さないのでは」

「だから水力時計塔クレシドラのお披露目と野遊びさ! 物見高いクルケアンの市民が勝手に集まるんだ。そこにたまたま招集・開催権を持つある人物が登場する」

 

 市民集会、といっても長らく開かれた試しはない。百年ほど前に魔獣被害を食い止めるために市民が開催を呼びかけた例が最後だ。確か招集した人物の役職は……。

 

「護民官ですね。今ならアナトさんにその権限がある」

「正解、北伐の功労者でバルアダン君が旅団長に、そしてアナト君が護民官に任じられた。有名無実だと思ったのだろうが、有効に活用させてもらおう」

「すごいや、これでハドルメの人々も守れるのですね」

 

 そうだ、あの時シャヘル教皇がアナトさんを護民官に任じたのだ。

 そしてその横で教皇の提案に意外そうな顔をしていたトゥグラトの顔を思い出す。とはいえ、これで神殿と貴族の企みを阻止できるのであれば何も言うことはない。僕達の歓声をよそにメシェクさんは困ったような顔をした。そして言い出しにくいように手を合わせて懇願する。

 

「実はその……アナト君に断られてしまったんだ。だから、エラム君、アスタルトの家で説得に行ってくれないか?」

「ええ!」

 


 アナトさんと麾下の神獣騎士団第三連隊は最下層の小神殿に屯所を構え、神殿とは距離を置いている。市民に手を出せばいつでもここから反逆するぞと、圧を発しているのだ。ラバン将軍の飛竜騎士団は中層から、アナトさんは最下層からクルケアンの治安を守っており、市民の信頼も高い。

 

「トゥイ、僕にアナトさんの説得はできるかな」

「正直難しいわ。月の祝福で過去にいるバルアダンさんと連絡を取ってからずっと塞ぎ込んでいるもの」

「……ニーナに聞くしかないか」

 

 元老議会はあと二日に迫っている。できれば今日にでも解決をしないといけない。直接出向くとアナトさんに出くわし、心を見透かされそうなのでサルマに小神殿へ行ってもらって彼女を呼び出す。工房に来るよう誘ったのだが、戻ってきたサルマによって大神殿の入り口まで来てほしいというニーナの伝言を受け取った。それも気づかれないように変装してとのことだ。敵の本拠地前に行くとは穏やかではない。しかしニーナへの信頼が上回り、僕とトゥイは慌てて工房を飛び出した。

 太陽が下降線を描き、夕日に変わろうとする前に僕らはクルケアンの中央、内壁の空洞に作られた五十層もの大神殿の入り口広場で落ち合った。多くの信者が列を成し、神に祈りを捧げている。良かれ悪しかれ、僕達は神殿を中心に生活をしている。悪いのは信心ではなくそれを利用する為政者達だった。

 

「エラム、トゥイ!」

 

 町娘に変装したニーナがめざとく僕達を見つけて走り寄る。

 あぁ、レビだ。出会った頃のただのレビがそこにいた。

 その名を呼ぼうとして思わず口を押さえる。彼女はニーナとして生きているのだから、その名は口にしてはいけないのだ。

 

「ニーナ、良かった、相談したいことがあったんだ。でもどうしてここに?」

「実は合わせたい人がいるの。神殿の中の反トゥグラト派ってとこかしら。兄さんの連隊と手を結んで、有事の際には決起する予定よ」

「でもニーナ、その人はエラムや私が知っている人なの?」

「もちろん、その人たちはこの広場の隅、回廊沿いにある古い屋敷の辺りにいるわ。さぁ行きましょう」

「辺り?」

 

 ニーナは僕達の手をつかんで走り出した。周りの神官や礼拝者が奇異な視線を向けるが、元気な子供だと苦笑をして見過ごしてくれた。

 ニーナが案内してくれた大きな屋敷は、古く、つぎはぎだらけの外壁がかろうじて廃墟であることを拒否していた。何でも神官兵の宿舎らしく、神獣騎士団第一連隊の騎士が詰めているとのことだ。

 

「第一連隊……あのフェルネスさんの?」

「そうよ」

 

 騎士団の館には多くの陳情者が詰めており、平時の奉仕活動を騎士達は行っている。その陳情者に紛れ、入り口を通り抜けると地下へと続く石階段を降りていく。おそらく貯蔵庫へ続くはずだが、ニーナは踊り場で立ち止まり、魔力石を壁に当てる。きしむ音すらなく壁が奥へとへこみ、長い廊下が現れた。

 

「大昔の神官が作った隠れ家へようこそ」

「隠れ家?」

 

 それは隠れ家と言うには大きすぎるのではないだろうか? 地上の館以上に広い。やがて広間の横の大部屋にうめき苦しんでいる兵士の声が聞こえてきた。

 

 

「あの人達は?」

「前の戦いで負傷した魔人たち。無理矢理に徴兵されて、魔人とされ半ば操られて戦った神官兵よ。戦いの後、精神に注入された複数の意識が混濁し、自分は誰だと苦しんでいるの」

 

 苦しむ兵達に声をかけ、一人一人の手を握り魔力を流し込んでいる女性がいた。彼女の体が光ると、兵達は苦痛を忘れてしばしの眠りにつく。そしてその横で男性が水の祝福で女性の魔力をできるだけ長くとどめるかのように包んでいく。その二人は神殿の探査に赴いたまま行方不明となっていた、僕達の大事な人たちだった。

 

「タファト先生、イグアルさん! 無事だったんですね」

 

 僕とトゥイは先生に駆け寄って抱きついた。良かった、本当に良かった。いつも僕達だけが安全な場所にいて、みんなを送り出すことしかできず、不安だったのだ。

 

「エラム、トゥイ。心配をかけさせたわね」

「おいおい、私には抱きついてくれないのかい」

 

 すねたように頬を膨らませているイグアルさんにも喜んで飛びついておく。

 

「イグアルさんも、心配したんですよ!」

「すまなかったな、でも収穫はあったぞ。さぁ、別室で話そう、みんな待っている」

 

 ちょっとした会議室のようなその場所には円卓があり、見知った顔が並んでいた。

 ベリアさん、ガド小隊のティドアル、ウェル、ザハグリム、薬師の神官シャドラパさん、そしてフェルネスさんとその部下の騎士達が座っている。そして僕らを除けば一番若いはずのティドアルさんが立って、僕達に椅子を勧め、全員に向けて話し始めたのだ。

 

「改めてようこそ、トゥグラトとエリシェの隠れ家へ」

「トゥグラトだって?」

 

 僕のあげた大声にティドアルは苦笑すると、今のトゥグラトではないのだといって肩をすくめた。

 

「この隠れ家は四百年前にイルモート神が人として転生した時に作ったものです。その時の名がトゥグラトといいます。そしてエルシード神は当時エリシェと名乗っていました」

 

 驚いているのは僕とトゥイばかり。おそらく他の人は知っていることなのだろう。でもそれでもいい。待ち続けたり、知らないだらけだったりする方が辛いのだ。

 

「トゥグラトという少年はいたずら好きで、エリシェという少女とともによく神殿や城壁に隠れ家を作ってきました。外壁にも大きいものがあるはずです」

「まるでセトとエルみたいだ」

「トゥグラトとエリシェがさらに転生した存在が彼らです」

「……なぜ、ティドアルさんはご存じなのですか」

「私の名前はアッタル。水の神エルシードの従者です。四百年前はアサグと名乗っていました」

 

 僕とトゥイは仰天する。ただ、それはまだ序章に過ぎなかった。

 

「いずれ詳しい説明はするとして、私は皆さんに三つのことを提案します。一つ、復活し、地下の大空洞でうごめいているイルモートの肉体を再度封じ込めること。二つ、失敗した折には帰還するバルアダン王とその軍隊、ガド小隊、フェルネス殿の神獣騎士団第一連隊、アナト殿の第三連隊、そしてラバン将軍の飛竜騎士団でイルモートに攻撃を仕掛けること。三つ、大空洞のそこにいるセトとエルシャを救い出すことです」

 

 僕は絶句する。何がクルケアンを救う技術者だ。置いて行かれたくないだ。僕はティドアルさんの発言にどう対応していいか分からない。それでも彼女は違った。津波のような事実に対して真っ向から立ち向かうのだ。

 

「アスタルトの家から提案してよろしいでしょうか」

「もちろんです、トゥイ」

「明後日、市民集会を開き元老院のハドルメへの宣戦布告への反対決議をします。ここにいる皆さんはクルケアンでも名の知られた有力者。そこで市民に向けて歴史の真実を告げてほしい。アバカスさんのようなハドルメのつらい現状をみんなと共有したいのです。そのために……」

「そのために?」

「アナトさんを護民官として市民集会の招集をかけます。ただ、本人が塞ぎ込み招集をかけないそうで、その説得を手伝ってほしいのです」

 

 彼女の言葉にみんなが顔をうつむける。その時、僕ははっと気づく。

 みんなが口に出せないこと。

 アナトさんが塞ぎ込むこと。

 もしやサリーヌに何かあったのではないか。

 

 ティドアルさんが重々しく答えた。


「おそらくサリーヌ王妃は身罷られた。バルアダン王がアナト殿の魔力を使わずにまっすぐこの世界へ向かっているのがその証拠だ。王の帰還のために魔力と命を使おうとしたアナト殿を守るべく、代わりに自分の力を使い果たしたのだろう」

 

 ニーナが泣きそうな顔でその言葉に続ける。

 

「兄はそれでバル様に対して怒っているのです。大事な妹になぜ死を選ばせたのか、俺の命よりもサリーヌの方が大事だろうに、と。幸せにするはずではなかったのかと……」

 

 サリーヌが死んだ。

 アスタルトの家の大事な、大事な仲間を失ったのだ。


 どうして?

 誰がそう決めた?

 僕は観測者だ。自分の目で見て確認しないと信じることはできない。

 そうだ、僕のできることはこれしかない。

 サリーヌの、それにセトとエルの観測だ。

 探し続けてレビやダレトさんに会えたように、

 過去のアバカスさんやフェリシアさんと話し合えたように、

 全ての方法を使って情報を集めよう。

 僕とトゥイでできないのであれば他の人の力を借りればいいのだ。

 

「僕はアナトさんを説得しに行きます。それにはある人の力が必要だ」

「できる限り力になるつもりです。それはここにいる誰かでしょうか」

 

 ティドアルさんの言葉に僕はアナトさんを説得できるであろう人物の名を口に出す。

 

「教皇シャヘル、いや、その中にいるはずの薬師のシャヘルの魂です。フェルネスさん、僕を彼の元に案内をしてください。ニーナ、トゥイ、僕達で教皇の精神の内にある、シャヘルさんの魂に会いに行んだ」

 

 今度は僕の言葉にみんなが絶句する。その中でトゥイだけが笑顔で頷いてくれていた。

 

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